メディアテークひと言メモ|せんだいメディアテーク

せんだいメディアテーク



せんだいメディアテークをもっとよく知るためのさまざまな情報を、副館長の佐藤泰がお届けします。

35「1993年ショック」

メディアテークの設計競技が始まったのは1994(平成6)年ですが、実はその前の年は、仙台市と宮城県双方にとって忘れることのできない年でもありました。バブル景気もあって次々と大型の公共施設が建設されるなか、当時の仙台市長と宮城県知事が工事発注にからむ不正によりあいついで逮捕されるという事件が発生し、日本国中を驚かせたのです。
そのあとを受けた宮城県政、仙台市政の最大の課題は、まずは失った信頼を回復しつつ地域の活気を取り戻すことでした。当時の藤井黎(はじむ)仙台市長が述懐するようにそれは「マイナスからの出発」でした。審査過程がリアルタイムで公開されるという類例のない透明性と先進性で話題を集めたメディアテークの設計競技は、そのような背景と市長をはじめとする関係者の不退転の思いがあったからこそ実現したといえます。とりわけ計画段階からメディアテークを「バリアのない公共施設への挑戦」と位置づけ、そこから定禅寺通り全体に新しい文化やアートを広げようと考えた藤井黎元市長は、メディアテークの最大の理解者であり支援者でもありました。同氏は2005年まで市長を務めたのち去る4月多くの市民に惜しまれながら死去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(2010/05/02)


  • 定禅寺ストリート杜の都のアート展"
    定禅寺ストリート杜の都のアート展

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