報告 2024年04月02日更新

【レポート】第92回てつがくカフェ


【開催概要】

第92回てつがくカフェ@せんだい

日時:2024年3月9日(土)14:00〜16:30

会場:1f オープンスクエア(星空と路 会場内)

ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)

ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)


P1240039軽.jpg


今回のてつがくカフェでは、事前にモヤモヤボードと呼ばれる掲示板をメディアテークに設置し、多くの人に東日本大震災に関する疑問やモヤモヤを書いてもらいました。当日はそこに集められたコメントを読みながら、対話を進めていきました。

まず、震災前と比べて沿岸部が美しくなりすぎていることに恐ろしさや疑問を感じる声や、震災後の無力感や生きづらさを感じる声があがりました。また、タイトルにある「忘れ去られそうな」という表現について「(忘れ去られたら)たまったもんじゃない」という声もありました。

そこから「どこからが被災者か」という問いがあがりました。経験の有無による「溝」の存在が指摘される一方で、それを「違い」や「多様性」として捉えたり生の声を聞いて、一緒に考えようという声もありました。

被災者の方からは「忘れたい思いとわかってもらいたい思いがある」という複雑な心情が語られました。一方で被災をしていない方からは「どのような言葉をかけても陳腐になってしまいそう。罪悪感がある」「当事者には共感でしか消化できないものがあるのではないか」という思いも述べられました。

また、震災当時のニュース報道について、「見るのがしんどかった」「頑張らなきゃという気持ちになった」という意見が出ました。また、メディアが特定地域の被害ばかり取り上げるという指摘もありました。「震災の時の自分の体験が思い出せない。その中でメディアがいろいろと取り上げて上書きされていったよう」という声もありました。

震災前後での生き方や自己の位置づけの変化も語られました。「震災前の日常が取り戻せない。やりたいことがあっても『今そんなことしてていいの?』と今でも思ってしまう」という声や「当時は中学生で受け止めきれなかったものが、時間が経ち成長して気持ちが整理できてきた」という声もありました。「体や感情は当時と今でつながっている」「震災後は非日常の中で日常が続いていく感じ」と参加者の時間の感じ方も述べられました。

そして、震災時の倫理観を問う声があがりました。震災という極限状態で「助け合う人、窃盗をする人、人となりが見えた」という声。また「沿岸部で津波が来た。老人ホームに避難をして、彼らのために壊れた自販機からジュースをとったら後に問題になった」「津波が来て屋根に避難した。津波が引いても寒い中みんな屋根にいた。力尽きた人もいた。他人の家だから誰も窓を破らなかった」という経験を話してくれた方もいました。極限状態の中で、何が正しく何が許されるのか。倫理観の複雑さを考えさせられました。

続いて、これらの対話を踏まえて震災を考えるうえでのキーワードを挙げてもらいました。

 

<キーワード>

・日常、非日常→入れ子構造

・本音、本心

・内側、外側

・忘れそう

・行動

・倫理観→自分で選んでいるように思えて実は状況などから選ばされているのでは?

・生の声

・記憶

 

ここから「日常/非日常」「生の声」などを踏まえつつ「倫理観」を軸にさらに考えを深めるための問いを考えていきました。出された問いは以下となりました。

 

<問い>

・倫理観が違うことが悲しみを生まないためにはどうすればいいか。

・倫理観はどこから語ることができるのか。

 

ともに、「震災」という主語を据えて考えると、まだまだ考える余地のある問いです。

ここまでの対話で出された意見やエピソードをそれぞれが持ち帰り、さらに考えを深めていこうということで、終了となりました。

東日本大震災から13年という年月が経った今も、私たちは様々な思いや疑問を抱えています。モヤモヤボードには今回とりあげることのできなかったモヤモヤもたくさん書かれていました。今後も、何度も問い返しつつ対話の場を継続していきたいと思います。

 
モヤモヤリスト_0201-0309

グラフィック.jpg


x facebook Youtube