報告 2018年01月25日更新

まち・ひとスケープ


「まち・ひとスケープ」#011

【栄養改善は古くて新しい課題】

2017年12月7日(木)せんだいメディアテーク7階プロジェクトルームで第6回ミーティングを開きました。仙台CAT-Vと「まち・ひとスケープ」とで映像提供に関して、どういう形で取り決めるのがよいか話した後に、「ひとスケープ:宮城県の栄養行政の変遷~その2」(仮タイトル)の第2回取材。

前回に引き続き、木村豊子さんにインタビューしました。

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今回は、第2次世界大戦から15年過ぎ昭和35年に宮城県の栄養士となられた頃からの木村豊子さんの歩みをお聞きしました。

「昭和30年代後半は、戦後の食糧難・栄養不足・確保の時代から、地域社会も少しずつ落ち着いてきました。1964(昭和39)年の東京オリンピック開催によって、日本人の体位、体力を強化することの必要性が明確になってきた頃です。栄養改善と体力づくりの時代へと移り変わる社会の中、地域住民の栄養確保と健康増進を地域住民の生活の近くで推し進めるために市町村に栄養士を配置することが模索された時代でもあります。その点では、宮城県は全国に先駆けて、のちに宮城方式と呼ばれる方法で市町村栄養士の配置を行った栄養行政先進県でした。限られた財源の中、国の補助金と県費で、まず保健所に非常勤栄養士を採用し、栄養改善に熱心な市町村に1年間派遣し、後日の正規市町村栄養士配置につなげるという方法です。非常勤派遣栄養士には様々な研修・支援・指導を行いました。その結果、地域における栄養士活動が評価され、少しずつ栄養士を置く市町村が増えていくことになりました。こうして、手探りしながら自らの「行政栄養士」としての道を拓き、耕しながら、さらに若い栄養士を育てる道のりを歩んできました。

手ごたえは、栄養改善活動を地域で担ってくれる地域のリーダー食生活改善推進員の人々を養成・育成し地域栄養改善を拡大していったこと、あるいは健康にかかわる専門職である医師、保健師等関係職等々と連携しつつ地域活動の体制づくりも進めてきたこと。低所得者への働き掛けは福祉部門の人々と連携し栄養改善指導を進めてきたこと。こうして、地域住民、関係機関等の理解と信頼関係によって栄養改善活動が進められる体制や環境が整えられてきました。具体的な活動の一つとして、栄養指導車(キッチンカー)による地域の栄養指導巡回があり、保健所栄養士・非常勤栄養士・食生活改善推進員と連携し活動を進めました。

市町村栄養士配置に関しては、宮城県で市町村に初めて専任栄養士配置が実現したのは山元町です。その後も栄養改善・疾病予防・健康増進のために、さらに他の県内市町村に専任栄養士が配置されるよう努力しました。その後、栄養士複数配置も進みました。食と健康に関する保健所栄養士の業務は多岐にわたっていました。学校給食・病院給食・保育所給食等の指導支援、人材育成のための研修講習会開催、食生活改善知識や情報の提供などいろいろありました。」

*:「行政栄養士」は、『平成11年度「地域保健総合推進事業」報告書 21世紀に向けたこれからの行政栄養士活動のあり方に関する研究(2000年3月)』に次のように定義されています。行政栄養士は、都道府県、政令市。中核市や市町村などの地方自治体に所属する公務員である。行政栄養士は、管理栄養士としての専門性を基礎に地域住民の食生活や栄養改善事業や支援活動を通して、地域住民の健康づくりに貢献する公衆栄養活動の専門家である。

今後、さらに詳しく、木村さんの活動を通して宮城の戦後栄養行政のあゆみをお聞きする予定です!! 


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