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震災のあとで〈表現する〉こと 



 考えるテーブル 震災のあとで<表現する>こと
~「一箱本送り隊 塩釜ブックエイド」プレイベント~

 

出演 :《中央》 いがらしみきお(漫画家)、《左》 クマガイコウキ(映像作家)
司会 :《右》 南陀楼綾繁(ライター、「一箱本送り隊」呼びかけ人)

10月21日(金)に、仙台市在住の漫画家いがらしみきおさんと映像作家、詩人でもあるクマガイコウキさんを

お迎えして行われたトークイベント。
3月11日の震災のあと、表現者として、何を感じ、何を想っているのか。
時にユーモアを交えながら、正直な心の内を語っていただきました。
いがらしさん、クマガイさんが震災後にかかれた詩の朗読も行われました。

 

南陀楼綾繁(以下、N)司会の南陀楼綾繁(なんだろう あやしげ)です。

最初に、このイベントの開催経緯からお話します。
震災をうけて、四月から「一箱本送り隊」という活動を始めました。これは、被災地で本のない生活をされている方々への支援活動で、本好きな人たちとのネットワークを利用し、本を集め、選別し、被災地に送るという活動です。一箱本送り隊は明日、明後日、塩釜で「塩釜ブックエイド」というイベントを行いますが、このトークはそのプレイベントという位置づけとなっています。今回、なぜ仙台でこのプレイベントを開催するのかと申しますと、東京から西の人にとって塩釜の位置がよくわからないということがあります。
塩竈は仙台から電車で30分以内なのに、遠いイメージがあったり、よく知られていません。しかし、仙台であれば認知があって、仙台までは確実に来てもらえるだろうと思ったことから、プレイベントを仙台で行うことにしました。そしてトークイベントに誰を呼ぶかと考えたときに、最初に浮かんだのは、いがらしみきおさんでした。
いがらしさんとは2年前にBook!Book!Sendaiのイベントでご一緒しましたが、それ以来、時々仙台や東京でお会いして、震災後、ブログや新聞でいがらしさんが寄稿されているものを読み、今回打診したところ、いがらしさんの盟友であるクマガイさんとご一緒であれば、ご協力いただけるということになり、今回の企画が実現しました。
本日のトークの内容ですが、お二人に、「表現」ということと、震災を経て、自分の表現に対する考えがどのように変わったか、あるいは変わらなかったか、それから、他人の表現についてもどのように感じられたのかをお聞きします。そして、今回はお二人に詩の朗読もしていただきます。
 
クマガイコウキ(以下、K):ご紹介ありがとうございます。南陀楼さんのご紹介に補足しますと、私にとって、いがらしさんは師匠ですので「盟友」はおこがましいなぁ(笑)。
 
Nクマガイさんは2004年の「詩のボクシング」に宮城県代表で出てらっしゃいます。いつ頃から詩を書かれていますか? そして詩を書くきっかけ何でしたか?
 
Kいつから書いているかははっきりしませんが、詩のボクシングに出場した5年前くらいから書いています。誰に頼まれた訳でもないですが、詩のボクシングに出ようと思ってからやっています。きっかけは、詩人になりたかったからですね。
 
いがらしみきお(以下、I): クマガイさんが詩のボクシングに出ていたのは知っていましたが、その後自作の詩集をいただきました。内容は現代詩の流れを汲んだスタイルだと思いました。

N : 同時期にいがらしさんも詩を書いておられるのを、私は知りませんでした。

I : この会場に私に詩を書かせることになった張本人も来ていると思いますが、もともとはクマガイさんのお知り合いで詩人の方です。その方が現在『ココア共和国』という雑誌をだされていて、そこに詩を書いてくださいと頼まれました。詩的な言葉が浮かばなかったので、自分の言葉で、詩でなくてもよい、という気持ちで書いていました。漫画を描くのは辛くないですが、詩を書くのはつらいです。詩はギブアップと思ったら出来上がりな感じです。

N : 漫画の場合は始めから着地点が見えているのですか?

I : 見えています。ここまで描くと決めてから描き始めます。漫画の場合、終わることに迷いはありませんし、ギブアップで終わるということはありません。

N : いがらしさんの詩は漫画に通ずるような突き放した感じがあると思います。

K : いがらしさんは詩を書いたことがないとおっしゃるが、毎回『ぼのぼの』の巻頭にも詩が載っていますし、以前『ぼのぼの』カレンダーを出した時、その中でも詩のようなものを書いているので、慣れているのではないですか?

I : 確かに書いていますが、あくまで 詩「のような」もの、 です。
『ぼのぼの』のカレンダーを6,7年やり、上半分に詩を書いて、下に絵を描いていました。だんだん煮詰まってきたのです。これ以上やると詩人の仕事になる、イラストレーターの仕事になると思いました。だんだん漫画家の片手間ではやれないようになっていました。

N : さて、まずは3月11日の体験からお話いただけますか。

K : 私は泉区の自宅で仕事中でした。揺れが長かったです。家具や荷物が倒れて自分の部屋に閉じ込められました。でもたいしたことではありません。私は宮城県沖地震(78年)も経験していて、備蓄があり、ラジオ、懐中電灯などを用意していました。

I : 私も仕事中でした。3月11日の前にも何度か地震がありました。そのころの地震は長かったので、なんだか気持ち悪いと思っていました。3月11日は、「またか」と思いましたが、だんだんこれはまずいと思い、外に出ました。そしたら今度は事務所の中に入れなくなりました。あとは帰宅するしかなくなりました。自宅も一部損壊といった感じで、ものが落ちたりしていました。

N : その日は自宅で眠ったのですか?

I : 窓も割れたりしていたし、近所の小学校に避難しました。とても寒かった。そのときは情報を遮断されている状態です。情報から孤立していました。だけど、携帯電話のワンセグが見られて、どこかはわからないけれど、真っ暗な中で火が燃えていました。それで、どんなことが起きているのかがなんとなくわかりました。

N : 仙台市内のライフラインの復旧はどのように、どのくらいかかったのですか?

K : うちは電気が最初。次に水道です。

I : 思っていた遮断の期間より短かったです。日本に住んでいてよかったと思いました。

N : 帰宅後はTVなどの報道をよく見ていたとのことですが。

I : 仕事はしてはいたけれど、家にいるとTVの前で呆然としていました。見なければいけないと思いました。私は漫画家なので。このような映像は見られるときに見ておかないといけないと思いました。だからずっと見ていました。それは、義務感というより、あらゆることがいずれ描くことになると思ったからです。描くかもしれないというより、たぶん描くだろうという気持ちです。

K : 私はTVはあまり見ませんでした。記憶があまりはっきりしていませんが。ただ、今回のTVの津波の映像から、今後の映画の表現手法は変わるだろうと思います。今までの津波の映像は白いきれいな波が押し寄せてくるシーンでした。しかし現実では、黒い波が瓦礫とともに、燃えながら襲ってくるというものだった、あの現実をみる前は、映像制作をしている人にとって、リアルではないものだった。現実が表現のほうに影響を与えていくだろうと思いました。

N : 震災後の詩やことばへの違和感はありますか?あるとすれば、たとえばどんなことですか?

K : 言ってはいけないことが増え、言わなければならないことが増えたように思います。ラジオをよく聞くのですが、みんな「こんなことを言っても何の力にもならないけれど…」という枕詞がついて話す、とても気を遣っているのだと思います。その状況は仙台弁で言えば「いづい」。窮屈な感じがしました。
たとえば、ずっとホラー映画を撮ってきた人が、「がんばろう」ということで、そういう映画を急には撮らない。かと言って、いま「ホラーもどうなの?」という雰囲気があります。

I : 津波の映像の中に、何人もの人が沈んでいるのだ、というイメージを持って私は映像を見ていました。誰もが地震や津波、原発のことなど、その現実に掴まれてしまったと思います。掴まれて身動きができなくなった。でもある時期になると少しずつゆるんでくるんです。現実に掴まれた自分との間にあそびが生まれてくる。その時に表現というものは出てくる。あそびがなく、がっちり掴まれたままで何かを言える、表現できる人なんてどこにもいないと思います。

N : 震災直後にACのCMばかり流れました。あれはポエムのようなものと思いますが、そのことや、他の詩人や小説家がTVに出演して語っていた言葉についての違和感はなかったですか。

I : 詩人や小説家らしい言葉で語った人はいなかったと思います。あのときの言葉は良識の言葉。あの現実を真に受けたら、誰が考えた言葉さえも弱いものです。それは悪いことではないと思います。あの現実を超えて、言えることはこれから生まれるのだと思います。

K : まだ遠慮があるのでしょう。なにかを言うとすぐ怒られますし、酒場での愚痴とは違うわけですから。

N : 震災後、twitterなどでいろんな人の言葉が綴られました。それが一瞬つながりのように伝えられました。それは言葉の垂れ流しではあるけれど、あの時、人と人とが言葉で繋がれたように感じられました。いまになってそのことへの違和感があります。

I : ついこの前までは、みんな自分を肯定する、してくれる言葉を探していたと思います。それは悪いことではないけど、息が詰まるような感じがしたのではないかと思います。

K : 私は、辛い目に遭った人がtwitterなどで「がんばろう」「ひとりじゃない」という言葉を見ただけで、本当にがんばろうと思えるのかなと疑問に思います。決して否定はできないけど、そういう言葉だけで元気になる人が実在するとは、私には思えない。

I : 私は言葉が氾濫しすぎていると感じます。たとえば、山を見て、きれいだと思う。そのことを言葉で誰かに伝える。すると、その人は山がきれいだったのだなと思うが、私が見ていたのは山だけではない。空や森や林や川をみて、大きなイメージとして見て、「山がきれいだった」と言ってしまうものです。つまり現実はもっと曖昧もの。だけど、言葉は曖昧ではないので、そこに誤解が生まれます。そして訂正するとまた言葉を重ねることになるわけです。人は人がやることをすべて言葉で表せると思っていますが、私は不十分だと思っています。言葉に気をつけなければならない。

K : 地震の時に、揺れて閉じ込められた時に、いちばん最初に浮かんだのは、まどみちおさんの『ブランコ』という詩でした。生きているものからみたら、そうではないものたちのやっていることはあまりにも大きすぎる、という詩。生物からみたら、非生物の歌声はあまりにも遠すぎる、大きすぎる、全くわからないという内容で、もともと好きな詩だから覚えていたのだけれど、地震の時、「このことだ!」と実感しました。自分の感情を予言されていた?というような。言葉を司る人は、そういうものかなとも思いました。

※※※ ここで、クマガイコウキさんによる『仮称松岩と四千万円とマッチ売りの少女と私たち』の詩の朗読 ※※※

I : なんか妙にクマガイコウキの詩ですね。断定調でガンガン前に進んでいく。その力強さがクマガイさんの詩の持ち味だと思います。それがたとえ間違った方向にガンガン進んでいたとしても、私は正しいと思います。

N : クマガイさんの詩はいつも映像的、映画的だなと感じます。これはいつ頃書かれたのですか?

K : 気仙沼信用金庫の松岩支店から四千万円が盗まれた事件がちょうどあった頃(3月22日頃)です。津波で損壊したこの建物は金庫の電子ロックが壊れていたのです。ちなみに、犯人はまだ捕まっていません。

N : これは本当にあった事件だったのですね。

N : 現在連載中のいがらしさんの漫画『I』についてです。
自分を肯定してくれる言葉で成り立つものとは、全く異なる表現による作品だと思います。震災後、読んで一番しっくりきた作品です。1巻の内容は震災の前に書かれたものですか?

I : 1巻に掲載されている、最後の話を出版社に送った翌日が3月11日でした。「神様はいたのか」、イサオは神に会えたのか、どうなのかが曖昧に終わりました。地震後、それでよかったかどうか、自分でも釈然としないままでした。震災について、たぶん他の人とは違った印象を持つことになりました。

N : それはどういうことですか?

I  : とても不吉な漫画を描いてしまったということです。

N : そうですね。なんか呼んでしまったような。簡単にシンクロニシティとはいえないような感じがあります。ここ数年間いがらしさんは「自分とは何か」、「生きるとはなにか」、というテーマで描かれてきました。今回は、「東北の地で神様を探す」というテーマですが、相当前から考えていたテーマですか?

I : とても青臭いテーマですが、ずっと前から考えてきたことです。自分に描けることがこれしかなくなった、と思って描いていました。だから、私が呼んだのではなく、呼ばれたのだと思います。スピリチュアルという切り口ではなく、広いテーマを描いていたので、どんなことが起きてもシンクロニシティは起きていたのではないかと思います。ですが、自分が呼んだのかなと思うとくらっときました。

K : 『I』は世界の成り立ちを描こうとしています。ビッグバンや量子力学に精通しているような、宇宙を専門に研究する学者や物理学者や哲学者でもない、いがらしさんが、漫画の想像力によって、この世界がどうして成り立っているかを描いています。こういうことは、中途半端な覚悟だと、ふつうは恥ずかしくなってやめてしまうか、あるいは知っている事柄を詰め込んで、量子力学のうんちくものになりそうなところですが、そうではなく、突き詰めていると思います。

I : 私は野暮なんです。だから野暮なことをやってしまう。そのうち誰かに怒られたりするのですが。さきほど言葉に気をつけろ、と言いましたが、唯一言葉から逃れているのは詩人だと思います。言葉を使いながらも言葉の一番良くない部分を乗り越えているからです。一方、小説家というのは言葉の良くない部分を使って書いている人もいます。この世の中で一番恐るべき人種は数学者と詩人。その人たちにしかわからない言葉を持っているからです。

N : 『I』では数学者と詩人にしか描けない領域を、絵で描いていると思います。「見ればそうなる」という言葉が印象的で、見るということと世界の成り立ちが執拗に描かれています。それをセリフではなく絵で表現しています。

I : 私はネーム(吹き出し)が少ないタイプの漫画家です。なるべく言葉は入れない。サイレント漫画とは違うが、なるべく言葉をいれず、絵と絵の流れで表現したいと思っています。曖昧にとらえるというのには絵が一番良い。先ほどの山の話のように。曖昧さを活かす表現媒体が絵だろうと。

N : 『ぼのぼの』のように小さな日常的な実感できることから哲学的な思考に入っていくタイプの漫画もありますが、あるインタビューで『I』はリアル『ぼのぼの』とおっしゃっていました。『ぼのぼの』でやってこられたことを、もっと大きな物語としてやろうとしているのですか。

I : 『ぼのぼの』はギャグ漫画という体裁をとっておりますので、描けないものがあります。そのあたりが溜まってきたというのもあります。笑いによらない、哲学的なこと、野暮なことを突き詰めるような姿勢です。いけるところまでいってしまえというつもりで描いていて、非常に生きがいを感じています。

K : 通常連載が始まると、編集部の方から読者アンケートの結果を反映して、ストーリーの軌道修正を指示されたり、作家のやりたいようにはやれないものですが、今回の『I』は、いがらしさんが考えたことがそのまま表現されているような、自由に描いているように思われました。それは久し振りではないですか?

I : 久し振りというより、初めて描いています。漫画家は好きなように描いているように思えてもそうではないのです。

N : 野暮なように、まっすぐ描いているのはその通りかと思いますが、いがらしさん独特の間があったり、やはりところどころ笑ってしまうところがあります。イサオが新興宗教の教祖のように祭り上げられていたりと、怖いけど笑ってしまう。それはいがらしさんのこれまでの漫画表現に共通するところですね。
ところで、このイベント(震災のあとで<表現する>こと)のチラシのイラストは雑誌IKKIの表紙だったのですか?

I : そうです。私も捨て身で描いているが、担当編集者も捨て身でやっています。お互いが捨て身なので、『I』は今まで皆さんが読んだことのない世界まで必ず行きます。
『I』はあと1年くらいは続きます。最近1巻目が出て、まもなく2巻目が出ると思いますが、1巻目とは違う漫画になります。3巻目までの予定ですが、3巻目も2巻目とは全く異なる話になります。普通漫画にはパターンがあり、その繰り返しの中で大きなストーリーの山場を迎えたりするものですが、今回はそれを無視します。パターンを作らずに、各巻ごとに成り立つような、すべてが同じものなのかがわからないようなものを作りたいと思います。

N : 1巻、2巻、3巻で内容と方向性が変わるのは、先ほどお話しにあった震災での体験や震災後に生まれるあそびの部分で表現が変わってくるというお話と関係がありますか?

I : いえ。もともとの構想です。1巻は昭和40~50年代頃の回想なんです。要するに、主人公は今も生きているという設定で、過去のことを語っています。2巻目は昭和から平成に変わるあたり。3巻目は現代に近づいて、ほぼ現在のことになります。そうすると、3巻目あたりで震災や津波のことは描かざる得ないでしょう。

N : 様々な人の表現を読んできたわけですが、震災後に読み直したものや腑に落ちたものがあれば、教えていただけますか?

I : やはり、まどみちおです。あくまで『ぞうさん』の作者、児童詩の作家という認識でしたが、まどさんはとても深いところまでいった人。100歳までいって、深いところまで行って、全部書きつくした人でしょう。今はもう、一日中絵を描いているという話です。

ここで、いがらしみきおさんによる、まどみちおのモノマネによる、詩『地震のこと』の朗読 ※

K : ポジティブじゃないですか。

I : まどさんみたいでしょ。読んでる途中でモノマネわすれちゃった(笑)。
クマガイくんからは、こういうのを読むのは卑怯だといわれました。まどみちおのモノマネをして、子ども向けの詩を読んで、みんなを感動させようという魂胆だろうといわれました(笑)。全くその通りです。

N : 「生きて行くのがすごく悔しい時がある」という一文が詩の中にありました。とてもよくわかります。ありがとうございました。

※※※ 質疑応答 ※※※

○ 漫画家になって一番うれしかったことはなんですか

I : 一番うれしかったのは漫画家になれたことです。もう少し具体的にいうと、私がファンだった永島慎二先生が塩竈にいらっしゃって、そこでお会いすることができました。ご挨拶すると漫画家の私のことを知ってくださっていました。その時点で、私が漫画家になろうと思った気持ちの8割は実現されました。嬉しかったです。漫画は好きでしたが、漫画家になろうとは思いませんでした。子供ながらに、なんかカッコ悪いなと思っていたので。でも、永島先生の作品と人物像がカッコよかった。それで漫画家になろうと思いました。

○ 「私」についての問いは、たいていは哲学などで、言葉でつきつめられていると思います。そうではなくて、漫画や絵でしか語れない領域もあると思っていたので、『I』については、とても期待がありました。そのあたりのことについて、もう少し詳しくお話を伺えたらと思います。


I : 絵を描くという状態は非常に良い状態です。楽器を弾いている時と同じです。脳の状態が良いときで、何もかも忘れている状態です。このイベントのチラシの絵ですが、先日取材があり、「どんな思いで描いたのか?」と聞かれましたが、どういう思いから、ではなく「描きたいから描いたのです」とお答えしました。

○ 災害の復旧がまだ進まず、震災は終わっていないはずなのに、メディアではさも終わったように報じています。また、国民が知らなければいけない情報が政府やメディアによって意図的に伝えられていないという話もきいています。新聞を購読する人も減っているようですが、メディアを信用せざるを得ないのか、メディアの報道のあり方と表現することについて、お考えをおきかせいただきたい。


K : どう表現するかというよりも、どう伝えるかというメディアの問題は、少なくとも私個人が、詩でどのような表現するのかとは、全く関係ないし、異なる問題だと思います。いろんな問題は多々あるし、行政がやらなくてはならないこともあるとは思うけれど、それをひっくるめて、私がそれを表現しなくてはならないのかというと、それは話が違うだろうと思います。

I : 私はメディアはないと思います。メディアの中に人はいるけれども。個人は信じます。メディアどうこうは考えていないです。津波や地震、原発のことを終わったことのように捉えている人がいるという話でしたが、私は終わらなければならないと思います。ずっと続けるべきことかどうかというと、確かに未だに被災地に大変な思いをしたまま過ごしていらっしゃる方はおられますが、しかし、私たちが3月11日のままのように生きることはあまり意味がない。ある意味で忘れなければいけない。忘れないと進めないからです。そういう意味で私はあそびが必要であるといいましたが、これは言葉のあやのようなもので、決して遊んでいるわけではないのです。生きるためにはどうしても、あそびが必要なんです。そういう意味で、前を向くために忘れるべきこともあります。それでもたぶん忘れられないことが残ります。その残ってしまったものを大事にしなければいけません。

N : その残ってしまったものが、次の原動力になるということですね。
ありがとうございました。


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