インタビュー 2018年02月07日更新

【OUTのその後・4】カミングアウト/クローゼットのその先にあるもの part1


カミングアウト/クローゼット【OUTのその後】
このシリーズは、2016年3月に実施された「OUT IN JAPAN東北プロジェクト」に関わった人たちにインタビューを行い、ひとりひとり多様である「カミングアウト/クローゼット」のありかたについて見つめ考えるものです。詳細はこちら

武田 こうじ(タケダ コウジ)
1971年生まれ
宮城県仙台市出身・在住
詩人
シスジェンダー 異性愛者

愛犬ミルクとともに写る武田さん

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▋性の目覚め

ー小さい頃、女の子になりたかったそうですね。

 「なりたかった」っていうとちょっと違うのですが...小さい頃から、可愛いものが好きで...遊ぶにしても、外で遊ぶよりは、ぬりえをしたりとか、人形を使って物語を作ったりとか、そういうのが好きでしたね。みんなで騒いだりする...男の子ノリが苦手だったっていうのがありました。ぼくは幼稚園の頃、登園拒否児というか...幼稚園に行けなかったんです。別になにかあったわけじゃないんですけど、行って、みんなでお弁当を食べると吐いちゃって。そういうのもあって...あんまり、賑やかに遊びたくなかったのかもしれないですね。
 あと単純に、スカートを履いてみたいとか...髪型も、男の子だと当時はみんな、坊ちゃん刈りか坊主頭だったので、女の子の髪型はいいなぁと思っていました。

 同居していたおばあちゃんが着付けの先生だったんです。それで、おばあちゃんの着物教室によくついて行っていて...そうすると女性たち...生徒さんたちが着物を着ていて...おばあちゃんが着付けしている姿や着物を着ている女性を見ているのが好きでした。ある時、着付けの発表会があって、ぼくも七五三のモデルをやったんです。女の子は振袖みたいな綺麗な着物を着て、袖口つかんで腕広げて可愛いポーズするんです。ぼくは袴で男の子役だったのですが、そのポーズをどうしてもやりたくて(笑)。それで、ステージでそのポーズをしたら、会場がすごく沸いちゃって、ビックリして泣いちゃった、っていうことがあったんですよね。そういう時に、あ、男の子のふるまいと女の子のふるまいって違うんだな、って思ったことはありましたね。

 なので「女性になりたかった」というよりは、「女性ってすごいなぁ、いいなぁ、綺麗だなぁ」みたいな、単純なあこがれがあったのかもしれないですね。女の子に対する幻想みたいなものだったのですかね。父親と母親だったら母親の方が好きだったし。母親の髪を触るのがすごく好きで...母親の髪触ってないと眠れなくて...母の髪の毛に絡まって指が抜けなくなったりしていました(笑)。「女性は髪長くていいなー」みたいなあこがれがありましたね。

 小学校に上がると、男の子っぽくみんなと外で遊んだり、野球したりっていうことも増えてきたんですけど、幼稚園の時みたいに女の子と遊ぶことはできなくなってしまったと思っていました。だんだん距離ができてきて、もう一緒には遊べなくなるんだなあ、と。そういうのが、なんか、つまんないなあ、と思ったりしていましたね。

 そして「可愛くていいな」って思っていた幼稚園時代から、「男の子だからこそ、女の子が好き」っていう気持ちが出てきたのを覚えていますね。



ー初恋は小学校4年生の時だったとか。

 厳密に言うと、小学校1年生の時に付き合っている女の子がいて...でもそれは、親同士が仲良かったから、よく遊んでいたみたいな感じだったと思うんですけど...。なので、それは自分が好きとかではなかったと思うんです。

 でも小学校4年生の時の子は、はっきりと、男の子として好きになったというか、自分は男の子なんだなっていうことをすごく自覚したんですよね。転校生の女の子をすごく好きになって...衝撃的でしたね(笑)。今でもその衝撃って覚えています。嫉妬したりとか、その子を振り向かせるための努力をしたりとか、そのことで学校から帰ってきてからも悩んだりとか。よく覚えているのが、その頃『キャンディ・キャンディ』っていう少女漫画が流行っていて...アニメも人気があったんですけど、さすがに小学校4年生くらいになってくると「男の子がそれを見るのはちょっと」みたいな雰囲気があったんですね。だけどその転校生の女の子が、『キャンディ・キャンディ』が好きだって自己紹介をしたんですね。そして、アニメだけじゃなく原作漫画をちゃんと読んでいるって言っていたから...話を合わせたくてひたすら『キャンディ・キャンディ』を勉強したんです。でも、漫画を買っちゃうと接点がなくなっちゃうから、その子に「貸してほしい」って言って。頼む時にとても緊張したのとか、その子が『キャンディ・キャンディ』を渡す瞬間に手が触れちゃってドキドキしたのとか、今でも覚えています。とにかく気になってしょうがなくて。ありがちですけど、からかって振り向かせようとしたりしていました。



ー女性を好きになることで自分の男性性を自覚する、っていうのは、やっぱり異性愛男性にはよくあることなんですかね。だから逆に、「身体は男性で心は女性で好きになるのは女性」みたいな人の場合、自分で自分のありように気づくのに時間がかかったりすることもあるみたいですね。「男として生まれて、好きになるのは女だけど、あれっなにか違和感あるぞ?」みたいな。

 ああ、なるほど、そうかもしれないですね。
 ぼくは属性で言うとストレートだから、今こうやって笑ってしゃべれるのかもしれないけど、その時誰かを好きになった感情が周りとかみ合ってなかったり、すれ違っていたら、その段階で誰にも言えなかったり、なにもできなかったりしたのかもしれないし...。そして実際、そういう子も自分の周りにいたのかもしれないですもんね。人間って、今流行りの忖度じゃないけど、気をつかって初恋をしてしまったりすることもあるのかなって考えてしまいますね。



▋詩人になるまで

ーところで、詩を書き始めたのはいつ頃なんでしょうか。

 本格的に書いたのは、高校生くらいの頃ですね。中学生の頃はバンドを組んでいて...ドラムだったんですけど...そのバンドの歌詞を書いたりはしていたのですが...。「歌詞」から「詩」をすごく意識するようになったのが、高校生くらいの頃でしたね。



ー当時、詩を書いていることを、カミングアウトというか、周りに言っていたりはしましたか。

 それはなかったですね。ちょっと話が戻るのですが...中学校くらいになってくると、本格的に「女性」というものを考えるようになるんですね。「女ってなんだ」みたいな(笑)。思春期ならではの性への関心って言ってしまえばそれまでなんですが...男の子の友だちを尊敬するとか、いいなって思うことがあんまりなくて...友だちとして楽しいとか、そういうのはあるんですが...やっぱり女性のふるまいとか、おおげさかもしれないのですが、女性から得るものとか、そういうものが自分にとっては大きかったんです。でも、そんなことを思っていることを他の人には言えなくて...。そんな中で、本をこっそり読むとか、文学に触れていくことっていうのは、自分に触れていくことでもあって...友だちと騒いでいる自分と、レコードを聴いたり、本を読んだり、女の子のことを考えたりする自分っていうのは、自分の中でちょっと離れていた感じです。それがなにか分からないもどかしさはあったんですよね。楽しくやっていたいんだけど、もう一方で思いつめるというか...いろいろ考えてしまう自分がいる、みたいな。まあ、思春期では誰でも大なり小なりあるとは思うのですが...。
 で、文学に触れていったり、詩を書いたりというのは「やっぱり自分ってこういうところあるんだ」っていう確認にもなっていました。ただ同時に、書いた詩が良いとは言われないだろうな、というのもどこかで思っていました。そのことで傷つくのが怖いというか...「そんなことやっているの?」って驚かれることではなくて、きっとこの詩は良いって言われないだろうなっていうのがあって、人に見せなかったっていうのはありますね。勝手に遠慮していたというか。



ー詩を書いているということそのものがからかわれたりするんじゃないか、というよりは、詩のクオリティにダメ出しをされることが怖かった、ということなんですかね。

 そうですね。高校生の頃も、バンドやっていたので、自分のバンドの歌詞も書いていたのですが、メンバーに採用されないことが多かったりして...「イマイチだね」みたいな話をされて「やっぱりダメかぁ」と思ったりしていましたね。「詩人になろう」という気持ちも全然なかったですし...周りに、詩を書いたり読んだりしている人もいなかったんじゃないかな。

 高校を卒業して、大学に進学するんですけど、大学生の時に出会った友だちが、「詩を書いていていいんだよ」ということを教えてくれた人だったんですね。その人も詩を書いていたから、その人の影響で「ずっと詩を書いていたいな」という思いが湧いてきたんです。それに大学生くらいになると、映画を観たり音楽を聴いたりする範囲が広がるので、いろんなものに触れていく中で、海外にはポエトリー・リーディングっていうものがあって、詩人は本にするだけじゃなく、ギャラリーやカフェで、できた詩を読み上げる、っていう文化が昔からずっとあったっていうことを知るんです。そして自分は詩を読むというのを自分の形にできたらいいんじゃないか、と思い始めました。ただ、身近にそういうことをやっている人がいなかったので、どうやったらいいのかは分からなくて...そういう気持ちを、誰かに言うというのもなかったですね。

 詩を書いていることも、2、3人の友だちにしか言っていなくて...。自分の周りの人はほとんど知らなかったと思います。文芸サークルに入るということもなかったですね。ただ「詩を書く」というのは、ものすごく大事なことだと思っていました。だけど、それを発表するかどうかというのは別に考えていましたね。人に見せるとか、読んで聞かせるということはできませんでした。いろんな意味で、怖かったんだと思います。



ーでは、詩を書いていることを公にするようになったのはいつ頃なんでしょうか。なにかきっかけなどはあったんですか。

 大学を出た後、中学校の英語の教師になったんですけど、その時出会った子どもたちっていうのが、エネルギーのある子たちで...中学生なのでいろいろやらかすのですが(笑)、それでも仲良く、楽しくやってきて、その影響があったと思います。「実は詩を書いているんだ」って言ったら、「えー、なにそれ?」とはならなくて、「じゃあ読ませて」って子どもたちは言ってくれたんです。「展示会とかしないの?」みたいに言われたりもして。その時の子たちが背中を押してくれた、というとおおげさかもしれないですけど、その時なんか、社会と接点ができたような感覚があったんですよね。それまでは映画館の中にいるか、友だちの家に行って音楽を聴く、みたいな限られた人と限られた空間の中で過ごしていたような気がして...。教師やって、子どもたちと一緒にいることで、明るくなれたのかなあと思います。教師は何年かやって、自分には教師になる実力が足りないと自覚して、「詩人になる」って宣言して辞めたんですけどね。



イメージの押し付けについて思うこと

ー話変わって。いわゆるセクシュアル・マイノリティにもよくあることなんですけど、偏見というか、勝手なイメージの押し付けというか、たとえば「ゲイは芸術的センスに優れている」みたいな、そういうのが詩人の方に対してもあるんじゃないのかなあと思ったりするのですが、どうなんでしょう。詩人って、なかなか身近にいないので。

 それはあるでしょうね。「詩人って繊細なんでしょ」とか。あとは、常識がなくても詩人だから許される、みたいなのもあるかも(笑)。でもぼくは、基本的に約束は守りたいし、普通に生活をしていたいので、自分がそうだっていう意識はないんですけどね。自分では分からないところで、ズレてる部分もあると思いますが(笑)。

 他には、メールや手紙で誤字脱字があると「詩人のくせに」とか言われたりしますね(笑)。文章を書く人間がこんな間違いするのか、みたいな。児童館とか小学校で子どもたちに詩を教えたりする時も、板書していたら「書き順違います」って指摘されたりとか(笑)。子どもたちからすると、国語の先生の延長みたいな目で見ているんですよね。

 あるいは...常識的なことを言うと、「詩人のくせにつまらない」と言われたりしますね。「もっと破天荒なイメージがあった」とか。そういう、武勇伝を欲しがるっていうのは、どうしてもあって...ちょっと考えちゃいます。そもそもぼくは、通常の価値観というか...そのことだけで、イイとか、悪いとかを判断しようとすることに、詩人だからというより、子どもの時からすごい抵抗がありました。必ずしもそういう価値観だけでは測れないものがあるはずだっていうのは、昔から考えていることですね。

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