景観 もとの島

関口敦仁写真

地球は大きすぎて、知覚することはできないと思っていたりする。
地球儀や地図で見る限り、経緯や経度にしたがって、
まっすぐな移動をイメージすれば
複雑なしがらみを離れた私を知ることができるはずだと想う。
一方、複雑なしがらみも生きているプロセスだと感じることができれば、
もっと簡単な線で描くことが可能なのではと考えるのだが…。
そして、今という状態は点で存在していることとして体験できればと想うのであった。

関口敦仁

1958年 東京生まれ
1982年 東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻修了
現在、IAMAS(岐阜県立情報科学芸術大学院大学)メディア表現研究科教授、美術作家。

1980年より絵画をベースにしたインスタレーションを主に発表し、表象的表現を利用しながら独特の認識論を表現として展開する。 1991年から1993年にかけてパリ市美術家援助政策により渡仏、シテデザールにて作品制作を行う。1990年より認識媒体として「表面性」に着目し、物体を越えた表現へと関心を移すのにともない、CGやメディアを積極的に利用した作品へと移行する、一貫としてコンセプチュアルかつ新たな認知システムを試行した作品制作を行っている。近年はイメージとしての地球と自己の関係をインタラクティブに再構築しようと試みる「地球の作り方」シリーズや身体のインタラクションと社会システムをテーマにした「インタラクティブカオス」などを発表している。主な学術研究として古典作品のメディアへの転用研究、VRメディアを利用した視覚造形認知の研究、メディアアーカイブ研究、また、身体におけるインタラクション機能を活用した表現研究などを行っている。

中原浩大写真

玉門関に2羽のツバメが飛び回っている。
現地のガイドにたずねると、それがツバメだと知っていた。
もう少ししたら渡っていくだろうとも言っていた。
近くに見える疎勒河の両岸には植物が繁茂し、背の低い葦も含まれている。
それ以外にはタマリスクの点在も途切れがちな灘が広がっているばかりの地。
営巣場所はどこだろう。
敦煌の市街地までは遠く、途中で見かけたオアシス村までもかなりの距離がある。
2004年9月13日 正午前 快晴

中原浩大

1961年 岡山県生まれ
1986年 京都市立芸術大学大学院美術研究科修了
現在、同大学講師、美術作家。

80年代より彫刻をベースとした作品の発表を行う。その発表当初より、個人的な記録や感性を作品の題材として扱ってきた。80年代末から90年代にかけては、より個人的なテーマへ移行しながら、他方で編み物、トランポリン、ラジコンカー、アニメのフィギュア、プラモデル、レゴ・ブロックなど、従来の素材や手法にとらわれずその表現の幅を拡大させた。代表作に、レゴブロックを用いた、「レゴモンスター」、編み物を使った「ヴィリジアンアダプター」など。1993年第45回ヴェネチア・ビエンナーレ アベルト部門招待作家。1996年10月から1997年9月まで文化庁派遣芸術家在外研修員としてNew Yorkに滞在し、人間形成としての芸術の可能性をテーマに調査を行う。近年は、阪神大震災での体験をもとに緊急時の子どもの居所について考えていくプロジェクト「カメバオプロジェクト」を友人達とともに設立し、その運営に参加するなど、美術の領域に留まらない活動を行っている。

高嶺格写真

なんだか知らないけど、
「嫌いな人」や「嫌いな物」っていうのがあって、
その原因をあれこれ考えてしまったりするのです。
で、「生理的にだめなの」とか言って拒否せずに、
何をどこまで遡ればそれが分かるのか考えているところです。

高嶺格敦仁

1968年 鹿児島県生まれ
京都市立芸術大学工芸科漆工専攻卒
岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー卒
美術作家。

90年代初頭より、個人およびグループでにパフォーマンスなどを行い、ダムタイプの作品等にも参加する。舞台芸術などの空間造形にも関わりながら、粘土などを主に素材とした作品を発表してきた。高嶺曰く「身体と脳のコラボレーションを可視化する素材」として粘土は、パフォーマーとして行う身体表現にもつながる。近年は、2トンに及ぶ粘土を使ったクレイアニメーション「God Bless America」を2003年第50回ヴェネチア・ビエンナーレに出品するなど国内外で連続して作品の発表を行っている。主な作品に、ヒ素ミルクの被害により身体に障害を受けた男性の介護を通して生まれた映画作品「木村さん」や、コモン・センスを巡る現在の混迷した状況を表現したインスタレーション「ビッグ・ブロウ・ジョヴ」など。「性」の問題にも触れながら、異なる背景や価値観を持つ他者への接触と困惑、更に相互理解を志向するプロセスを表現している。