古谷案対伊東案

古谷案対伊東案

磯崎:では完全に捨てたというのではなくて、問題の焦点を田島案を少しずらして残り2案で考えていくということで、あと少し議論をしたらと 思いますが、この辺で月尾さんが理屈で言うと古谷案のようなイメージになるにも関わらず、伊東案はそこを逃げていると、そこら辺を最終的にどう評価するべ きかというも問題を出された訳で、月尾さんには後で意見を伺いたいのですが、山口さんはどの様に見ておられますか。
山口:中も外も含めて右はスキャンダラスなんですよね。社会的に色々な問題があって、過去の歴史を見ても、エッフェル塔にしてもポンピドー にしてもパリに出来た時はスキャンダルでみんな反対したんだけど、置いておくうちに、当たり前になったということがありますよね。片一方は、端正で、ス キャンダルとはおおよそ関係ないイメージを出してくる訳ですが、左の方はクールでスタティックになって市民やここに集まって来る人を拒否するような、ス キャンダルの逆の端正なイメージがそういうことを波及させるのではないかという気がします。古谷案は、スキャンダルな問題がそこで絶えず発生して、それが 逆に拒否しながら呼び込む、ファサードなんかを見てもそんな気がするんです。
磯崎:例えば、一頃の議論で、メディアというか、新しいテクノロジーがどんどん進歩して行くと、騒音が減ってゴチャゴチャした状態が減っ て、クールになって、最後はニルバーナみたいな静かな所で動いているというのが1つのイメージだそうで。それと逆にもっとゴチャゴチャした風に空間が複雑 怪奇になって行くんじゃないかという意見もあって、そういうのが過去30年位延々と続いています。その辺で言うと山口さんのイメージされているような意味 での未来メディア空間というか、メディア的なものを介した都市空間は、どちらの傾向に行きそうですか。
山口:結局オタク世代というものがありますよね。オタクというのはどんどん自分の中に入ってしまう自己充足型で、オタクが今度コンピュー ターネットワークの中で行くと、秘密結社的な、もちろんオープンなんだけどもやや秘密結社的な雰囲気をもう既に持っているんですね。ところが都市の中に物 として物理的に空間なり施設を提案するというのは、逆にニュートラルなメディアじゃない、もっと荒々しいというか、そういうことがあった方がスキャンダル というか、そういう問題をかき立てるという気がするんです。
磯崎:ホットな新体制みたいなものは都市の中に出てくる。クールな方は、建物自身がオタクになっちゃうような傾向が出てくる。
山口:去年かな、リンツでアルセレットロニカのセンターを作る市民参加のイエスかノーかの大会をやったんですよね。それはもうまさにお祭り なんですよ。そこに集まった何千人の市民が賛成、反対のボードを持ってそれを市長が説明すると、それに反応してみんなやるわけです。それをコンピューター で計算して結果を出すというような一種のメディア時代の市民参加の集会みたいなのをやったんですね。そういうことが逆に社会の中に目を向けて行くというの か、そういう手法としてあるような気がするんですよ。だから余りオタク型になっていくと、そのままインフラになって終わってしまうという気がする。メディ ア社会の中で、メディアそのものがインフラになって見えなくなっていく、それは恐いんですよね。
磯崎:その辺のことで、月尾さんどういう見え方ですか。
月尾:どちらも情報空間ということに対する提案ということにいずれなると思うんですよね。伊東案でも今後中に色々システムを当然入れていく ということになれば。簡単に言うと、審査委員会として82の案を選んだ時には市役所の方、市民の方、ある意味で素人を説得出来るかということです。161 をもし選べば、逆に情報のことを非常に考えた玄人に対して説明できるかという問題があると思うんです。
磯崎:審査委員が審査されてるようなもんですね。
月尾:スキャンダラスって言い方もあるし、要は玄人を説得するか素人を説得するかという、そういうことに到達するんだと思いますけどね。も ちろん素人と言っては申し訳ないですけれど、実際運営される市ですね、そこへの説得ということも古谷案の場合には重要な根拠になるという事です。
磯崎:藤森さん、メディアに関係ない市民として、路上観察をやる気持ちになって言うとどうですか。
藤森:基本的には実際色々歩いてますけど、最初からアプローチする人の自由度を出来るだけ高めたい、偶然性を実現したいということを、企画 された所に入るってこと程いやなものはないんです。要するにあなたは自由だし、偶然に出会えますよってことを最初から仕組んであるかなっていうのは本当に 不愉快なんですよ。
磯崎:観察する事じゃなくて、観察するルートに乗せられちゃってる。
藤森:逆にそういう点については分からないけど、実際はどうなんだろうという気は古谷案の方にはあるんです。実際に入った時に、つまり月尾 さんのさっきの説明によると、古谷案も伊東案も基本的に同じになるんじゃないかというユニバーサルスペースと仮設を置いたものは実は同じじゃないかと月尾 さんさっき言われて、なるほどと思いました。確かにユニバーサルスペースに入ってくるもの、仮設的ものですよね、こちらも最初から仮設と言っておられた、 すると両方が原理的に仮設的だとすると、何が違うんだろうなと、そうすると見え方であれ、人がその中を実際歩いた時の体感みたいなものが違うのかなって思 うんです。古谷案はどういうイメージを考えているのかね、プログラムは分かったのですが、具体的にはどうなんでしょう。
磯崎:あれを見てるとアジア的雑踏の中に入っていくような、要するに九竜城か御徒町みたいなね。そちらに行くかなという印象だし、伊東案は全く対照的ですよね。
藤森:九竜城にしろ御徒町にしろおやじさん達なんだよね。あの空間を現実化しているのはね。
月尾:各ブースにいるね。
藤森:それについて古谷さんは必要なだけ入れますと言ってましたね、人を。古谷さんを入れる訳じゃないですけどね。うまく行けばいいけど。
月尾:今日の図面、付録に付いてる3つ位の色付きの図面を見ると、余り雑踏的でもないんだよね。結構こまごまとはしてるけれども、ある種の集積回路みたいなイメージで、ロジカルで細かいという。
磯崎:図面はね。模型で見るとかなり。
月尾:模型が雑なんだ。もう一つ、どちらがいい悪いとそういう言い方じゃなくて、今仕組まれているってことで言うと、これは審査委員を引っ かけるというか、サインを得るように仕組まれている案だと思う。非常に巧みに審査員が自ずと深みにはまるように仕組まれているというね、非常に良く出来て いるんです。
藤森:あと、古谷さんの説明で本を色々な所にバラバラに置くというのがどうもよく分からない。いろんなメディアがあるっていうのは分かるんですが、本が電子じゃないから飛ばなんいでどうするんだって月尾さんが言われましたよね。
月尾:例えば料理の本で料理のビデオを探すというのは電子メディアですぐ探して送ってもらうなり、取りに来ることが出来る、だけど料理を見 に行ってたまたまサーカスの事が隣にあったから見ようということは、空間性と身体性の中でしか出来ないと、それが彼の説明だから逆に言うと体系的にここへ 何かしに来ようという人にとってはえらく迷惑なことです。たまたま時間が空いてるから、ぶらっと来て面白いことがあったというのには非常によく出来てるけ ど、限られた時間でこれだけの事を調べようと思うと、とんでもないことで、目的が達成できないという。
磯崎:要するに検索システムがどこまで頼りになって、どこまで明快になるか、それで検索されたものにどういう風に簡単にアクセス出来るかと いう問題がどこかで基本的に解決されてないとこのシステムを今すぐ実現させようとしても、検索が弱かったら空間的に完全に迷路になってしまう。どうもそう いう限界があってそれをこのメディアの将来ということに対して彼らはできる可能性があると。その内の1つは手すりであるとか、交番みたいなステーションが あって、一種の検索あるいは案内レファレンスですよね、そういうものをそこで考えるというそういうシステムというか、メディアを介したシステムが成立して いるならば、こういう形の可能性というのは見えてくるという風に思うんですが。それはいったん切れたり、崩れると、ライフラインが切れたみたいになって、 このビルは完全に訳の分からないお化け屋敷に見えるという、そういうプラス、マイナスの部分が出て来るんではないでしょうか。
山口:僕はさっきメディアヘブンって言ったんだけど、すごく、こういうものを作ればメディアとアクセス出来て、天国でもないけど、幸せにな るという様な、かなり予定しているよね。ところが現実の人間というのはそんなに簡単に天国に行けるかっていうと、行けないと思うんです。やはり、マイナス 面の問題を抱えているんですよね。だからそれのシミュレーションをやってるのかって言うと、やってない。まあ今の所無理でしょうか。
月尾:ただ、古谷案で今もご意見ありましたが、フランス料理だ日本料理だ韓国料理だと言ったことは今や家でもできるじゃないかと、わざわざ こんな所まで探しに来なくても、いくらでも動画像だって4~5年先には出来る可能性だってあるでしょうと、こういう所へわざわざ来るときの与えられるも のっていうのはそういう偶然性のようなものだと言う説明はあったんですよね。もう一つ、それを仮にマイナスだという評価、今の様な事が出来ないと言うこと をマイナス評価とすると、先程言ったことに帰着するんだけど、正直者がバカを見るという感じになって、要は一生懸命考えた案はマイナスだと言われて、何も 考えないで空間だけですといったところは罰点がつかないというあたりも、審査としては考えないといけないと思うんですよね。要は床と柱でかっこいいものを 作っておけば通るというような事になると。
磯崎:要するにそれをとっぱらって、ミースの何が起こったって平気だっていう、何だってキャパシティーはありますよという事をミースのユニ バーサルスペースは言っていると、彼は今日の説明でユニバーサルスペースをもうちょっとエレクトロニクスによって活性化するというのがこの状態の柱である という様な風になってますよね。
月尾:自然とエレクトロニクスの流れによりミースのグリットを息づかせると。
磯崎:要するにそれは今ここで問われているメディア的空間、メディア的な建築タイプの将来という様な物がミース的な空間の修正でいいのか。 月尾さんのおっしゃるのはミース的な空間の修正で対応出来るのか、もうそれは限界なのかという問題かも知れないですね。で彼はそれを少しリビジョンしてい るような形でモディファイしたという事で、このものが出来て、基本的に空間としてはユニバーサル空間であるという事には変わりはない。そこでゴチャゴチャ の問題を先送りしたというのがこの案であろうという気はしますね。
月尾:だからどちらも言い方によればユニバーサルスペースを提案しているんですよね。建物で言えばこれはもう一歩中も突っ込んじゃったと。それでこちらはご自由にと言ってると。
藤森:突っ込んだ方というのはよく分からないですよね。こうなるのはどうかね。突っ込んだ方向が悪ければドツボだ。
月尾:そうそう、それもある。
磯崎:そう言うような議論がここまで来た訳ですが、最後にそろそろ結論を出す時間が近づいて来てるんですが。
藤森:ちょっと一つだけ聞いていいですか。山口さんと月尾さんに、つまりメディアをやるオタクっぽい人達というのは空間というかゴチャゴチャしてる事、そういうことに興味があるんですか。
月尾:きれい好きですよ、結構。
藤森:伊東案的なのが好きなんですか。
月尾:そういう人の所に遊びに行くと、きれいに整理されている。
磯崎:あまり沢山知らないけど、よくオタクの部屋として紹介されてるのなんか見るとそうきれいじゃないよね。
山口:いわゆるコンピュータープログラムとかやってる学生なんか見てると、逆に上演会とか手弁当で動いて、世の中でそういう場所を捜した り、そういう場所に人を呼んできたり、ということを一生懸命やってるんですよね。だからオタクだからこうだとは言えないし、こういう別の新しい空間が出来 れば、またそこにアクセスするんじゃないかと思うんです。だから偏ったものではない方がいいんじゃないかって気がする。
藤森:図書館の問題というのがさっきからあるんですが、メディア的に処理できないんじゃないか。本の問題が大きなネックになってきて、メディアはいいと思うんですけど、図書館の本の管理、図書館の方がこれになじまない可能性があるということがあるのでは。
磯崎:例としていいかどうかわからないが、確かにこの間の神戸なんかの状況でボランティアだけどあれだけゴチャゴチャしたものが都市で出現 したんで、それで関心持ってボランティアが来て、みんな同じ中に入り込んだ。オタクの人も突然ボランティアになるという、そういう変換は確かに起こります ね。さっき山口さんがおっしゃったようにスキャンダラスな状況があるから、みんな行くわけね。こういう物がそういう空間になっていれば、より人をひきつけ るのかな。
山口:そう思いますね。古谷さんがプロセスを全部参加させて現場で見せていくと言ったでしょ。逆にそれが失敗したら冷めていくんだけど、うまくのせていけばこのネラいというのは出来るまでにかなり社会的な条件を醸成する力はあると思う。

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