せんだいメディアテーク



メディアテークの日々の活動をお知らせします。

2011/05/04
歩きだすために

平成23年5月4日午後3時。新緑のさわやかな風、青葉繁れる欅の並木道。晴天。
震災後初の事業となるキックオフイベント「歩きだすために」の連続イベントの2日目として、哲学者であり大阪大学総長の鷲田清一先生によるトークイベントが開催されました。
会場はメディアテークの1階オープンスクエアですが、これまでのびっしりと座席を敷き詰め多くの人の熱気で賑わうシンポジウム形式とは打って変わり、あたかも街路に小さな舞台をこしらえて、その周囲にテーブルや椅子、クッションなどを持ち寄り、道を行き交う人が、ふと、誰でも、気軽に、立ち寄れるような「広場」を模した作りとしました。
その理由は佐藤副館長の挨拶の中にもありましたが、多くの方々が被災によって傷ついた気持ちを緩やかに開放しながら、煌びやかさはない素朴な作りの中で少しずつ言葉を持ち寄り、「最初の一歩を踏み出すにあたってゆっくり話し始める」という舞台を構成したかったからです。お話の始まりは震災によって受けたメディアテークの被災の状況の報告に続き、被災で犠牲になった無辜の人々への鎮魂の思いを寄せ、黙祷を行いました。
いよいよ鷲田清一先生のご登壇です。約30年前臨床哲学を提唱され実践されてきた鷲田氏は、体験されてきた阪神淡路の震災のことを踏まえ、今回の震災でも「傷ついた相手が語りきるまでじっと待ち続ける聞き方こそが本当のケアである」とお話されました。また震災後の市民がサービスの消費者になってしまっていることに警鐘を鳴らし、「震災後の生活は原始の状態に戻るのではなくそれ以下の生活に戻ってしまう」という人為的に作られてしまった現代社会の人間の無力を指摘。また現在の「クレーマー」という存在、「ぶらさがりの構造」など「原発」などの科学技術の発展や市民サービスの享受とその危険性についてなど、近代化以降の都市や現代人のあり方、脆弱さを優しい語り口の中にも鋭く批判されました。しかし、特につらい記憶を後から作り直そうとする人間の習性である「語り直し」の話の中では、その次やさらに次の日の伊東豊雄氏、加藤種男氏とタノタイガ氏、とよたかずひこ氏の話とも相まってより深い示唆もいただきました。
そして最後にこれからの市民社会を語る上で大切な「良きフォロワー(伴奏者)たれ」と言う言葉には会場からは大きな感動の嘆息がもれ、俺が俺がとリーダ-を目指す社会は一番もろい、ただし「請われれば一差し舞える人物になれ」という鷲田先生の言葉が印象的でした。
この日、会場はふと足をとめて聞き入った300人以上の聴衆の熱気が渦巻き、歩き始めたばかりのメディアテークにとっても、そして仙台市民にとっても大変意義深い記念日となったようでした。

(Lee)

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