コラム

韓国写真の現住所

金升坤 (キム・スンコン:写真評論家、本展韓国側コーディネイター)

1964年、最初の写真科が開設されてから、韓国には現在二十二校の二年制大学と十二校の4年制大学に写真学科が置かれており、十の大学の大学院に写真専攻の修士課程がある。これらの大学から輩出される卒業生だけでも毎年二千人を越える。この驚くべき数的膨脹にもかかわらず、1980年代中半に至るまで韓国の写真の場面では、世界の同時代の写真に同調するような兆候は現われてこなかった。

最初の変化の兆しがみえ始めたのは、1950年代以降に出生した若い写真家たちが写真の前面に登場してからだ。彼らは写真に対し禁慾的な態度で一貫してきた以前の世代とは違う文化的環境のなかで育った世代であり、より自由で若者らしい好奇心と活力を持った世代であった。また、彼らの多くが、政府の開放政策が施行された1970年代以後、海外留学を通じて異質の文化を体験した留学第1世代の写真家たちである。

韓国が社会や文化のあらゆる分野で新しい転機を迎えたのは驚異的な経済発展がひとつの頂点にむかっていた1980年代中半以降からで、彼らが登場するのもこの時期と一致している。それまでアマチュアによって主導されていた写真が、大学や外国で専門の教育を受けた写真家たちに移動する ことで、韓国写真が新しい局面を迎えるようになったのである。

1980年代後半から90年代初半にかけて、<写真ー新しい視座>、<韓国写真の水平>、<観点と仲裁>など、多くの大規模なグループ展が次々と開かれ、韓国の写真は未曾有の活気を見せるようになった。今回の<サラム・パラム>展に出品している「炳雨(ベー・ビョンウ)金壯燮(キム・ジャンソップ)具本昌(クー・ボンチャン)崔光鎬(チェ・クァンホ)は、それらグループ展の主導メンバーであった。つまり、韓国の現代写真は彼ら何人かの写真家たちによって切り開かれたと言っても過言ではない。そして、写真に対する彼らの態度は、学生たちや次の世代の写真家たちに幅広く受容されて行った。

1990年代末から作品を発表している二十代・三十代の若い写真家たちは、外国へ出て、その文化的雰囲気を直接体験したり、或いは写真集、インターネットなどの多樣な経路を通じて輸入される西欧の写真の傾向などをほとんどリアルタイムで体験できた世代である。彼らの多くは設置や媒体の混用といった'非写真的'な作品や、性、フェミニズム、大衆社会と現代文明に対する批評の込められた作品を発表している。また、既に存在する世界の外観を印画紙の上に移し変えすより、自分の想像力や奇なる現実に対する意見を写真のプロセスのなかに介入させることの方へ、より大きい関心を寄せている。彼らの表現は現代美術と非常に接近したり、互いに重疊されており、両者の領域を明確に分けることが困難になった。数十数百枚の写真を貼り合わせて、一つの立体作品として再構成した権五祥(グォン・オーサン)の作品や、大きい印画紙に伸したイメージにパンチで無数の穴をあけた崔光鎬(チェ・クァンホ)の作品の中からは、そのような現代美術の中での写真表現の特徴的な断面を読み取ることができる。

才能を持った女性アーチストたちの登場も、90年代の韓国写真に現われた一つの特徴と言える。金玉善(キム・オクソン)李宣民(イー・ソンミン)は女性の飾らない裸や、主婦たちの無気力な日常の姿を通じてゼンダーの問題や、女性としてのの社会的役割などの問題について強く訴えかけるような作品を発表している。

1990年代の韓国写真の自由で荒々しい動きによる衝撃を緩衝させるバランサーとして、卓れた作品を創り続けている写真家も多かった。彼らは写真の記録性に対し厳しい信念を持って、韓国の風景や人間を中心に据えた作品活動を続けている。たとえ、現実がどんなに複雑で曖昧な構造を持っていても、彼らはそれをより明瞭な形で提示しようとする。そのような写真家のなかの一人である具成守(クー・ソンスー)は、三十才になる奧さんを姿をモノトーンで丹念に記録することで、一定な距離を置いて夫婦という関係をもう一度見つめ直そうとしている。

今、韓国の写真は全ての方位にむかって開かれている。この<サラム・パラム>展は、伝統的な写真から現代美術との接点で作業する作家に至るまで、多樣な傾向の作家たちの作品によって構成されている。2002ワールドカップの韓日共同開催に合せて開かれるこの展示は、韓国写真の活気と多樣性、そして1990年代以来、韓国の若い写真家たちが獲得してきた水準を見るためのひとつの手がかりになるだろう。