せんだいメディアテーク



せんだいメディアテークをもっとよく知るためのさまざまな情報を、副館長の佐藤泰がお届けします。

41「カメラは見た」

「家政婦は見た」という番組がありました。そこで家政婦さんが見たものはドラマの進行の中で重要な鍵を握っているのは言うまでもありません。それに対して現実の私たちが日頃見聞きしていることの大半は、その人がその時を生きていく上で必要な情報として活用されるだけで、例えばほかの人にとって、社会にとって、未来にとってなんらかの意味があるかないかはわからないまま消えていきます。ことの重要性に気づいたときはあとのまつり、消えた過去の出来事を特定するためには、たくさんの人の記憶をたどり、証拠を集め、議論を重ねていく作業が必要になります。しかし機械的に映像を記録できるカメラの登場によって、歴史的事実の判定のしかたは大きく変わりました。レースの勝敗の判定に写真が用いられるのはもはや当たり前です。ただ、映像に残されているからと言って無条件に鵜呑みに出来ないことも確かです。映像は編集によってその意味を変えてしまうことが可能だし、そもそもひとつの視点からの映像からすべてがわかるわけではないからです。もしも映像記録を私たちの過去を立証する道具と考えるなら、それがいつどこで撮影され、その後どのような手が加えられたかについて確認できる必要があります。またさらに同じものを、複数の視点から同時にとった映像を参照できることも必要でしょう。しかしすこし前までまったく不可能と思われていたこのようなことも、今や街の至るところに設置された監視カメラや、衛星画像、あるいは検索サイトが提供する世界中の街の映像などを通じて、急速な勢いで現実のものとなりつつあります。
メディアテークでは、多くの市民の方々と協働しながら、失われた街の記憶を、残された映像を通じで甦らせる努力を続けています。そうした地道な作業の一方で、好むと好まざるとにかかわらず爆発的に拡大し、私たちの知の環境を一変させるような映像記録の世界があります。その双方にどう向き合っていくかが今私たちに問われているのではないでしょうか。

(2010/12/01)


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