せんだいメディアテーク

ページの本文へ移動する

ページインデックス

イベントカレンダー

館内の催し物の予定を見ることができます

プロジェクトリスト

今年度メディアテークでおこなわれている取り組みの一覧です

アーカイブ

さまざまな人々とメディアテークの協働による創造・発信の成果や記録を公開しています

プロジェクトリスト | メディアスタディーズ

2017年02月07日更新 「カミングアウト/クローゼット」 「カミングアウト/クローゼット」:【OUTのその後・2】「表に出たら消費されるので、消費されることに慣れて利用しなければならないって思ってます」

【OUTのその後・2】

「表に出たら消費されるので、消費されることに慣れて利用しなければならないって思ってます」

ヒノヒロコ

1992年生まれ

宮城県仙台市出身・在住

アーティスト

シスジェンダー レズビアン

http://outinjapan.com/hiroko-hino/

 

 

<生い立ち>

●どんな子供時代だったんですか?

 

ブサイクで気弱で。友達もいなくて、独りで絵や文章ばっかり書いてるような子供でした。

小中学校ではすごいいじめにあってて。上履き隠されたり画鋲入れられたり、池に突き落とされたり、思い出したくもないような言葉でなじられたり。本当に人として扱われてなくて。ゴミみたいな。ブサイクだとまともに扱ってもらえないんだなって、すごく感じてましたね。

高校はキリスト教系の女子高に入って。いじめはなかったんですけど、女同士のカーストがあって、女同士でもやっぱり綺麗じゃないと誰も見てくれないんだなあって、ずっと思ってました。それに私、美術部だったんですけど、美術部なんてのもやっぱりカースト最底辺で(笑)。ギャルにすごく憧れてましたね。「小悪魔ageha」(※ギャル雑誌)とか読んで。ギャルっていう文化がすごくうらやましかった。ギャルって、可愛くても可愛くなくてもピラミッドに頂点にいられるから、私も派手にすればあのカーストを登り詰められるんじゃないかって思って。と言っても、私服はすごいダサくて(笑)。母がすごく厳しかったから、ファッションに自分のこだわりがあっても許してくれなくて、ギャルになりたくてもなれなくて。高校3年間、ひたすら地味に地味に過ごしてました。あ、でも、制服のスカートは美術部のくせにすごく短くしてて、目つけられてた(笑)。スカート短いの好きだったんですよね。強い女性に対する憧れが強くて、その象徴みたいなかんじで。

 

 

●女性を恋愛対象として意識し始めたのはいつ頃ですか?

 

小学生のころ、同じクラスの髪の短い女の子を好きになって。でも何かアクションが起こせたわけでもなかったんですけど。一回だけ行動したのが、卒業アルバムのクラス写真撮るとき。どうしてもその子とのツーショットが欲しい!って思って。横並びじゃなくてもいいから!って。で、その子の後ろに立って撮って。それが唯一の積極的な行動ですかね。

 

 

●中学生の頃に、初めての彼女ができるんですよね。

 

中学校の同級生だったんですけど、ちょっと教祖みたいな、カリスマ的な子で。面白くて明るいんだけど、自傷行為で全身傷だらけ、みたいな。私、その当時、すごく暗い子だったので、私のこの苦しみや悲しみを分かってくれるのはこの子しかいない、って思い込んで、すがりついて。もう共依存でドロドロ、みたいなかんじでしたね。で、中学校を卒業してからも、くっついたり別れたりを繰り返すんですけど、考えてみると「付き合えた」のなんてほんの数カ月で。その子にはずっと彼氏がいて、私は2番目で、ずっと私の片思いで。その子、たまにしか連絡くれないんですけど、呼び出されたらすべてをなげうって飛んで行ったり。

 

 

●それって、ヒノさんにとって「恋」だったんですか?

 

すごい、好きでしたね。レズだって言うようになってから、その感情は「依存」や「憧れ」なんじゃないの?って、一番よく聞かれるんですけど、じゃあ逆にヘテロの人たちの恋愛だってそれは「依存」なだけなんじゃないの?とか、大多数の女の人が男の人に恋をしているから、男の人が好きなんじゃないの?って、私は思っちゃうから。だからたとえ「依存」だったとしてもあれは「恋」なんじゃないかと思います。

 

 

●学校の方は、高校を卒業して、尚絅学院大学(宮城県名取市)の総合人間科学部表現文化学科に進学するんですよね。

 

ずっと、独りでやれるものが好きだったので。本を出すのが夢で、小説を書いたりしてて。それで表現文化学科に進学しました。

ちなみに、初カノもその学科に行きたいって言ってて、一緒の大学だってウキウキしてたんですけど。でもその子は結局来られなくなっちゃったんですよね……。

それで、大学に入ってからも、作品をいろいろなところに応募してました。あるとき、学内の映画祭でポスターの公募があって、ポスター描いてキャッチコピーつけて応募したんですけど、広告代理店に勤めてらしたことのある先生が、そのキャッチコピーをすごくほめてくださって。君は言葉のセンスが良いから、もうちょっと文章を頑張ってみなよ、って言っていただいて。それでまたいろいろ書いてみたりして。

 

 

●大学卒業後、東北芸術工科大学(山形県山形市)の大学院に進学したわけですよね。進学を選んだ理由は何だったんですか?

 

最初はちゃんと真面目に就活しようと思って、エントリーシート書いたりしてたんですけど。書いたエントリーシートをまずゼミの先生に見せたら、「俺はヒノさんに言いたいことがある」って言われて。「何ですか」って聞いたら、「ヒノさんはまだ社会に出るべきではないと思う」って。待て待てどういうことだ!って思ったんですけど(笑)。「ヒノさんは社会性がまずないよね!人としゃべれないしね!コイツなんか面白いこと言ってるけどウチの会社入ってもらってもやらせることないよねって思われて絶対最終面接落ちるよ!」とか言われて。で、「とりあえず2年間執行猶予あげるから、大学院で、何がしたいのかとか、自分の人生どうするかを考えなさい」って、大学院進学をすすめられたんですよね。それがきっかけでした。

 

 

●話変わって、ご家族との関係はどんなかんじだったんでしょう。

 

父と母と、2つ下の弟の4人家族なんですけど、すっごい堅い、厳しい家で。と言っても、お父さんはけっこう優しくて、ちょっと甘いくらいなんですけど、お母さんや母方の親戚がすごい厳しくて。ずっと親の言うことを聞いて、男の人には何を言われても三歩下がってなさい、みたいな。化粧とかもしちゃダメって、ずっと言われてたんですよね。

で、大学生のとき、金髪にしてみたら、すっごく怒られて家に入れてもらえなかったことがあって。親の言うことばっかり聞いてても何もできないって、お母さんの言うこと聞いてたら私は一生お母さんの言いなりだと思って、独り暮らしを始めたんです。仙台市内で家賃激安のアパート探して、アルバイトしまくって家賃払って。でも大学1年生の春休みに、東日本大震災が発生して。アパートにあった7段本棚3つ全部倒れて、本の下敷きになって、危ないから帰って来なさいって呼び戻されて、実家に戻りました。震災がなければ絶対、ずっと独り暮らししてたと思うんですけど。

発災直後の頃は、家族みんな四六時中同じ狭い家の中にいるから、ストレスがすごく溜まって、小競り合いがすごくって。で、当時やってたブログに辛いとかもうダメだとか書き込んだら、被災者じゃない東京の人から「戻れる家があるのになんでそんな贅沢なこと言うんだ」みたいなコメントが来て、ああ、家を失ってないと愚痴を言うことも許されないんだ、って。確かに実家は、家自体は大丈夫だったけど、買い物もできないし、断水で水なくて雪溶かしてラーメン作って食べたり、ガスもなかなか復旧しなくて1カ月お風呂にも入れなかったし、その東京の人のコメント見たときは、お前ホントふざけんなよ!お前も雪溶かしてラーメン作って食ってみろ!って思いましたね本当に。すごかったですね、あの頃は。で、結局そのまま実家暮らしで、現在に至るんですけど。

 

 

<アート活動>

●レズビアンという、自身のセクシュアリティをテーマにしたアート作品を発表しているヒノさんですが、大学の卒業制作もヒノさんが恋していた女性をテーマに取り上げたインスタレーションだったんですよね。

 

そうなんです。といっても、そのときはあくまでフィクション、創作物としての展示で、その展示を通して自分のセクシュアリティを明確に示したというわけじゃなかったんですけど。ゼミでも結局カミングアウトまではしませんでした。展示を見ても、誰もその点について触れてくる人いなかったし。

卒業制作や論文のテーマを考える時期に、私、すっごい憧れてた女の人―初カノとは別の人ですけど―と連絡が取れなくなって、ショックで自殺未遂したりしてたんですよね。でも生き返っちゃって、もう生きるしかないって思って。それで、その人のこと、私ずっと神様だと思ってたから、神様の代わりになるものをつくらなきゃって思って、身長も体重もその人とまったく同じの、その人そっくりのダッチワイフをつくったんですよね。その頃、人が怖くて外に出られなくて、アーケード人がいっぱいで怖い、具合悪くなる、みたいなレベルだったんですけど、粘土買うためだけに外に出て、後は毎日家に閉じこもって、ダッチワイフつくって。でも手足や膣があると男の人のところに行っちゃうから、手足も膣もないつくりにして。誰かに利用されることのない存在をつくりたかったんですよね。

で、ゼミ中の与太話でダッチワイフつくってる話をしたら、先生に「それ面白いよ!卒業制作にしなよ!」って言われて、そのダッチワイフをメインにしたインスタレーションを制作することになって。

その頃はそのダッチワイフのことしか見られなくなっちゃってて、それがすべてだったから、その子のお部屋をつくってあげよう、って思って。まず、その人に振られるまでの話を絵本にして、その絵本の世界をインスタレーションで表現するっていう個展にしました。この個展をポートフォリオにして面接受けて、東北芸術工科大学の大学院に入ったんです。

 

 

●大学院でもセクシュアルマイノリティ・LGBTを研究テーマに設定したんですよね。

 

一応、大学で4年間やってた地域アートやりますって言って入学したんですけど、実は地域アートには興味なかったんですよね。でも、入ってみたら大学4年間本気でアートに取り組んできたレベルの高い人ばっかりで。本気でやってる同級生たちを前にして、申し訳なくて号泣してしまって。先生に「お前は何がしたくて大学院に入ったんだ」って聞かれても分からなくて、ひたすら泣いて。そうしたら「自分って何なのかまず考えろ」って言われて、「女が好きです」って言ったら、「じゃあそれを研究テーマにすればいいじゃん。面白いじゃん」って。それで研究計画書練り直して、セクシュアルマイノリティ・LGBTをテーマに設定しました。その先生、大学院で一番偉い先生で、歳も60近かったんですけど、そんな受け入れてくれなさそうな世代の人に面白いって言ってもらえたのがすごく嬉しくて、一番の自己肯定につながりましたね。

 

 

●大学院で、それまで縁のなかった身体表現、パフォーマンスアートを始めたきっかけはなんだったんですか?

 

身体表現って、「人間に残された最後の芸術」って呼ばれてるんですよね。人間が自分の身体を使って何かを表現する、っていう、誰でもできることだから。大学院の同級生たちと比べて赤ん坊レベルの技術しかない自分が表現できる媒体って、そのときはそれしかなかったから、死に物狂いでやりました。

 

 

<カミングアウト>

●小学生の頃から女の子に恋していたヒノさんですが、「レズビアン」だと自覚するようになったのっていつ頃なんですか?

 

大学生くらいまでずっと、自分はバイセクシュアルだって思い込もうとしてて。うちのおばあちゃんがすごく厳しい人で、ヒロコ結婚どうするんだ!とかすごい言われてて、いつか男の人と結婚しなきゃいけないって思ってたので。男の人と結婚するとき、男の人を好きになれないなんて言ったら絶対ヤバいと思って。けどやっぱり、女の人にしか惹かれないし、男の人を頑張って好きになろうとしてみたりもしたんですけど、やっぱり興味持てなくて。それで大学入る頃には、やっぱり自分はレズビアンなのかなあ、って思ってましたね。

 

 

●周囲へのカミングアウトについてはどんなかんじだったんですか?

 

十代の頃は、本当に親しい友達にだけ、女の子と付き合ってることを言ってました。

高校のとき1カ月だけ、アメリカに交換留学で行ったことがあって。そのときコーディネーターしてくれて、すごく仲良くなった留学生の女の人、尊敬してたし大好きだったんですけど、最終日の食事会で「こっちってさあ、女好きな女もたくさんいるんでしょ?」みたいなことを同級生が言い出して、そうしたらその人が「いるよー!私なんて迫られたもん!」みたいなノリで返してて。その話を聞いて、アメリカでもレズは生きづらいのかって思って。こんなふうに言われるんだったら、絶対人に言えないなって。

大学入る頃には、「女の子が大好きなヒノちゃん」、「レズとかよく分かんないけど女の子大好き!」みたいな枠で逃げ延びてましたね(笑)。

大学院でカミングアウトしたきっかけは、1年のときの4月のはじめ、同級生の女の子と大学の卒業制作の話になって。こういう作品つくったんだって言ったら、それって女の人?その人のこと好きだったの?って聞かれて。よく言われる「えーレズなの?」みたいなのじゃなくて、すごく純粋なかんじだったから、自然と頷けたんですよね。その数日後に大学院で一番偉い先生にもカミングアウトして、「面白いじゃん」って言ってもらえて、それでセクシュアルマイノリティ・LGBTを研究テーマにすることになったというわけです。研究テーマにしたから、後はもう言わなくても大学院中が私のセクシュアリティについて知ってる状態になりましたね。

 

 

●大学院修士課程1年のときのレビュー作品「レズビアン・フリークスの誕生」は、テーマもまさに「カミングアウト」ということで。男性と望まない結婚をするレズビアンの女の子たちのウエディングドレスにヒノさんがレインボーカラーのゲロを吐くという、パフォーマンスアート作品ですよね。最近のLGBT系の記事では、何かというとやたら女性2人のダブルウエディングドレスの画像が使われて、ひとつの象徴みたいになっていますが、でもそんな中でヒノさんは、純白のウエディングドレスにゲロを吐いてみせていて、それがすごく印象的でした。

 

純白のウエディングドレスって、私がずっと感じてた、実際祖母に言われてたみたいな、現代日本社会において求められている女性像の象徴、みたいな感じがすごく強くて。絶対男の人と結婚しなきゃいけない、って思ってる、昔の自分みたいな女の子たちの、むりやり白くしている身体に、レインボーカラーを塗りつけることで本当の自分の色を取り戻すっていう、そういう意味合いがあります。処女性の押し付けが苦手なんですよ、昔から。

 

▲《レズビアン・フリークスの誕生》

 

●最近のLGBTムーブメントの中では、ダブルウエディングドレスに象徴されるような、レズビアンに対する清らかさ、良妻賢母の押し付けというか、美しい女性同士のカップルで、浮気なんか一切せず、子供産んで育てて仕事もして、みたいなのがすごくありますよね。同性婚がこれだけ話題になってるのに、貞操義務とか浮気したときの慰謝料とか、そういう話は全然出ないし。レズだって浮気で揉めたりしてるのに。

 

社会性がある苦しみしか、みんな拾ってくれないよねっていうのは、すごく思ってますね。

 

 

●「レズビアン・フリークスの誕生」などのパフォーマンスアート作品はYouTubeにもアップして、広く社会に公開していますよね。

 

もともと、私の作品は問題提起をするためにつくっているから、人々の前に出して何かしらのアクションをもらわないと作品が完成しないというところがあるので。それでYouTubeにアップしています。

 

 

●作品を人前に出すということでは、大学院生のときの「東京レインボープライド」出演もありましたね。

 

「レズビアン・フリークスの誕生」のレビューを見てくださった大学院の一番偉い先生に、「どんどん外に向けてやりなさい」って言われて。「内に閉じこもってていい作品じゃないから」って。それでネット検索して、ちょうどステージ出演者募集してた「東京レインボープライド」に申し込んだら通って。ウエディングドレスをトランク一杯に詰めて、ダンサー引き連れて行きました。それまでアートの場でしかやってなかったから、「東京レインボープライド」みたいなハレの場、明るく楽しいお祭りの場で受け入れてもらえるかな?っていう不安もあったんですけど、意外と、面白かったよって言ってくれた人が多かったみたいで、ありがたいなあって思いましたね。

 

「東京レインボープライド」でのパフォーマンス 《ドロシーのお友達》

 

●カミングアウトということで言うと、ヒノさんは作品の中で「男性嫌悪」をストレートにカミングアウトしていますよね。最近のLGBTムーブメントで、カミングアウトがもてはやされている中で、でも「嫌い」とか「キモい」っていう負の感情のカミングアウトについては置き去りにされてるなあっていう感覚が、私にはずっとあって。負の感情だってその人の重要な一部分のはずなのに無視されてるなあって。男性嫌悪のレズビアンとか、女性嫌悪のゲイなんてたくさんいるのに、そういうこと言っちゃいけないような空気をすごく感じてて。でもそんな中で、ヒノさんがレズビアンとして男性嫌悪をストレートに表現していることが、私にはすごく印象的だったんですよね。

               

男性嫌悪は、もうずっとで。小中学校ではずっといじめられてたし。ただの敵。しゃべりたくないし。負けたくないとか、勝ちたいっていう気持ちもありましたね。男の人に何をされても、私は勝つし、なんなら利用してやるし、破滅すればいいのにみたいな。大学院入ってからほんのちょっとだけ、ああ男の人も人間なんだなあって思えたんですけど。男の人でも、いろんな理由で社会からつまはじきにされた人たちが集まってたので。そこからちょっと人扱いというか、しゃべれるようにはなったんですけど。

それまでずっとゴミみたいに扱われてたのに、大学生になって化粧を覚えたら、今度は掌返したように、男の人が街で声をかけてきたりするようになって。アーケード歩いてたらいきなり脚とか触られたりして、何で、勝手に脚とか触ってくるんだろうって思って。それが許されてると思ってる、男の人の傲慢さがすごく嫌でしたね。人間として扱い始めたと思ったら、今度は性欲の対象としか見てこないってところに本当にイライラして。もうみんな死ねばいいのにみたいな。

自分の見た目ひとつで、世界が変わったのは嬉しかったけど、それで消費されたくなかったので。私のことを消費してもいいけど、お前らのことは全員滅ぼすぞ!みたいな気持ちがずっと強かったですね。

大学院の卒業制作展でも、展示してた私の下着姿の写真だけ写真に撮っていく男の人とかいて。性的消費に対するアンチテーゼなのに、目の前で私を性的に消費しようとしてる奴がいる!って。卒業制作展の期間中は精神的な摩耗がすごくて。私のいるコーナーに男の人がわざわざ来て、「こういう格好するってことは、やっぱり男のテクニックを欲しがってるんだろう?」みたいなこと言われたことがあって、こんなにレズって言ってるのに、まだそんなふうに言う奴いるか!って思ってビックリして。賛否両論あるだろうなとは思ってたんですけど、そういう根本的な話からしなければならない段階が、やっぱりまだあるんだなっていうことを、すごく思いましたね。

 

 

●「男は敵」と考える背景には、「女を取られる」っていう気持ちもあったりしました?

 

初カノがノンケだったんですよ。次に好きになった女の人にも、「私は男が好きなんだ」って言われたりして。男になりたいじゃなくて、私が男だったら、彼女たちの彼氏とかそういう奴らに負けないのにっていう気持ちは、すごいありましたね。

 

 

●話変わって。アート活動をするにあたって、本名(戸籍名)を使っていますよね。活動名を使うという選択肢もあったと思うのですが、あえて本名を使っている理由というのは何なんでしょう。迷いはなかったですか?

 

やっぱり、本名を名乗ることで責任が伴うと思っているので。レズが本名を公開してこんなことをやってるよ、でも私は別に殺されてもいないし死んでもいないよ、と人に言える、これが一番良いんじゃないかと思ったので。

でも、最初に本名も出して大学名も出してマスメディアの取材を受けたときは、やっぱりすっごく勇気がいりましたね。大学院生の頃だったんですけど、すごく緊張しました。今ではずいぶんいろんな取材受けさせていただいてますけど、記事になったのを見たとき、何でこことここ切り取っちゃったの?みたいに悪意感じることもあります。そういうときはすごく悲しくなるし、とらえ方で私すごく強気な女の子になったり、逆にすごく真面目になったりもして。そうやって消費されてるわけですけど、でも今、LGBTが脚光浴びてるうちにガンガン消費してもらって、消費され尽くした後に、本当に興味のある人が自分のところに残ってくれて、自分のことを知って掘り下げてくれるようになったらいいな、と思って、ある程度は覚悟してやってます。利用しつつ、利用されつつ、みたいな。どんなかたちであれ、表に出たら消費されるので、消費されることに慣れて利用しなければならないって思ってます。

ただやっぱり、自分の家族は巻き込みたくないっていうのはあって。私、弟のことが大好きで、弟が嫌な目に遭うのは嫌だから。だから、苗字も本名も公開してるけどカタカナ表記、っていう、微妙なラインでやってます。家族は巻き込みたくないし、表に出す気もないし、自分ひとりで完結させたいっていうところはありますね。難しいですね、すごく。 

 

 

●その、ご家族に対するカミングアウトについてはどうだったんでしょう。

 

弟は私が言う前から知ってました。というのも、弟も東北芸術工科大学に通ってたので、私の大学院での活動を見聞きしてたんですよね。大学院での周りの反応がすごく肯定的だったので、「お前の姉ちゃんスゲエな!」みたいなかんじで言われてたみたいで、弟もちゃんと肯定的に受け止めてくれてたのが、すごく嬉しかったですね。でもうちの弟、現代アートは大嫌いなんですけど(笑)。

母には弟の食卓での発言がきっかけでバレました。私のアート活動が新聞に載ったとき、その話を弟が食卓でしたことがあって。で、うちの母、けっこうヒステリックなので、「うちの娘が新聞に?!」ってなって、私が寝てる間に、アトリエに使ってた部屋を家探ししたんですよ。そして、私が机の引き出しの奥に隠してたその新聞記事を見つけて。本名でレズビアンだって書かれて出てたもんだから、「あんたってレズビアンなの?!」って、私が寝てる部屋にバーンッて入ってきて、寝てるところを起こされて。バレた、もう殺されるって思って泣けてきて、ごめんねって言ったら、「自分の娘だもんね、受け入れなきゃね」って言ってくれて。まさかそんなふうに言ってくれるなんて思わなかったから、それがすっごく嬉しかったです。もう病院に連れて行かれると思ってたので。

嬉しかったんですけど、でも結局お母さんは、自分が受け入れてるって思ってるんだけど、すごく差別的な発言をしていることがけっこうあって。「女の人と結婚するなんて絶対言わないでよ!」とか普通に言っちゃうし。「あなたがレズビアンだって新聞に載ることで、お父さんが何て思われるか考えたことある?」って言われたときには、「それはあなたが、私がレズビアンであることを恥ずかしいと思っているからそういうことを言うんですよね」って返したら「お母さんのことバカにして!」って超キレられました(笑)。

お父さんは、言ってはいないけど、分かってるんじゃないかなと思います。お父さんとは仲良しなんです。

 

 

●大学院を修了して、現在は仙台でアート活動のかたわらウェブデザイナーとして会社勤めされてるんですよね。会社ではカミングアウトしてるんですか?

 

面接っていうほどの面接もなく入ったし、自己紹介でレズですって言うのもアレだなあって思って、言う機会もないままズルズルきてるうちにジワジワバレてるってかんじです(笑)。ネット検索でOUT IN JAPANの写真とか取材受けた記事とか、意外とみんな見つけて見てるみたいで。見たよ、あれヒノさん?って言われて、あ、言う前にバレた!って(笑)。でも、女性が多い職場だし、ウェブデザインっていうのもあって、穏やかな人が多いので、特に何事もなく働いてます。

 

 

<地元仙台にいる理由>

●ちなみに、修了のタイミングで地元仙台を離れるという選択肢もあったと思うのですが、ヒノさんが今仙台にいる理由って何なんですか?

 

この東北で、私はありがたいことに大学院という土壌の中でカミングアウトを割と難なくやらせてもらえたから、恩返しというほどでもないんですけど、私に利用価値があるうちは利用してもらえたらと思って。

あと私、山形で初めてカミングアウトをしたわけなんですけど。東北芸術工科大学の卒業制作展に、テレビ見て知ったっていうおばあちゃんが来てくれたことがあって。よくカミングアウトされたわねって。いろんな大変なこともあったでしょうけど、こんなふうに作品をみんなの前で出すっていう、勇気あることをしてくれてありがとうねって言ってくれて。本当に嬉しくて。もう泣くわ!って(笑)。閉鎖的みたいによく言われるんですけど、だから私、山形がすごい好きなんですよね。東北でできることって、まだまだあるよねって思うし。あと私、不幸だと力が湧いてくるタイプなので(笑)。不幸をエネルギーに変えて、やってやろうと思ってます。

 

 

●地元といえば。大学院生の頃からここ仙台で「LADY EDEN」というウーマンオンリーのクラブイベントを主催されているヒノさんですが、そもそもイベントを始めたきっかけって何だったんですか?

 

私、仙台にレズビアンの友達がいなくて。友達が欲しかったんですよね。イベントやれば友達できると思って。知り合いの知り合いに、仙台でノンケのクラブイベント主催してる人がいて、いろいろ聞いてみたら、自分にもできそうだなって思って。ダンサーやってる女友達も、出たい!って言ってくれて。でも仙台のレズビアンコミュニティに誰も知り合いがいない状態で始めたから警戒されちゃって、最初はツイッターで叩かれたりもしましたね(笑)。

 

 

●まあ、主催者がヤバい人だと下手したら身の危険があるから、特に女性はどうしても用心深くなるし、警戒しちゃうってのはありますよね。
ちなみに、ヒノさんのレズビアンコミュニティ・デビューってどんなかんじだったんですか?

 

私、仙台にレズビアンいないって思ってたんですよ。だから「レズビアン 仙台」でネット検索することすらしなくて。「レズビアン 東京」でネット検索して、大学生のとき、21、22才くらいの頃だったかな、東京の新宿二丁目(※ゲイタウンとして有名なエリア)に行ったんです。二丁目に行かないと出会えないって思って。同志が欲しくて。その頃って、例の憧れの人と連絡が取れなくなってた時期で、髪バッサリ切ったり、新しいことにどんどんチャレンジしなくては!って思ってたんですよね。その人のこと忘れなきゃって。

そうしたら二丁目でなぜか、ヘテロの男の人に絡まれて。どこ行くんですかって。28才くらいの、「おぼっちゃまくん」みたいな顔してる小太りの男の人だったんですけど。で、「女の人を好きかもしれないので、そういうお店に行ってみようと思って」って正直に言ったんですよ。それがたぶん生まれて初めて、男の人に、自分が女の人を好きかもしれないって言った瞬間だったんですけど。そうしたらその人が「じゃあ俺もついていきますよ!」って、ずーっとついて来られて。結局オカマバーみたいなところに入ったんですけど、観光系のお店で。その男の人とすごい、くっつけようとしてきて。お店の人が。女の子と出会いたかったのに!って思いながら、スゴスゴと帰ってきたのが、二丁目デビューでしたね。

初めてウーマンオンリーのクラブイベントに行ったのは、大学院に入ってから。コミュ障で、それまではイベントも怖くて行けなかったんですけど、大学院の研究テーマをLGBTにしてからは、頑張って人と関わらなければならない!って思って。パフォーマンスってやっぱり、人の力を借りないとできないものだし。それで、新宿二丁目の有名なウーマンオンリーイベントに行ってみました。そうしたら会場に入った瞬間、すごい人で。こんなにレズいるの?!って思って。すごい!こんなにレズが楽しそうに生きてる!って、もう感動で。レズのゴーゴーダンサーも、そのとき初めて見たんですけど、みんなメチャクチャ綺麗で、こんな綺麗なレズがいるのか!って。みんなすごいダンスが上手で、すごい楽しそうに、自信を持って踊ってるのが、すごいキラキラしてて。ああ、こういうふうになれたら、っていう思いが、「LADY EDEN」には詰まってるんですよね。

イベントといえば。大学院の卒業制作の「レズビアンの日記」は、本当に私のありのままの毎日を写真に撮って作品にしたもので、イベントのときの写真もあったんですけど、それを見た学部生の子が殴り込みに来たことがあって。レズビアンイベントの写真なんか出したら、すべてのレズがこういうふうだと思われるじゃないですかって言われて。でも、実際こういうイベントもあるし、ちゃんとレズにも性欲があるし、こういう楽しみ方もあるんだって出したくて提示したんですけど、それでもこんなに拒否反応があるんだってことにビックリしましたね。

 

▲《レズビアンの日記》

 

●イベントの写真を展示しただけで、そんなふうに言ってくる人がいるんですね。

 

いますいます、全然います。

 

 

<OUT IN JAPAN>

●それではOUT IN JAPANの話に移りましょうか。
OUT IN JAPANの被写体になったヒノさんですが、実は2016年3月21日開催の#008仙台撮影会ではなく、2015年12月18日開催の#006東京撮影会で被写体になったんですよね。わざわざ東京まで行って、帰ってきたら直後にまさかの仙台撮影会決定という(笑)。

 

そう!まさか仙台で開催してくれるなんて思わなくて!くやしい!私も仙台で撮影したかった~!(笑)

 

 

●わざわざ東京に行ってまで被写体になった理由って何だったんですか?

 

「あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。」っていうコンセプトがすごくいいなって思って、嬉しくて。

あと、今までやっぱり、「男に相手にされなかったからレズになった」「レズはブス」みたいなイメージが強い中で、きちんとプロの方にメイクしてもらって、なおかつそれが「ありのままの姿」っていう、綺麗に加工するんじゃなくて、自分のそのままの素の姿をめかしこんでくれる、っていうのをやってくれて、提示するっていうのがすごいなって。LGBTブームが来た中で、これだけ当事者がいるんだよって、だから法整備も必要だし、これからどんどん着目していかなきゃいけないんだよ、って周知させるっていうのをやってくれるのが、頭いい!やりよる!(笑)って思って。

ちょうどその頃、自分がオープンにすることで、人を励ますこともあるんだって実感する出来事があったのも大きかったですね。「ヒロコが頑張ってる姿を見て、変にコソコソしなくて良いんだと思えるようになった」って言ってくれた友達がいて。バイの女の子だったんですけど。それが本当に嬉しかったんですよね。

あとOUT IN JAPANって出身地書くじゃないですか。仙台にもレズがいるんだよっていうのも分かってもらえるかなって思ったし。やっぱりいろんなものの発信って東京から始まるから、地方ってその次みたいなところがあるから。地方にも当事者は絶対いるんだよっていうのを提示できるっていうのも良いかなあって思って、東京に行って撮影会に参加しました。

 

 

●いかがでしたか?OUT IN JAPANの撮影は。

 

ハレの場だと思いましたね。今まで頑張ってきた自分を認めてもらえたような気持ちになりました。

あとは、ひさびさに服を着た撮影をやったなって(笑)。袖がある服とか、あったかみのある服って、私にとって丸裸の状態に近くて。肌を出していた方が、威嚇できるし攻撃できる、みたいなところがすごく強かったので。本当に「素の自分」みたいなかんじで。

それまでにも、美術モデルとかヘアモデルとか、いろいろモデル活動はやってきてたんですけど、OUT IN JAPANの撮影は、見せかけの精巧さであったり美醜じゃなくて、ありのままの自分を出すところがいいなって思いました。

 

 

●実は私が最初にヒノさんのOUT IN JAPANの写真を見たときの印象が「アルプスの少女ハイジ」で。ちょっと照れたような、ピュアで素朴な少女ってかんじで。あの写真を見た後でヒノさんのアート作品でのランジェリー姿とか見た人は衝撃を受けるだろうなって思いました(笑)。

 

作品とか、インタビュー受けたりするときは、意識的にすごく、強い女性像を押し出してるんですけど。本当はすごい、人としゃべるの苦手だし。OUT IN JAPANの写真は、そういう素の自分が全部出てるから、恥ずかしいなって思います。

 

 

●写真に添えられているメッセージも、かなり重い内容ですね。

 

大学院のみんなが、生まれて初めて、自分が丸裸になって頼っても、笑ったり許してくれたりするっていう人たちだったので。そういう人たちも見るものだから、本当に素直に書いたものじゃないとすぐ見破られるし。それに、見た人の心に響く、爪痕が残る文章ってどういうのだろうって考えたら、やっぱりあるがままを書こうって思って書きました。

 

 

●写真がネットに公開されて、周囲の反応はいかがでしたか。

 

友達に言われたのが「盛れてない」って(笑)。「あるがままだから盛れてないよね」って。

 

 

●確かに(笑)。ところで、OUT IN JAPANの写真はTwitterやfacebookなどSNSのアカウントのアイコンとして使える仕様になっているわけですが、ヒノさんは使ってないですよね。どうして使わなかったんですか?

 

私は、SNSって全部コンテンツだと、コンテンツとして消費されるべきものだと思っているので。「レズのツイッター」みたくよく言われる中で、「あるがままの姿」だと弱いなって。自分自身の本当の姿って、自分でもすごい弱いなって思うから。そういう、弱い姿を人前に出すっていうのが、OUT IN JAPANの中でだったらコンセプトにも合ってるし良いと思うんですけど、自分をひとつのコンテンツとしたときには、それを表に見せるべきではないかなって。

みんな、面白くないと見てくれないから。すごいビックリしたのが、「ヒノさんのツイッター見て、レズにも面白い人いるんだなって思いました!」って言われたことがあって、いるよ!めっちゃいるよ!!って思って(笑)。レズビアンに対するイメージって勝手なイメージが多くて。やっぱり、クローゼットな人が一般的ですしね。美人のレズビアンなんてたくさんいるのに、みんなモテないからそうなったんでしょ?みたいなことを言われ続ける中で、じゃあヘアモデルやってやるよ!お前らの言うキレイってこういうことでしょ?これやればいいんでしょ?みたいな、そういう気持ちが強いんですよね。

 

 

●ヒノさんのTwitter拝見してると、確かにすごく、エンターテインメント性出そうとしてるのを感じますね。
でも実はヒノさんの将来の夢って、可愛い彼女と結婚して赤い屋根のおうちで一緒に暮らして子供育てることなんですよね?

 

私本当に、この24年間、テンプレートな幸せって一度も実感したことがなくて!幸せになりたいんですよ!なれないんですけど!まずは赤い屋根のおうち建てなきゃ!そのためにもっと稼がなくっちゃ!

 

 

●頑張って稼いでください!

 

 

2016年10月20日 せんだいメディアテークにて

聞き手:MEME

 

 

 

 

※言葉の使い方について

言葉の使い方や選び方、語意の解釈については、語り手や時代によって違い、世代ごとにもニュアンスが異なることがあります。今回のインタビューでは、いまこのときの言語感覚を記録するため、語り手一人ひとりの言葉の使用方法を尊重して掲載しております。

 

※用語について

レインボーアーカイブ東北の記事には、耳慣れないセクシュアリティに関する用語がたくさん出てきます。下記のページにて、それぞれのおおまかな意味合いを解説していますので、ご覧ください。

レインボーアーカイブ東北による用語解説

http://recorder311.smt.jp/series/rainbow/#yougo