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とらえなおされる日常

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コラム

ギャラリー展示解説

「日常をみつけだすこと」

「日常生活」という言葉からイメージされるものは何でしょうか。日常生活とは全ての人にとって当てはまるものでありながら、その言葉から想起されるイメージは一つに定義することはできないものです。しかし私達はその差異をおおよそ気づいていながら、実は、「日常生活」という言葉の内にあいまいなまま共通の認識を持っているのではないでしょうか。そうした、共通の認識の解体を試みること、そしてこのプロセスのうちに見えてくる様々な現象こそが、個人にとっての日常といえるような気がします。

ギャラリー4200には、漠然とした日常をとらえるための手がかりとして、私達が生活する空間としての「街」と私達の関係性について考察したアート作品と、メディアテークを日常を探るための媒体として行われた館内における人の動向調査の展示をしています。個々の展示の形態は様々ですが、ここでメッセージとして伝えようとしている事柄は、日常を演出してみせることではなく、日常を構成する様々な現象を発見する方法です。ここに作品を展示しているアーティストは、独自の手法を用いて私達が存在する場所の特性と私達の関係について言及しています。そして、時間地理学を基本としたリサーチによって集積されたデータは、単に事実として残されるのではなく、私達は行き交う情報の一部であるということを示しているのです。

「視点を変えて見ること」
阿部仁史の作品「HEAVEN’S EYES」は、都市の中における人の行動のパターンを探る試みです。これはアーケードの屋根にカメラを設置し、そこを行き交う人々を上から撮影したものです。このアーケード街は仙台市内にあるものですが、国内のおおよその都市には存在するアーケード街という場所をロケーションしていることで、街と人の関係が身近なランドスケープとして表現されていると言えます。そして普段気づかない、ハードウェアとしての容器性を持つ街と私達の関係が浮き彫りにされます。
斉藤朋彦と繁田智之による作品「8viewpoints」も同様に普段とは違う視点から街を捉えた作品です。これはいわゆる「通り(street)」に8台のビデオカメラを一直線上に配して同時に一本の通りとそこを行き交う人々を撮影し、独自のインターフェイスにその映像を投影した作品です。このインターフェイスは電圧によって透明度を変化させる8枚の特殊なフィルムを用いたもので、8枚のフィルムそれぞれが8台のカメラそれぞれに対応して、あたかも一つの「通り」を輪切りするかのような視覚体験が得られると共にパースペクティブの概念を再認識することができるでしょう。

「耳を澄ますこと」
中居伊織の作品「streetscape」は街の音を一枚の地図をかたどったプレートに封じ込めた作品です。それは音だけでなく、街の空間そのものを一枚のなかに閉じこめていると言えるでしょう。そしてあたかも街を散策するように地図をペンによってなぞるとその場所の音を聞くことができます。作家は作品を展示する場所で必ず制作を行い、その土地の音をその土地の人に提示します。しかし普段聞き慣れているはずの街の音は、記憶にあるはずの街の空間を把握するための貴重な手がかりになります。
Sound Community Projectは、せんだいメディアテークとともに誕生したプロジェクトです。街の音や街の人の会話を集めることで、コミュニティを発見し、形成していくというワークショッププロジェクトです。生活の中にある様々な音に耳を澄まし、そうして集めた音を聞くことで「自分がいる場所」を再確認します。今回は仙台市東六番丁小学校の3、4年生のみなさんが音を集めました。

「街を触ること」
光島貴之の作品は、視覚に頼らず触覚や聴覚よって得られた情報からイメージを構築して描かれる絵画作品です。手で触ることでその場所を理解しようと試みる行為とそれによって視覚化されるイメージは、認識の方法を変えてみることによって、通常慣れ親しんだ、日常の風景が、また別の世界のように広がることを提示してくれます。

「たとえ話としての日常」
西島治樹の作品「Remain In Light」は街を飛び交う無数の電波を昆虫採集のように集め、そして、それぞれの電波情報をあたかも生命を持つかのような光体として視覚化する作品です。私達は決して見ることはできない無数の情報(電波)のなかにその身体までも浸して生活しているという事実を、昆虫採集という行為に置きかえて逆説的に提示します。その一連のプロセスは情報を生成し消費する私たち日常の行為のメランコリックなたとえ話です。
みやばら美かとすぎもとたつおによる作品「bounce street−弾む街角−」は、ビデオカメラを通して撮影される映像を色面の集合として変化させて投影します。私達のまわりは色という情報であふれています。そのめまぐるしく変化していく情報の変遷を弾むボールのアニメーションとして表現しています。目の前に行き交う情報の移り変わりを、視覚的に体験したとき、私達はなにを感じるのでしょうか。
山本努武の作品「Awkward Hexagon」は、好奇心によって生まれていく人と人の繋がりが、やがて集団となり、コミュニティを形成していくというプロセスをそのまま作品として体験させるものです。鑑賞者自らが、仮想の街の住人となることで、自分自身が常に人と人の関係性の中にあって存在することを感じることができるでしょう。

「記録すること・導き出すこと」
「調査−メディアテークの中のメディアテーク」は東北大学建築計画研究室によって行われました。せんだいメディアテークという施設とそこにいる人の関係を浮き彫りにしたものです。このうち「オープンプラザの天気図」と名付けられた、メディアテーク1階の人の動向を視覚化した調査展示は、単に利用者の導線を示すだけではなく、客観的な視線を通して見た私達の姿は、情報を構成する数値の一つであることが示されます。また「メディアテークの時間地理学」という調査展示では、メディアテークという施設の誕生が街にどのような変化をもたらし、どのように日常の一部になっていったのかという記録が提示されます。

最も刺激的な世界としての日常空間。私達がとらえかたを少しだけ変えてみることによって、見慣れた場所のありふれていた出来事は、好奇心をかき立てる新たな対象に変化するはずです。

(せんだいメディアテーク・清水建人)