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くろい音楽室

第2回「震災の音跡 −今踏み越え、今と交差−」

■ 日時:2013 年 2 月 10 日(日)15:00−17:00(開場14:30)
■ 会場:せんだいメディアテーク b1 準備室
■ 参加無料、
申込不要、直接会場へ(先着30名)

■ 問合せ:miyagi.analog@gmail.com(宮城アナログ文化協会)

■ 主催:せんだいメディアテーク、宮城アナログ文化協会
■ 協力:東北大学学友会オーディオ研究部、東北学院大学ブラックカルチャー研究会、SOUL ON TOP

 

震災の音跡 −今踏み越え、今と交差−

2011年3月11日に起こった東日本大震災。この日をきっかけに音楽家は震災をテーマに多くの音楽を生みました。それは被害の大きかった東北沿岸部に関する津波、または原発の被害を唄ったものから、勇気や希望を感じさせてくれる音楽など様々です。

今回はこのような、震災をテーマに制作されたクラブ/ブラックミュージックに焦点を当て、歌詞のメッセージや曲が作られた場所や時期から、参加者と共に掘り下げていきたいと思います。

震災から2年を前に、それぞれがエピソードを持つあの日を今、改めて音楽と共に振り返りましょう。


くろい音楽室とは
地元の音楽愛好家と一緒に音楽を交えながら対話します。時には参加者にもテーマに沿った音楽を紹介して頂き、くろい音楽(Jazz,Funk,Soul,Hiphop,House,etc)について語り合います。

 

宮城アナログ文化協会とは
魅力あふれるアナログ文化(レコード)をもっと広く、深く、知って、楽しんでいただくことを目的とする協会です。アナログ文化を次世代へ繋ぐ役割も積極的に取り組んでいます。

miyagi.analog@gmail.com

第2回くろい音楽室「震災の音跡 −今踏み越え、今と交差−」レポート

「震災の音跡 −今踏み越え、今と交差−」 2011年3月11日に起こった東日本大震災。この日をきっかけに多くの音楽が生まれました。それは被害の大きかった東北沿岸部に関する津波、または原発の被害をうたったものから、勇気や希望を感じさせてくれるものなど様々です。

今回はこのような、震災をきっかけに制作されたクラブ/ブラックミュージックに焦点を当て、震災から2年を前に、それぞれがエピソードを持つであろうあの日を今、改めて音楽と共に振り返ります。




くろい音楽室、第2回目となる今回は「震災の音跡~今踏み越え今と交差~」をテーマに、東日本大震災をきっかけに作られた多くの音楽作品、そのなかでもクラブ/ブラックミュージックに焦点を当て、音楽愛好家、参加者の方々と共に震災について振り返りました。
参加者には作品について制作者の意思や意図などを考察しやすいよう、取り上げる音楽作品の歌詞、制作/公開された日時などを記した資料を事前にお渡しし、作品が制作/公開された時系列をたどりながら紹介していく形式をとりました。*レポートでは当日紹介した作品のなかから一部の曲を紹介しています。

モデレーター: 濱田(宮城アナログ文化協会)、アシスタント: 鈴木(東北学院大学ブラックカルチャー研究会)・原田(東北大学学友会オーディオ研究部)、司会: 高橋、音楽愛好家: 千葉(レコードショップJ&B元店主)・大樹(東北ろっけんパーク企画・広報ディレクター)

 

曲紹介:
NORTH EAST COMPLEX part 3.11 /楽団ひとり&KICK-O-MAN (2011.4.16)


MISSION POSSIBLE REMIX / GAKUDAN_H1TOR1, kick-0-man (2011.5.8)


NORTH EAST COMPLEX PART 3.11 IN B- BOY PARK 2011 (2011.8.21)
*タイトル、アーティスト/プロジェクト、制作/公開日順に掲載


はじめに石巻在住のアーティスト「楽団ひとり」が紹介されました。
濱田 「楽団ひとりは石巻在住のアーティストで。B-BOY PARKという大きなイベントがあるのですが、彼はそのB-BOY PARK 2011のトップバッターをやることになったんですよ。トップバッターで盛り上がって。これはかなりB-BOY PARKでは異例なことなんじゃないかな。楽団ひとりの映像のドキュメント、(公開が)2011年4月16日なんですよ。地震から1ヶ月後ですよね。彼はああいう状況のなかで録って、それを2011年4月27日に発表したんですよね。あの状況でREC(録音)を録っているというのは、僕もこれを見るまで知らなかったし、みなさんも知らなったと思うんですけど。こうやって可視化され、目で見ると、いろいろ思うことがあるんじゃないかなと」高橋 「(楽団ひとりについて)千葉さんがいろいろ ツイッターで面白い奴だよねーなんて話していたので、お話しを聞きたいのですけど」千葉 「はい。元J&B(レコード屋)におりました、千葉と申します。彼は地元が石巻ということで。これを作ったのはおそらく、悔しさからっていうのかな、それを感じるんですよね。それでこれを何とか早く作ってみたかったっていうね、感じがするんですよね。彼は性格的にもこう、なんか強いっていうかな、そういうものをけっこう感じたので。この時期にレコーディングをできたというのはもう、尋常じゃないんだろうと。それはやはり地元・・・自分が被災してまわり見て。その悔しさがこれを作ったのかなという気がします。
だから・・・ね、我々にはとても想像もつかないような状態だったんだろうから。そこで作れたっていうのは・・・我々にはちょっとね、んーわからない・・・。本人にしてみればお前らなんかにわかるかよっていう、彼はいつもそういう言い方をしますよね」

曲紹介:
But This is Way / S.l.a.c.k. TAMU PUNPEE 仙人掌 (2011.3.13)


帰り道 / 七尾旅人 (2011.3.14)


何も出来ねえけど / 般若 (2011.4.6)


大樹 「今日、(制作・ウェブ等で公開された)日付の時系列を見ながら進めていますけど、こうやっていちどに聞くと、被災地の中と外で結構リリックに温度差ってあるなと改めて気がついたところだったんです。どうですか、千葉さん?」千葉 「温度差・・・?」大樹 「温度差というか、被災地の中で今生きるか死ぬかのところ、かたや被災地の外ではいろいろと心配してくれているところ。温度差というのは不適切な言い方かもしれないんですけど、なんだか状況が見えてきますよね。音楽的にいろいろ考えつつ。中と外という言い方をしたくはないんだけど。ひとつは中からの現地の声、もうひとつは外から支援する声や心配している声、改めてメッセージがふたつあるなと、なんとなく思ったんですけれども。みなさんはいかがだったでしょうか」大樹 「千葉さんはメッセージ性の強い曲というのは、好きか嫌いかでいくと、どちらですか」千葉 「うーん・・・あまり好きではないですね。なんだか、聞くのがだんだん辛くなってくるんですよね、まあ歳を取ったせいもあるんでしょうけど」濱田 「いやいや、僕もあります。昨日もメディアテークの7fでひたすら一日中、検索して曲を探していたんですけど。情けないことに2回泣きましたね、人知れず (笑)。やはりメッセージ性が強いので・・・」大樹 「特に日本語だと歌詞の意味がわかるだけに心の中に入ってきちゃいますからね。普段は、基本的に英語歌詞の、ラップのリリックは記号的・楽器的に耳の中に入ってくるから、響き方ってまた違いますよね。それが日本語となると」

被災地、またはそうではない地域。場所によって震災の受け止め方に違いがあるのではないか。歌詞にもその違いが感じられるのではないかという意見があがりました。





曲紹介:
PRAY FOR JAPAN / HAIIRO DE ROSSI Track by EeMu ~ ONE / Aporia (2011.3.12)


Letter to 東北 / Jinmenusagi&ハシシック・バグ (2011.3.14)


PRAY FOR JAPAN 被災地のあなたへ / 狐火 (2011.3.14) 


濱田 「狐火はパート1からパート12、13くらいまでYOUTUBEに公開されているんです。リリックが凄く強くて、ほんと自分の心情とかをうまく描けてるというか、外に出せている、出すスタイルですよね」高橋 「(狐火の連作)それも全部、震災関連ということなんですか」濱田 「そうだね。狐火は福島出身で(現在は東京で活動)、震災当初の状況と、原発の状況と。現在の状況もまた違うと思うんだけど、その心情ごと書いている。心情の変化があったら、それを曲にしているという・・・」高橋 「この曲を聞きながら大樹さんとお話ししていたんですけど。やはり公開した日を見ると、原発事故が発生したことで、曲の中身がぜんぜん違うというのもあるんだろうなと話をしていました」大樹 「これもYOUTUBEへのアップロードが2011年3月14日ですよね。最初は津波、地震というファクターで曲を作っているのですが、ここで、放射能の問題が出てきてしまう・・・・・・」

参加者が曲を通して感じたこと、また、震災の経験についてもお話してくださいました。
17才女性 「福島市から来ました。17才です。福島市に来たのは去年・・・原発から避難してきたもので。実家が原子力発電所から3キロ圏内のところなんですけど・・・。そこから避難してきて、福島市に来てブラックミュージックに興味を持ち始めたんです。さっきの歌詞(被災地のあなたへ/ 狐火)をみて・・・・・・“もう会えなくてもいいから生きていればいい”っていうところで、心打たれました。やっぱり、地元で会ってた友達と普段なかなか会えなくて、避難先でバイトして、そのバイト代を、関東圏に避難した子が多いんですけど、その子たちに会うための交通費だったり、連絡費に使っていたので。この歌詞がぐっときました」高橋 「そうですか・・・。自分のなかで、思い入れのある曲とかありますか」17才女性 「やっぱりガグルのうぶこえですね。最初にリトルバード(福島市のレコードショップ)に行って、店主のマーシーさんにきかせていただいたんですけど、もう涙が止まらなくて・・・」40代男性 「自分も、ブラックミュージックとか、ヒップホップをそんなにディープに聞いている人間ではなくて。日々、仕事に追われているようなサラリーマンなんですが。今日、参加させていただいて、ブラックミュージックやヒップホップの熱さを感じられたかなと。同時にそのラップの原点みたいなところって、たぶん黒人が自分たちの文化とかメッセージみたいなものを伝える手段がなくて、そのなかで、魂の叫びみたいな感じで始まってきた原点があると思うんですけど。震災後のいろいろなヒップホップの曲に、そのラップの原点、エッセンスがにじみ出ている気がして。今後、たとえば震災を振り返らなければいけないタイミングがあるたびに、被災地の人もそうだし、見守ってた外側の人も、嘘くさくない本当の気持ちっていうか。本当に伝えたい文字とか音の記録になるんじゃないかと。いま、かなりぐっときてますね。自分の気持ちみたいなものを伝えるには、このヒップホップというのは正直なメディアなのかなと思いました」

阪神淡路大震災から10年目に作られた曲も紹介されました。それは東日本大震災を経験した私たちにも共感するところが多いものでした。
関西出身20代男性 「阪神淡路大震災があって、10年目の時にドビンスキーっていうラッパーが・・・ケーダブシャインとかアトミックボムクルー(というラッパー)が、おったんですけど、その人らと一緒に活動していた神戸のラッパーが作った曲です」


曲紹介:
HIP HOP ONE“10years after the EARTH QUAKE sp”阪神大震災 / ドビンスキー (2005.1.17)


 
濱田 「なぜこの曲を選んだのかといったら、ぼくらは震災からまだ2年も経ってなくて。でも、この曲は10年後に作られたもので。復興の形、伝える形にはいろいろあるけど、この活動を知って改めて音楽ってすごいなって思った。10年経って、現地で活動、もちろん常に活動しているわけではないと思うんですけど。それでも、震災を忘れないために動いてる人達って数少ないと思うんですよ。凄いな!と思ったんですよね。単純に」大樹 「各地域で町づくりがいろいろ行われているんです。たぶん僕らも東日本大震災を経験しなければ、この曲のリリックってなに?って。でも今は身近な歌詞の内容に感じましたよね。たぶん、すごく学ぶべきことを言っているんじゃないかなってぼくは思いました。絶対ぶち当たるところですから。これからの町づくりでいろんな問題が出てきて、いろんな意見があって、というところで。この曲がすごいなと思ったのは、町づくりのことについてきちんと言及している。それは以前は気づかなかったです、リリースされてたとしてもぜんぜん気づかなかった。いま、リアルに響いてくる曲かもしれないですね、今後の東北にも」

<会場のみなさんからいただいた感想>
20代の方: 被災した方、遺族になった方々とお話しする機会もあるのですけど、その方々が、いまでも救われたと言っていることのひとつに、ジャンルは関係なく音楽という言葉をよく聞きます。どんな状況でも音楽は届くものだと。震災を通して感じたことのひとつです。20代の方: どんなイベントか気になっていたので参加しました。こういうくくりでいろんな音楽を知れて面白かった。その瞬間のエネルギーが入ってる曲はパワーあるなと、こういう音楽の聞き方をしたことがないので新鮮でした。10年後とかに、また振り返ると、音楽シーンの動向がよく見えそうで、それもまた面白いなと。“伝わる媒体としての音楽”ってすごいなと。40代の方: かなり良かったです。ヒップホップのやるべきことをやっているという感じがしました。今後のイベントにも期待してます!!40代の方: 企画・開催場所ともに意欲的ゆえ第1回に続き観聴しに来ました。距離と時間について、意識させられる。ネットの映像音声は“劣化”しない。それによって認識を惑わされることもあると思う。震災は距離と時間の要素が大きく、ネットと対照的ですらあるのではないだろうか。いつどこで作られたかを気にしてしまう曲があってもよいのであろう。曲によっては“気にすべき”かもしれない。


今回は震災をきっかけに制作されたクラブ/ブラックミュージックを、ネット上に残された多くの情報をもとに、参加者それぞれの想いや震災経験にも言及しあい具体的に振り返ることができました。
音楽のとらえ方やかかわり方は個々人によりますが、音楽によって、それぞれが勇気づけられたり、想いを寄せたりできるなどの共通経験を多くの人がもっていたということもわかりました。
東日本大震災という大きな出来事について、音楽というフィルターを通すことで、これまでとは違った視点で考えるきっかけになったと思います。
また、普段、楽しむことにおもきをおいている音楽が震災時の記録ともとらえられ、ひとつの文化として“音楽”の新たな意味や価値などを垣間見る時間でもあったように思います。
改めて音楽の多様性も認識させられる貴重な空間となりました。

うぶこえプロジェクトウェブサイト: https://ja-jp.facebook.com/UbukoeProject

報告 :濱田(宮城アナログ文化協会)、原田(東北大学学友会オーディオ研究部)

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