フォトゼミを終えて

「フォトゼミからはじめるか。」

以前、「写真のまち」といわれる市の市立美術館で働いていた私は、館が主催する「フォトゼミ」を担当していた。
その時はまだデジカメなど持っている参加者も数えるほどで主流は一眼レフのカメラ。まさにアナログの絶頂だった。
今でも思い出すのだが、担当した1回目、右も左もわからない新人の私は大変なミスをしてしまったのだ。
先生方(写真界の大御所と言われる方々)は午前中、受講生の皆さんへ撮影技術の指導をしてくださり、午後からはご講演をしていただいたのだが、その講演会の終了を予定の時間よりも1時間も長くしてしまったのだ。
むろん「そろそろ締めてくださーい」と何度か言いたかったのだが、相手は大御所でもあり、緊張と言うよりは、こんなことを申し上げて失礼なことだったらという恐怖で、どうしても言い出せず、指をくるくる回しながら、(テレビ局員がやる巻きの合図のように)先生に注意を促すのがせいいっぱいだったのである。上司からはこっぴどくしかられたが、当の先生からは、「いやー少し長いかなと思ったけど、思ったことぜーんぶ話せたからいいんじゃない?」とユーモアたっぷりにからかわれた。
さらに、受講生の方からは、「時間なんてまったく気にならなかった。すごく為になったし得した気分だ」とも言われた。こんなゼミだったらまた受けたいと、次の年は希望者が殺到し会場を変えるほど受講生であふれた。
むろん主催者業としては大きな「ミス」として今でも反省しているのだが、そんな杓子定規な枠の中ではなく、もっと相互が共鳴し、そして窮屈な日常をガツンと飛び越えるようなそんな人と人の出会いこそが、こういったゼミナールの醍醐味なのかもしれない。
今回は次年度からsmtで本格的に開催するプレ講座としてのフォトゼミを開催したが、これが単なる技術の向上だけでなく、また才能の発掘とかだけでなく、生きていくための力の授受みたいなことになれば、それはそれで凄いことなのかもしれない。
フォトゼミからはじめるか。

清水有(フォトゼミ実行委員会メンバー)

「デジタルにひそむ温度」

「アナログからデジタルへ」と銘打たれたこのワークショップで、小林のりお氏の「デジタルキッチン」を中心とした作品についての話を伺うことができた。
そこに存在するのは赤裸々な“日常”であり、まるで他人の日記をのぞき見るような気恥ずかしさ。本当に日常の一コマを切り取っているという印象を受ける。あまりに空気が濃厚なのでこっちがドキドキしてしまうのだ。
一見すると無機質と思えるデジタルな情報に存在する温度や空気。構えずに気軽に撮れるデジタルカメラだからこそ写し出せるものがあり、デジタルにはデジタルの果たす役割があるのだなと思った。
今や、携帯電話にもカメラが付いている時代。すべての人がカメラマン。私もフォルダの奥に隠された写真をもう一度見直してみよう。

大柿ちひろ(フォトゼミ実行委員会メンバー)

「小林のりおさんのデジタル」

小林のりおさんといえば、真っ先に「ウェブ」が思い浮かびます。 通常の写真家は、その代表的な写真の一場面を思い出しますが、小林さんの場合は少し違います。赤と黒で構成されたウィンドウに配置されたデジタルな情報、それをクリックすると場面は次々に変化します。ひとつの場面ではなく、そのようなイメージ全体が小林さんとリンクしているのです。
写真講座「フォトゼミ」の出発点でもある準備号企画で 「アナログからデジタルへ」をテーマにしたことには、いろいろな背景があったと思います。「デジタルカメラの普及が、、」などという小難しい話はもう必要ないと、今わたしたしは、デジタルへ向かう渦の真っ只中にいるのだということは普通に生活していて肌で感じることでもあります。
「そういう意味では今が一番おもしろい時代なのかもしれない」と話をしていた小林さんはとても素敵な方でした。お話を聞いているとパワーをいただいた気がします。小林さんが撮影のテーマとしている「キッチン(台所)」は、その人の視点や生活が怖いぐらい生々しく映し出される場所であり、また、「デジタル」と「キッチン」がこんなにいい相性だったのかと「キッチン」という小さな場所からいろんなことを感じました。またそれはデジタル情報であるのですが、小林さんのデジタルキッチンからは、なぜか「やわらかさ」みたいなものが伝わってきたのが不思議でした。

原田紀子(フォトゼミ実行委員会メンバー)