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smtシネマ共同企画
藤原智子監督映画特集(計3本)

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種類上映
場所7階スタジオシアター
期間2001年11月30日 から 2001年12月01日 まで
時間1回目:11時から、2回目:13時30分から、3回目:16時から、4回目:18時30分から
料金1回券1000円(当日1200円)、3回券2000円(当日2500円)

趣旨

近年、映画制作の分野でも女性の活躍はめざましいものがある。60歳を越えて精力的に活躍し、近代・現代史の深層に迫る作品を作り続けているドキュメンタリー映画監督・藤原智子の作品を紹介する。

内容

■「杉の子たちの 50年」
1995年/100分
第2次世界大戦中、イギリスやドイツにも組織的な学童疎開があり、イギリスでは、それが戦後の児童福祉政策に影響を与えたといわれている。学童疎開は、一見限られた地域や世代の特殊な体験のようにみえるが、どの国の子供たちにも心の底に何かを残し、考えあわねばならない問題があったことに気づく。日本でもこの世代には、学校や疎開先や学年を超えた不思議な連帯感がある。戦後、文学や劇映画でもしばしば取り上げられてきたテーマであるが、歴史の証言者としての存在をより明確にする本格的記録映画はなかった。この映画は、その世代がまるごと生きた「昭和」を問うとともに、自分たちの体験から、明日に何を残し、伝えるかを考えるドキュメンタリー映画である。
■「ルイズその旅立ち」
1997年/98分
1923年9月16日、日本の社会主義運動の先駆者、大杉栄と伊藤野枝が甥の橘宗一少年とともに軍部に虐殺されてから、4分の3世紀が流れた。この事件は今も日本近代史の汚点として語り継がれている。組織ではなく個人に立脚し「思想に自由あれ、行為に自由あれ、更に又、動機にも自由あれ」と唱えた大杉。真の女性の解放と自立を模索した野枝。この二人には4人の娘がいた。幼くして両親を失った姉妹は、幼女に出された次女を除きそれぞれが困難な環境に育った。この映画は父母の志を自分なりに受け継ぎ、草の根の市民運動家として精一杯に生きた四女の伊藤ルイさんの人生と、父母の思想の今日性を描き出す。
■「伝説の舞姫 崔承喜」
2000年/90分
全世界から「世紀の歌姫」とうたわれた崔承喜は、1911年、当時日本の統治下にあった朝鮮に生まれ、1926年、日本の前衛的舞踊家としてすでに世界の舞台を踏んでいた石井漠に入門。朝鮮の伝統的、民族的舞踊とモダンダンスをミックスさせ、民族性の強いユニークな創作舞踊を発表した。天性の美貌と恵まれた体躯とその斬新な舞踊で日本人を魅了、川端康成や三島由紀夫など、当時の文化人から絶賛された。
戦後は朝鮮民主主義人民共和国にわたり、一時は舞台活動や舞踊の指導で活躍したが、1960年半ば以降、その消息はわからないままである。この映画は韓国舞踊会の第一人者の金梅子さんが崔承喜の足跡をたずね、韓国舞踊の更なる発展の契機とする姿を追う。
■記録映画監督 藤原智子
1932年東京生まれ。東京大学で美術史を専攻。表現の可能性に惹かれて記録映画の世界に入る。1960年「オランウータンの知恵」でデビュー。その後、子育てで現場を離れ、「鳥獣戯画」を代表に美術映画など多数の脚本を執筆。47歳で監督業に復帰。80年代は能、歌舞伎などの短編記録映画を多数監督し、文部大臣賞、芸術作品賞などを受賞。1995年に初の長編ドキュメンタリー作品「杉の子たちの50年」で日本映画ペンクラブ・ノンシアトリカル部門第一位を獲得し、つづく「ルイズ その旅立ち」(97年)では、前同賞のほか、キネマ旬報文化映画部門第一位、毎日映画コンクール文化映画賞、スポニチ文化芸術大賞優秀賞ほか多数を受賞。2000年には「伝説の舞姫 崔承喜?金 梅子が追う民族の心」で山本安英賞受賞。さらに「夢は時をこえて 津田梅子の紡いだ絆」で津田塾大学の創始者津田梅子の足跡をたどり、再びキネマ旬報文化映画部門第一位、第55回毎日映画コンクール記録映画文化映画賞、日本映画ペンクラブノンシアトリカル部門第一位等、数々の賞を手にした。

※上映後に、監督トークショー。

主催/シネクラブ・フラウエン、せんだいメディアテーク
後援/財団法人宮城県文化振興財団、仙台市市民文化事業団