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smtシネマvol.10
01年からの実験映像

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種類上映
場所7階スタジオシアター
期間2002年02月14日 から 2002年02月15日 まで
時間一般 1000円、60歳以上/大学生以下 800円(当日券のみ)

趣旨

「・・・・・・とは何か?」という問いに答えを出すのはいずれにせよ簡単ではないが、「実験映像(実験映画)とは何か?」という問いに答えを出すのはその中でも難しい部類に入るだろう。この言葉はかつて海外で登場した「experimental film and video」の訳語であるが、英語での表し方が示すように、現在でいう「実験映像」と「ビデオ・アート」を合わせた意味だった。今回のテーマを「実験映画」ではなく、「実験映像」としたのは、フィルムとビデオ、あるいは、上映形態としてはデジタル・データそのままという可能性も持ち始めた今日の表現形態全般を表すためである。
「実験」というからには、内容や形式などのジャンルにとらわれることはありません。あえていえば、既存の映像表現に対する挑戦としての「実験映像」です。もちろん、これまでの歩みのなかで、その問いについて答えようとしている人はいる。たとえば、松本俊夫(プログラム1の「アートマン」を監督)は、「慣習的な意識に対する否定の精神(実験性)」「私にとっての映画(個人性)」「慣習的な映画制度に対して破壊的に作用する(反商業主義)」と記している(「新映画辞典」1980年)。さまざまな空間に映像があふれている今日、「実験」と名乗った映像作品がどのような試みを仕掛けているのか、あるいはもう新しいことなどありはしないのか、既存の映像に慣らされてしまっているかもしれない感性に摩擦をおこす特集である。

内容

■プログラム1
・「檻囚」
寺山修司/1969年/16mm/11分
ここにあらわれてくる人間たちは、すべて日常から一歩はずれた場所にいる者たちばかりであり、ある女はカメラがまわっている間中踊りつづけ、ある男は決して開かないダンテの地獄門の鉄扉を拳で打ち続ける。

・「風雅の技法」
山田学・月尾嘉男/1967年/16ミリ/3分
日本で初めてコンピューターを使って作られた作品。アナログ・コンピューターで一枚一枚を作画しプリント・アウトして、それをコマ撮りするという原始的な手法であるが、新しい手法による物の動きの誕生を発明した。

・「LE CINEMA」(映画)
奥山順市/1975年 
一秒24コマの動作を基本に、映画の構造をみごとに示した傑作。8ミリのブルー・フィルムから選ばれた断片を24コマに分解、その順列を様々な法則に基づいて組み直している。音と画面上を走るナンバーも、視覚的な構成と対応している。

・「アートマン」
松本俊夫/1975年/16ミリ/11分
映画前史に登場する動くおもちゃ、フェナキストコープの復原版である。動作を18コマに分割して、一周するとワンパターンが完結するエンドレス状のユニークなアニメーション。松本俊夫は実際にこうした装置を模型にして復原し、展示会を行っていた。

・「オランダ人の写真」
居田伊佐雄/1976年/16ミリ/7分
海の波間を裸足で歩いていく動作を、数百枚からなる連続写真を使って制作された。あたかもトランプ・カードをテーブルの上に並べる要領で、これらのスチールを一定の法則に基づいて見せる様は、“動きのパズル”といえる。

・「フィルム・ディスプレイ」
瀬尾俊三/1979年/16ミリ/5分
きわめてシンプルな一動作を、文字通りフィルムを<展示>することによって、映画における動きの仕組みを解明していく試み。いわば映画の展開図ともいえるこの作品は、たとえば走る犬の動作が百の画像によって表され、波のうねりのような映像をつくり出す。

・「映像書簡2」
萩原朔美+かわなかのぶひろ/1980年/16ミリ/39分
「映像書簡」は1〜4が1979年から1982年に制作された。当初、題名の通り、映像による往復書簡という形式自体をテーマとして制作が開始され、シリーズが進むにつれ、ふたりの持ち味を交互に発揮しながら作品を収斂させていくという共同制作作品としての性格が強くなった。「映像書簡2」はその転換点にあった作品で、シリーズ中の代表的な作品。こうした形式の映像作品は、世界的な視野からみてもそれまでになく、この後、寺山修司と谷川俊太郎の「ビデオ・レター」など、往復書簡形式の作品がいくつか誕生することになる。

・「SPACY」
伊藤高志/1981年/16ミリ/10分
約700枚の写真を素材に制作された作品。誰もいない体育館の中に、写真を貼ったスタンドが置かれており、カメラに近づいていくとそこの写真に写っているのは同じ体育館の内部の光景。めまいを起こすような運動感を生み出している。
■プログラム2
・「アスレチック3」
和田淳子/1995年/8ミリ/8分
「お兄ちゃんが…」ではじまるたえまないつぶやきと、女性のヌードをモチーフに、子供っぽい明るさとエロスが同居する作品。

・「roundscape mix」
中西義久/1996年/ビデオ/3分
まるで円回転するジェットコースターに乗って風景を眺望したような壮快な視覚世界。見晴らしのよい場所からぐるぐるとパンし、公園のゴミ箱、送電線の鉄塔などを捉えると、猛烈な勢いでズームイン。さらにその周りを360度回転するという二重の運動感。道路標識が横断歩道を歩いたりもする。

・「殺人キャメラ」
芹沢洋一郎/1996年/16ミリ/3分
「加害者と被害者どっちが強いのか?撮影者と被写体どっちがえらいのか?実写映像と合成映像どっちが正しいのか?世界の中心は私だとして、映画の中心は一体全体どこにあるのか?というわで、昼間氏の愛と私の怨念のこもったフランケンプリンター始動。」(作者)

・「部屋/形態」
石田尚志/1999年/16ミリ/7分
部屋の片隅、窓から射している琥珀色の陽。壁面に投影された影が侵食しあい、増殖するにつれて、立方体としての部屋の形態は、やがて実際の壁面とドローイングによる仮想の平面が造り出す視覚の揺らめきに変貌する。鑑賞者の知覚作用により形態が変わる驚異の部屋。

・「カラエナ」
池田泰教・岩田勝巳/2001年/ビデオ/7分
日常と非現実世界との往還を描いたパペット・アニメ。「カラエナ」とは想像上の植物名。テレビで「幻想組曲」なる曲を聴いていた男は、たちまち摩訶不思議な世界に入り込み、突如現れた双子の少女に勧められるままにカラエナの実を口にする。テレビ映像とコマ撮りシーンを融合し妄想的トリップ感覚を鮮やかに見せる。

・「FADE into WHITE #2」
五島一浩/2000年/ビデオ/11分
モノトーンで描かれたCGアニメーション。無人の病院の内部を車輪のついた「視線」が徘徊する。日光をふんだんに浴びた巨大な待合室。リノリウムの床に反射した光が印象的な廊下。窓越しにはゆっくりと落ちるボール。スムーズな視点移動と、一貫したストイックで記号的な空間構成が“気配”の描出に奏功している。

・「モノクローム・ヘッド」
伊藤高志/1997年/16ミリ/10分
映画作りにとりつかれた男は目に見えるもの全てをフィルムに定着しようとするが、エスカレートすればするほど映画の全貌は茫洋とし、その苦悶の中で男は次第に死の影におびやかされ始める。という物語を語っていこうとするわたし自身の頭の中から沸き出るイメージを映像化した作品。

・「時の潤v
かわなかのぶひろ/1998年/16ミリ/40分
記憶というものに拘泥してみたい。東京に生まれ、あちこちを転々とした少年時代の記憶。誰もが貧しかったけれど輝いていた日々。あれから半世紀を経て少しも色褪せず日を追うにしたがって濃く、鮮明になってくる少年時代の日本…。もう戻ることはできない。戻りたくても戻れない。そんなジレンマをミャンマーの少年少女たちに重ねてみた。ノスタルジーとは少しちがう記憶の反芻…。個人で映画を作ることは、そういうことなのだ。