いのちの食べ方

高嶺です。

これまで何度か書き込みしようと試みたのですが、そのたびにアプリが落ちて断念していました。いまもまた落ちるかもしれないと思うと気分の方が落ちるのですが、なんとか。ええい、落ちるなよ。

タイトルの「いのちの食べ方」は、それこそ2週間も前に、家の解体をしてるときに感じていたこと。(そのときにすぐ書こうとしてタイトルだけつけたときに、落ちてそのままになってた。)

同名の森達也さんの本があって、食用肉が作られるまでを追ったドキュメントでした。屠殺場の現場です。それと、同じタイトルで映画もありましたね。(僕は見てないんだけど、どんな映画なんだろう?)

長年住んでいなかった家って、積年のホコリやカビやらが鬱積していて、解体はお世辞にも愉快な作業じゃなかった。(家主の大友さんごめん。)腐りかけのベニヤ板の、バサバサになった薄い板が釘にひっかかってなかなか取れないのを、無理に引きはがしてホコリがバサーッと舞い上がる中で作業してると、そこにいるだけで病気になってしまいそうで、ああ今すぐ逃げて南の海に飛び込んでマンゴージュース飲みたい!とかすぐ思う。

こんな小さな解体でもそうなのに、でかい家やビルなんてどうなるのよ?と思うけど、今の解体作業っていうのは、僕はよく知らないけど、機械化されて、周りに完璧に覆いがされて周囲からは見えない中で行われているから、普段は気にも留めない。そんなことを考えて、それで「いのちの食べ方」。こちらは使用後バージョン。住むだけ住んで、あと業者に金払ってどこかに捨ててもらって、自分は手を汚さずに終わり、という住居とのつきあい方。それこそマンゴージュースを飲んでる間に、ぜーんぶ誰かがやってくれる。解体やってはじめて感じたこの不快感は、なんらか作品に持ち込まれる。。。でしょう。
さてどうなることやら。

作品作ってるときのブログって難しいね、という話を石澤君としてました。あんまり具体的なこと書いたり写真貼ったりしすぎると、ネタばれしてしまって、実際見たときつまらんくなるしさ。じゃあなんで書くの?といったら、やっぱりこれ見た人が面白そうと思って、来たい気持ちにさせるためだろうし。
僕はネット上で日記書いたりすることもやったことないんだけど、藤浩志さんや大友良英さんや、すごい上手に、しかもマメに書いてるよなーと感心する。これぞメディアリテラシーというんだろな。ま、あんまり考えすぎないでどんどん書き込んでくれるのがいいので、今日から考えないことにしましょう。

いまはツキハシ研のゼミ生と、東北福祉大の西野さんとこ、あと武海さんの専門学校の学生などなどの混合チームで作業してます。これがヒジョーに頼もしい。毎晩ビールを振る舞いたいけれども、みんな車かバイクで来てて、酒のめんのよねこれ残念。遠慮深くて、みんなお菓子にも手を出さない。塩辛とかの方がいいのかな。カフェスペースを充実させたいな。

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