美術館の壁に飾られた作品を見て、人々は確立された価値を提供する絶対的な存在ととらえるでしょう。仮にそれが「わけわかんなくても」です。有名なデュシャンの「泉」はそれを逆手にとった作品ともいえます。しかし美術という枠組みに収まらないsmtでは、デュシャンの「泉」はただの便器でしかないかもしれません。
逆に、街の中にむき出しになった劇場として生身の演技者を挑発するように、あるいはバリアのない空間のなかで、公でも私でもない共という場の使い方を問いかけるように、smtという空間は、さまざまなことに新しい光を投げかけています。不安定ではあっても常に価値が相対化されるsmtだからこそ、普通の人が普通に「わけわかんないこと」を楽しむ場になれる可能性を秘めています。さて5年後「こっち」の水は甘くなっているでしょうか?