文字展@smt



資料解説

1-1

かく文字

-鉛筆の歴史と政宗鉛筆

鉛筆の芯には黒鉛が使われますが、その黒鉛がイギリスで発見されたのは1564(永禄7)年で、伊達政宗が生まれる3年前のことでした。そして、イギリスでの黒鉛発見からわずか約半世紀後には政宗が鉛筆を手にしていたようです。
この鉛筆は、政宗墓所の副葬品の中から発見されたものを調査し、1987(昭和62)年に復元したもので、芯が軸の先に接着されキャップがついた構造で筆に似ている部分もあります。

1-2

かく文字

-自分自身であることをあらわす文字−花押

様々な文書で、自分自身が書いたことをあらわすためには印鑑やサインが使われますが、手で書いた文字がその人自身をあらわす文様にまでなったものに花押(かおう)があります。
これは伊達政宗が1588(天正16)年から1636(寛永13)年までの間に使用した花押です。公用、私用のものもあわせて、時代毎に変化してきていることがわかります。
花押は中国から伝わり、日本では平安時代から使われました。高位の人びとは、書面を代筆させて最後にサイン代わりに花押のみを記しました。花押は偽造されないように各々が意匠に工夫をこらし、一筆で一気に書き上げて完成されます。

2-1

かかれる文字

-仙台ゆかりの柳生和紙

日本各地にはその土地の文化や伝統を受け継く和紙がありますが、柳生(やなぎう)和紙は仙台の地で400年の歴史を持っています。
慶長年間、仙台藩主伊達政宗が、米作り以外の産業を振興するために福島県伊達郡茂庭村から4人の紙漉き職人を柳生(現仙台市太白区内)に呼んで技術指導にあたらせ、生産を奨励しました。
以後、柳生和紙は仙台藩の御用和紙として、公式文書や襖紙、献上品などに広く用いられました。

2-2

かかれる文字

-紙以前の時代の材料−パピルス

紙は中国で紀元前176-141年ごろから使われていたといわれていますが、紙が発明される以前は、粘土板、パピルス、羊皮紙などがかかれる材料として用いられました。
水草であるパピルスは元来古代エジプトでいかだの材料や敷物などに使われていましたが、紀元前3000年ごろにかかれる材料としてのパピルスが発明されました。パピルスは紀元後10世紀ごろまで4000年もの間、かかれる材料として使われてきました。またパピルスは英語のPAPERの語源としても知られています。
竹尾『世界の手漉き紙』 企画担当 木戸啓、デザイン 森啓

2-3

かかれる文字

-メディアに対応していく紙

かかれる材料としても大きな役割を持つ紙は、文字を紙に写し取るメディアの変遷に対応して、より便利に、よりきれいに記録できるよう発展してきました。
タイプライターの時代には、活字が押される圧力に負けない丈夫さと薄さを兼ね備えた紙が求められました。また、現在身近なものとなったパソコンのインクジェットプリンターの用紙も、速乾性の追求やインクによる紙のゆがみ防止など、様々な工夫がされています。

3-1

うつ文字

-電気とボールのタイプライター

タイプライターは1829(文政12)年にアメリカで原型が生まれました。キーに活字が連動する形式が一般的ですが、1961(昭和36)年に発明された このタイプライターは、電動式で、文字を打ち込む部分がボールになっているというユニークなものです。
直径13/8インチ(約34.9mm)のボール状エレメントを交換することで、書体を自由に変更することもできます。

3-2

うつ文字

-キーボードと世界の文字

タイプライターによって生まれたキーボードという入力装置は、現在わたしたちの身近にあるコンピューターのキーボードの原型となっています。しかし、欧米世界で生まれたタイプライターで、アルファベット以外の文字を記すには様々な工夫が必要でした。
日本語ではカナ配列やローマ字入力というアイデアが考えられましたが、ハングルではハングル字素単位で、文字を組み上げながら入力します。そのキー配列と入力方法は、コンピューターへも受け継がれています。

4-1

うつ、さわる文字

-点字をうつ

点字は1825(文政8)年に、自身も目が不自由だったフランス人ルイ・ブライユが発明しました。日本ではそれを五十音点字に対応した日本語点字を1890(明治23)年に石川倉次が完成させました。
今では、エレベーターの階数ボタンや、缶ビールのふたの部分など、身近なところにも点字が記されています。点字を紙にうつときには、点筆と点字板をつかって一文字一文字、裏側からうちます。

4-2

うつ、さわる文字

-点字とそれを表現する機械

点字の表現方法自体は、穴があかない程度の厚みを持った紙に裏から針のようなもので点をうちこんでいくというシンプルなものです。しかし、ひとつの文字が6つの点で構成される点字で、長い文章を手でうっていくことはたいへんな労力を必要とします。それに対する工夫のひとつに、点字タイプライターがあります。
一見何気なく見えるこのタイプライターは、色で表現された文字(墨字)と点字を同時にうちこむという優れた特徴を持っています。

4-3

うつ、さわる文字

-点字をうつ

点字を扱う技術も、ほかの文字のようにタイプライターを経てコンピューターと出合いました。 このソフトウェアは点字編集システムと呼ばれており、点字とカナ、アルファベットを相互に変換することができます。
そのため、点訳ボランティアの作業効率や、点字初心者向けの学習、膨大な辞典データを点字に変換するなど、目の不自由なかたやサポートする人びとにとって、様々な面で情報のバリアフリー化に貢献しています。

4-4

うつ、さわる文字

-点字以外のさわる文字

さわる文字が「点字」にいたるまでには様々な工夫があり、その道筋にはふたつの方向がありました。文字を線で表現するものと、文字を点で表現するものです。
アルファベットの文字をみると、文字は基本的に線で構成されています。しかし、さわってよみとるために線を浮き上がらせたり、文字を簡略化した線にしてみても、目の不自由なかたがその線を文字と認識するのは困難であることがわかり、文字を点で認識するブライユの点字へといたりました。

5-1

ほる文字

-鉛の活字のための木の活字

活字は鉛の合金でできていますが、活字のもとの型(種字)をつくる方法のひとつに、木材を実際の活字の大きさにほる方法があります。これは、1872(明治5)年に開設した東京築地活版製造所で14歳から種字彫刻師をしていた安藤末松の手による種字です。
小さな黄楊(つげ)の木に、文字を筆で描き、それを彫刻刀でひと文字ひと文字丹念にほっていきます。この種字から金属メッキの技術などの工程をへて電胎母型という型をつくり、そこに鉛合金を流し込んで活字の完成となります。
安藤末松
1907(明治40)-1972(昭和47)年

5-2

ほる文字

-大きな活字と木材

活字の大きさと生産数は、その使われる頻度と関係します。たとえば小さな本文向けの活字は数も種類も多く、見出しなどで使われる大きめの活字は使う回数も種類も少なくなっています。
しかし、新聞の見出しやポスターなど、とても大きい活字が必要な場合には、大きなサイズを金属活字でつくると非常に重いため使いにくくなります。そのため大きな活字は木活字をつかいました。また、大きな活字を扱う道具も、それにあわせて大きくなっています。

6-1

いこむ文字

-明治日本の近代活版のはじまり

日本で本格的に活字の製造から印刷までを行えるようになったのは、明治維新後、長崎で崎陽新塾(後に新街私塾、新街活版所と改名)を開いた本木永久の功績によります。本木は長崎でオランダ通詞(通訳)をしていた間に活版印刷に興味を持ち、1848(嘉永1)年にオランダ船から鉛合金活字と印刷機を購入し、活字の研究を進めていきました。
また本木の部下であった平野富二は、1872(明治5)年に東京に崎陽新塾出張平野活版製作所(後の東京築地活版製造所)を開設し、金属活字の製造や印刷業を発展的に受け継ぎ、近代日本の活版印刷界、産業界において大きな貢献をしました。
本木永久(昌造)
1824(文政7)-1875(明治8)年
平野富二
1846(弘化3)-1892(明治25)年

7-1

くむ文字

-活字を「くむ」場所−植字台

活版印刷の手順には、必要な活字を拾ったのち、原稿をもとにそれらの文字をくみあげて版をつくる「組版」の作業があります。この作業は植字台で行います。
活版印刷では空白をつくるときに、「クワタ」と呼ばれる文字がついていない活字を入れる必要があります。手前のケースには様々な大きさのクワタが入っており、適切なサイズのクワタを詰め込んで紙面をつくるには熟練した職人技が必要でした。
また、はさみ、ステッキ、ピンセットは植字工の「三種の神器」と呼ばれていました。

7-2

くむ文字

-活字ケースとフォント

ケース入りの欧文活字をみると、活字の時代から様々なの書体が存在したことがわかります。「フォント」という言葉の由来も、もとをたどるとひとつの書体活字ケースの中でどの文字がいくつ入っているかを示す「フォント表」から来ています。
「プロポーショナル・フォント」という言葉も、文字毎に幅が異なる欧文活字を見れば一目瞭然です。更に、この「スクリプト体」は、筆記体をイメージした傾いた書体で、空白部分のクワタも斜体になっています。

7-3

くむ文字

-活版印刷時代の印刷所の風景

この風景は、1976(昭和51)年当時の宮城県内の印刷所の一風景です。拾った活字と原稿をもとに、版を組んでいます。それぞれの植字台は担当する職人によって、道具や活字、クワタの置き場所がそれぞれに使いやすいように配置されていました。
現在、印刷の主流の座からは退きましたが、活版印刷は一時代を築いてきました。宮城県では1873(明治6)年に近代的な活版印刷が始まって以来、1978(昭和53)年の宮城県沖地震のころまで現役で使用されていました。

7-4

くむ文字

-活版印刷を通じた、中国と日本の関係

これは中国上海の印刷所「美華書館」の活版印刷を行うための部屋です。漢字の種類が多い中国語の活字を効率的に拾えるように、活字ケースのかたち、並びともに日本のものとは異なっています。
美華書館はアメリカ長老会が経営した印刷所で、1860(万延1)年に寧波から上海に進出し、聖書の翻訳や伝道の仕事を広く行いました。1869(明治2)年、当時の館長であったウィリアム・ガンブルは、来日して活版印刷技術を伝えました。

7-5

くむ文字

-smt活版ワークショップでの使用ソフト

このソフトウェアは、長岡造形大学小泉助教授がインターネット上で行ってきた、タイポグラフィ(書体)を学ぶメソッド=「ハイパータイポ」で使われたものの発展形で、活版印刷とコンピューターの、古くて新しい「わざ」のつながりを再認識できるものです。
活字の組み方や、空白をクワタでつめていく過程をシミュレーションすることができます。また、クワタは長さによって色がちがうためひと目で判別でき、組みやすくなっています。

7-5

おす文字

-活版印刷による書物の特徴

活版印刷は、活字の凸部分にインクが塗られ、紙に押しつけられて印刷される技術で、凸版印刷の技術に分類されます。物理的に圧力をかけて版を押しつけて印刷するため、文字がエンボスのように紙を凹ませ、全体的に力強いシャープな表現になります。
印刷の技術としては、他にも平版(オフセット印刷)、凹版(グラビア印刷)などが代表的なもので、それぞれ大量印刷向け、写真やグラデーションの印刷に向いている等の特徴があります。

8-1

おす文字

-ホビー用の活版印刷機

イギリスのアダナ社製造の手動式の活版印刷機です。版面の大きさにより3種類があり、これは一番大きな8x5インチのものです。オプションとして枚数カウンターがついています。現在はイギリスでもほとんど生産されていません。
この印刷機が日本に初めて輸入されたのは1963(昭和38)年で、その後800台ほど輸入されたようです。簡便さから少部数の印刷に適しています。

8-2

おす文字

-手動式活版印刷機

この手動印刷機は日本製で、名刺やはがきなど少量で小さなサイズのものを印刷するためのものです。足踏み式の「フート印刷機」を改良した「手動フート印刷機」(手フートととも呼ぶ)は1990年代まで用いられてきました。
シンプルな仕組みで、丸いインク受けにインクを盛り、ローラーでのばしつつ版にインクをつけ、紙を版におしつけます。また、インク受けはハンドルを上下するごとに少しずつ回転し、インクがむらなくのびるように工夫されています。

8-3

おす文字

-活字と箔押しの関係

箔押しはホット・スタンプともいわれ、金箔、銀箔、色箔のほかにも空押し(エンボシング)などもあります。古典的な方法は、押す部分に卵白液などを下塗りし、金箔などを置いて加熱した金版(かなはん)で押して箔をつくるものもあります。
箔押しには金版に活字が使われることもあり、通常の活字を拾って使用するほかに、箔押し用の柄付きの活字も用いられました。現在では、活字や金型などが不要な箔押し技術が開発されています。

9-1

ならぶ文字

-大漢和辞典と諸橋轍次

文字を調べるときには辞典が用いますが、その編さんは人間の半生を費やすものであり、とくに文字種の多い漢字文化圏の辞典編さんにはたいへんな労力が必要です。
親字数50,354字、熟語数は約526,500語という空前の規模の辞典『大漢和辞典』を編さんした諸橋轍次は、空襲による原稿焼失や右目失明などの苦難を越えて、40万枚の基礎カードを作成しながら、1928(昭和3)年から32年間の歳月をかけた全13巻の編さんを成し遂げました。
諸橋轍次
1883(明治16)-1982(昭和57)年

10-1

デザインする文字

-コンピューターフォントができるまで

現在わたしたちはコンピューターを用いることで、様々なフォントを様々な大きさでつかうことができます。それはコンピューター上の文字が、点と点を結ぶ線の集合で構成されている「アウトライン・フォント」でできているからです。
これを画面上で拡大すると、ベジェ曲線やスプライン曲線と呼ばれる曲線が文字をふちどっています。これによって文字の拡大や縮小を行っても、コンピューターが随時その大きさに合わせた曲線を計算してスムーズに描きだしています。

10-2

デザインする文字

-手書きによる書体設計

コンピューターで書体を自由に操れるようになっても、もとのデザインである「原字」は今も変わらず手で描かれる場合があります。原字は、原字用紙とよばれる2インチや5インチの升目が入った専用の用紙に、文字自体のバランス、そして組み合わせたときのバランスを確かめながら、地道に描いていきます。
この「 もじくみ仮名書体」は、東京築地活版製造所が開発した大見出し用の「初号明朝体」を基に再現したものです。この原字を描く作業は1日10文字ほどが限度であり、また画数が多い漢字よりも、曲線が多く漢字とのバランスが要求されるひらがなのほうがデザインがより難しいとされています。

10-3

デザインする文字

-トラヤヌス帝碑文とそこから発展した書体

この碑文は、ローマの五賢帝のひとりトラヤヌス(53-117年)がダキア人との戦いの戦勝記念モニュメントとして、113年に建立した記念柱に刻まれているものです。
タイポグラフィを歴史的に扱う専門書のほとんどがこの書体を取り上げ、「すべてのローマン・アルファベットの永遠の源」というような評価を与えています。その理由としては、個々の文字の完成度の高さ、スペーシングの配置の完璧さ、そして当時存在した23のアルファベットのうち、19の文字が揃っている点などが挙げられます。ルネサンスの人文主義者がこの書体に注目したことを契機に、歴史の中で幾度も研究、複写されています。

10-4

デザインする文字

-アドリアン・フルティガーと書体「ユニバース」

書体には、それがつくられた背景や、作者のねらいがこめられています。そしてそれは書体の成果品だけでなく、制作途中の部分でもあらわれてきます。
この書体「ユニバース」は1957(昭和32)年に発表された書体です。この原字は、もとは活字の彫刻士であった作者のアドリアン・フルティガーが、自ら描いたものです。
この書体は、彼が生まれたスイスの多言語状況を反映し、複数の言語を同時に扱えるように作られており、ファミリー(文字の太さとセット幅)が豊富なことも特徴です。
アドリアン・フルティガー Adrian Frutiger
1928(昭和3)年生まれ

10-5

デザインする文字

-フォントの「ふさわしさ」とは

コンピューターの登場によって、手軽に様々な書体を選択することが可能になりました。しかし、書体はそれらが生まれた時代や文化背景を色濃く反映しており、自由に書体が選べる時代だからこそ、各々の書体がもつ「ふさわしさ」をよく理解した上で選択することが重要です。
このソフトウェアは、年代別をはじめとして、「暖かい」「冷たい」といったイメージや、本文向け、見出し向けなど様々な要素からそれらに対応する書体を検索することができます。

10-6

デザインする文字

-smtのロゴタイプができるまで

世の中にはたくさんのロゴマーク、ロゴタイプがありますが、それはただのマークではなく、そのロゴを持つ団体や機関のポリシーやメッセージを抱いています。
せんだいメディアテークのロゴタイプはベースとなる書体を配置し、それの太さや文字のかたち、全体的なバランス、様々な媒体で表示されたときのイメージを考えてデザインされています。
実際には、サインや文書の際に用いる書体は、デザイン計画にのっとり和文はヒラギノ角ゴシック、欧文は"Frutiger Roman"を使用しています。この書体のオリジナルは、ロアシー"Roisy"というもので、シャルル・ド・ゴール空港のためのインフォメーション用に設計されたものです。

11-1

よまれる文字

-機械が読む文字

文字は人間がつくりだし、読み書きするものですが、機械が読みとることができる文字があります。バーコードは記号ですが、そのひとつです。
バーコードは私たちの身の回りでよく見かけます。その基本原理がアメリカで発表されたのは1949(昭和24)年のことでした。この技術は、当時小売店で増え続けるお客さんをレジでさばききれなったため、すばやい読み取りと売り上げ管理を両立する必要から開発され、発展しました。
現在では国際的に規格化のもとで活用されているほか、縦横両方の向きで情報量を高めた2次元バーコードも開発されています。

11-2

よまれる文字

-画面の文字を音で聞くメディア

文字は紙の上やコンピューターの画面など、様々なところにあらわれますが、基本的にそれは見て読みとれることが前提です。しかし、コンピューターの画面に映し出された文字に関しては近年のハードウェア、ソフトウェアの技術の進歩により音声読み上げが可能となりました。
この技術によって、目が不自由なかたもインターネットブラウジングや電子メイルを利用して情報の発信ができるようになりました。
しかし、まだすべての情報が読み上げやすく作られているわけではなく、情報を発信する側も、情報を受け手の立場を考え、アクセシビリティに配慮した記載を行っていく必要があります。

12-1

くみあわせる文字

-分合活字とその実用性

漢字は共通する部首をもちますが、部首ごとに活字をつくり、組むことで、膨大な数の漢字をできるだけ少ない種類の活字で印刷するために、工夫されたのが、分合活字です。
フランス人ルグランが考案したもので、中国でのキリスト教各派が布教のため、漢訳聖書発行に役に立つと期待されました。
しかし、組版工程の煩雑さに加え、外国人宣教師にも指摘された組み合わせ時のバランスの悪さや奇異なスタイルなどが問題となり、とくに漢字文化圏の人びとには普及しませんでした。

12-2

くみあわせる文字

-部首のくみあわせから生まれる遊び

おもちゃ大賞を受賞した このゲームは、120の「へん」と「つくり」を組み合わせて、たくさんの漢字をつくりだしていくものです。
ふだん見慣れている漢字も、このゲームのように「へん」と「つくり」に分解された部品としてみてみると、「にんべん」のような使用頻度が高い(=ルール上、強い)部首や、「こざとへん」のように「へん」でも「つくり」でも使うことができる部首などのように、部首を様々なかたちで組み合わせていることに気づきます。

13-1

ならう文字

-文字を習うためのメディア−教科書

文字を習うためのメディアとして、教科書があります。文字自体の書き方を習う「書写」や、その文字を用いて言葉とし、言葉や文章の使いかたや読み取りかたを学ぶ「国語」など、学校の教科にあわせた教科書で学びます。
日本では、1872(明治5)年の「学制」公布のころが、教科書の黎明期となります。また、内容やスタイルは時代とともに変遷します。自由発行制、認可制、検定制、国定制などの制度の変化などの影響も受けました。
またローマ字の教科書のように、ある時代に限定し、発行された教科書などもありました。

14-1

かな文字

-多様な日本語の文字

日本語では漢字のほかにひらがなやカタカナなどの文字が使われています。中国から伝わってきた漢字を使い日本語を書きあらわすために、漢字の音訓の読みで書き写す「万葉仮名」を発明しました。そして平安時代に、漢字を崩していくなかで作られたひらがな(平仮名)と、漢字の一部分・一片を取り上げて作ったカタカナ(片仮名)が生まれ、現在まで引き継がれています。
しかし、漢字の文字種は特に多く、習い、使うまでに時間を要します。そこで国語教育の能率を上げ、日本語を使いやすくするために、漢字の使用を制限してカナ文字を使用すべき、という動きが出てきました。
1920(大正9)年に発足した「仮名文字協会」を前身とする「 カナモジカイ」は、その運動の中心となった団体です。カナモジカイは、分かち書きを用いた文章表記や読みやすいカタカナ書体、そして本展でも出品されている世界初のカナタイプライターなどの開発、普及を行いました。現在も活動を続け、日本語の表記のあり方について一石を投じています。

15-1

うごく文字

- ピーター・チョー ステートメント

" letterscapes"は、動的な多次元環境に取り囲まれた、26のインタラクティブなタイポグラフィの風景を集めたものです。アルファベットの一文字を出発点として、遊び心たっぷりに「マウス主導」で作り上げました。このプロジェクトは「どのようにして文字で遊ぶか(文字を演奏するか)?」ということを問いかけたものです。どの風景の場合も、バーチャルな二次元、または三次元空間の中に文字のフォルムを「再想像」し、ユーザーはゲームをするように、または楽器を奏でるように、文字で「遊ぶ」(文字を「演奏する」)ことができるのです。"letterscapes"は、MITメディアラボ在籍中に完成させたインタラクティブなタイポグラフィ形態に関する研究と、クライアントを相手にした過去数年間の仕事とを組み合わせたものです。

15-2

うごく文字

- 永嶋敏之 ステートメント

現在の文字形態は静的で平らなメディアを中心として形成されていますが、これからのコンピュータを中心としたデジタルメディアにおける文字形態はそのような伝統的文字表現を基礎とした上で、動きや時間などを考慮した新しい形態を模索すべきであると考えます。
本作品は、形態、配置、色彩、大きさなどタイポグラフィにおける基本的な要素を時間軸や鑑賞者のインタラクティヴな働きかけによって動的に変化させることで、より繊細かつ表情豊かな文字表現を獲得することを意図しいます。
また、自分たちの文字を他文字を経由することで呼び出すという「ローマ字入力」いうシステムが私たちと文字との関わりにどのような変化を及ぼすか自分なりに意識しながら制作しました。

15-3

うごく文字

- 山辺真幸 ステートメント

話す言葉を文字に置き換える文化がなかった日本では、他国の文字である漢字を一字一音式に対応させて表記することが試みられた。1200年以上昔のことである。「仮名(かりな)」という、漢字を借用するシステムの中で、元の漢字を意図的に崩す書き方がひらがなの元になった。漢字を大胆に「崩す」ことは単に省略することではなく、借用した漢字から、日本独自の文字を生み出す大きな流れであり、多くの漢字が「崩し」によって新たな形を獲得していった。
「新しいひらがなのための装置」は、「崩し」のアルゴリズム化を試みた作品で、画面上に書かれた文字を「崩す」ことによって、擬似的にひらがな化させるソフトウェアである。近代以前には、現在一般的に使われている46字のひらがな以外にも、多くのひらがながあったと言われ、この作品上でシミュレートすることができる。

15-4

うごく文字

-長岡造形大学真壁研究室 ステートメント

この作品はタイプライター同士を紙で繋いだものになっています。この紙上で二人 の間の言葉のやり取りが文字となって行き交います。
文字は本来、筆圧や文字の大小によって、書き手の感情を表すものです。しかし、 今日使われる文字の多くはデジタル的なもので表情をなくしてしまいました。タイプライターはキーを押す強さにより印刷濃度が変わります。キーが押されるとハンマー が目の前で動き、音をたてて文字を叩きだす。この実存感はパソコンのキーボードと ディスプレイでは感じる事のできないモノです。キーを押す強さ、タイミングにより喜怒哀楽の感情を読み取り文字に反映させます。この感情を持った文字が相手の文字 と出会い、お互いの感情を表した反応をします。喜びと喜びが出会うと喜びは大きくなります。怒りは怒りでさらに増幅されます。怒りと悲しみが出会うと悲しみは消え去り、相手まで届きません。相手の話を聞かずに怒鳴り散らす。そんなコミュニケーションを視覚化した作品です。

16-1

おわりに

-おわりのあいさつ

これで「文字展@smt」はいったん終了です。3回印刷して完成した記念カードのできばえはいかがでしょうか。このカードの中に、この展示のメッセージがいくつもこめられています。
文字の世界はとてつもなく広く、深いもので、この展示にあるものはごく一部の文字たち、技たちです。いつの日かカードを見返していただいたときに、身近な文字たちにこめられている技やこころを感じていただければ幸いです。