85/05
-幻のつくば写真美術館からの20年

資料室

展示ノート:笹木一義(せんだいメディアテーク 企画・活動支援室 学芸員)

「85」と「05」と「/」の空間

「85/05-幻のつくば写真美術館からの20年」展は、写真表現における1985年から2005年までの20年間を振り返りつつ、その間と未来へと続くうねりを見せる展覧会として企画した。この展示は、タイトルの通り「85」と「05」の二つの要素から構成されるが、ただ「二つ」といえるほど単純ではない。20年間の時の流れ、そして写真表現の流れを示すことを目指しているからこそ、二つの刻のあいだを示す「/(スラッシュ)」に偏執狂的なこだわりを持っている。

「/」の部分、すなわち歴史、時間、時の流れ、そしてその時代に生きてきた人々や自分自身を展示空間と結びつける試み。時を越える展示空間への試行が始まった。結果として、本展は3つの空間領域から構成されることとなった。第1部『「85/」復活! 幻のつくば写真美術館』では、150年間の写真史に名を刻み込む作品群が201点が集まっている(出品目録へのリンク)。

44mのギャラリー幅いっぱいに壁面が遮るものなくまっすぐに貫かれ、そこに「生ける写真年表」とでも言うがごとくにフラットに作品が展示された。作品群を物理的にも内容的にもストレートなかたちで見せることで、来場者自身が写真史年表の中に入り込んでしまうような、一種のめまいを感じるような静謐かつ圧倒的な空間を構成することを目指した。

一方第2部『「/05」ニュー・ジェネレーション 継承者たち』では、逆に込み入った動線が用意された。「つくば」以降、アナログ写真とデジタル写真、写真の出力方法の変化、表現対象や表現内容が多彩になるなかで、写真自体がどのように移り変わっていくのか。現在に生きる「継承者たち(successors)」が現在の時間の中で写真を通していかに表現するか。「05」の空間はそれらの「うねり」を伴う空間であった。

そして「/」の部屋である。前述の両者の間に位置するこの部屋には、写真は展示されていない。年表と端末とテレビがある静かな空間である。しかし、ギャラリー内のボイド(何もない空間)とも思えるようなこの「/」の部屋にこそ、時をかけるこの展覧会のコンセプトが強く反映されている。

年表なるもの、とそれを現すメディア

この部屋で一番目につくのは16mの壁面を使用した「関連年表1985-2005」である。展覧会に関連年表があること自体は珍しくも何ともない。そして年表をまとめるという作業は、膨大な情報をいかに抽出・取捨選択していくかという苦労と、歴史的事実を記すという重圧とを常に伴う。その中において今回の年表は20年間という決して長い期間の年表とはいえないものであるが、むしろ短期だからこそ、実体験がある時代だからこそ、生々しい事象として見えてくるだろう。

さらに今回は写真家たち、自分自身が生きてきた20年という時間、そして日本で本格的な写真美術館の魁(さきがけ)ともいえる「つくば」が誕生した1985年という時代がどのような時代であったのか、という問いかけに対していかに答えるか、ということが本展の251点の作品群をより深く味わうために必須のことであるように思えた。そしてこの「/」の部屋がその役割を果たすものであり、その主役は年表であると考えた。

そこで今回は年表の項目として「西暦」、「和暦」、「社会」、「アート・文化(写真史)」、「テクノロジー」、「その他」の6項目を設定し、1985年から2005年までの各年毎に6項目を拾っていった。特に留意した点は、西暦と和暦の感覚である。「昭和」・「平成」といった元号の移り変わりを挟むこの20年において、日本で暮らしてきた時間が多い筆者や大多数の人間にとって、昭和○年、平成○年といった和暦の区切りのほうがその時にあった事象が直感的につながるのではないだろうか。これは海外から日本に戻ってきたり、文化圏独自の暦を持つ地域に行ったおりなどにも強く感じられることである。また、「テクノロジー」の項目では写真やその取り扱いに関連する技術面に、そして「その他」の項目では「イッキ!イッキ!」や「新人類」など当時の流行語ともいえるタームを取り上げた。

そして年表の表現方法を検討する中で、年表というものの特性について再考させられることとなった。よく紙メディアと電子メディアを比較する際に、一覧性というものがテーマとなる。一般的に、電子メディアは膨大な情報を取り扱うことができるが、それらの情報の主な出力先はモニタであり一覧性に欠けると言われる。今回の年表はその内容上、縦軸すなわち一年毎の時系列とともに、各項目間をつなぐ横軸のつながりも重要である。昭和63(1988)年、日本初の写真部門を持つ川崎市市民ミュージアムが開館した年はリクルート疑惑が世間を賑わし、初の完全なデジタルカメラであるフジDS-1Pが発売された年でもある。当時12歳の筆者はリクルート疑惑をニュースで見ていてもデジタルカメラの誕生などは知る由もなかったし、今の私から見ても80年代にデジタルカメラが誕生していたことに新鮮な驚きを感じる。

このように、当時を知る人だけでなく実体験がない年齢層にとっても年表の役割というものは大きいものであり、その役割を発揮させるためには各項目間の横軸のつながりというものが非常に重要であるという結論に至った。そしてそれを解決するには、年表に一覧性とともにスクロール性を持たせることが必要であろう。

このようなことを念頭に今回は、壁面の巨大年表の他に、web上の年表、そして年表の手前に設置した端末で操作できる、インタラクティヴ版の年表(flashを利用したコンテンツ)の3種を用意した。壁面年表は、アイキャッチも兼ねて全体を概観できるよう、一年あたり4~6項目を抜粋して構成した。しかしここには今回の年表の2割程度の情報しか記載されていない。そこで補助的にwebサイトにプレーンな表として年表を表示しているが、あくまで情報補完のためであり、冗長に縦スクロールしてる感が否めない。そのため3つ目の年表であるインタラクティヴ版の年表を、当館の情報担当職員と共にflashコンテンツの技術を使用して作成した。

このコンテンツは会場内のみの公開となったが、タッチパネル式のキオスク端末を使い、縦軸の時系列と横軸の項目のマトリックスを画面のタッチによって閲覧者の意志のとおり自在に縦横にスクロールさせ、拡大縮小させながら、年表の中を歩き回るように閲覧できるようにしたコンテンツであった。特にインターフェイスの設計の際には、「なぜこの年表がスクロールする必要があるか」、「閲覧者に主体的に縦へ横へと操作してもらうことで、何を伝えたいか」という問いを常に念頭においた。動きを持った年表という考え方は、日本語版が2005年7月に公開された「Google Maps」の影響もある。この地図サービスは、画面上の地図を自ら「つまんで」地図を動かせるという特徴があり、単なる画面切り替え以上につながりやひろがりを体感させるものとなっていた。そしてこの「自ら選択した動き」を年表の中に取り入れることでインタラクティヴ版の年表がひとまず完成し、壁面の年表と相互補完しながら「/」の部屋を飾ることとなった。

「時」と「人」と展示

また、その他にも「資料室」と名付けられたwebサイトに、ツァイト・フォトの石原氏や写真評論家の飯沢氏による寄稿や、「つくば」のフライヤーなど歴史資料のコンテンツも用意された。また、当館7階の映像音響ライブラリーの所蔵資料の中から、1985年当時のつくば研究学園都市のPRフィルム(16mm)や、1985年の流行歌のメドレーCDを上映・視聴するコーナーも設けた。特に後者は「タッチ(岩崎良美)」や「Romanticが止まらない(C-C-B)」などのヒット曲に聞き入ってしまうお客様も多く、密かな人気となっていた。このあたりは新旧のメディアを扱う当館の特性を引き出すことができたコーナーでもあり、それぞれの時代を鮮やかによみがえらせる「時代の小道具」となった。

そしてその部屋の角に、もうひとつ厳粛かつ快闊な雰囲気の講演が流れているテレビモニタがある。写真家細江英公氏の講演ビデオである。

実は「つくば」展はただ一ヶ所だけ巡回地があり、それは当館にほど近い宮城県美術館であった。当時担当された三上満良氏には本展に対して多くのご助言とご協力をいただいたが、当時のポスターとともに氏が我々に貸し出してくれたのが、20年前に録画されたベータマックスのテープであった。「写真を考える」と題されたその講演のうち始めの一時間を上映したが、その内容は1985年の「つくば」にいたるまでの、文化の中での写真の扱われ方に始まり、写真作品の価値の変化やヴィンテージ・プリントという考え方の萌芽、観る側が写真史の観点を持つことでより豊かな展示体験できること、など非常に示唆深い内容であった。筆者はその一ヶ月ほと前、あるトークイベントで偶然細江氏にお目にかかる機会があったが、それに加えテープに収められたこの講演と、会場で氏の代表作「薔薇刑」を合わせてみることができたことにも不思議な縁を感じた。また上映の準備にあたり、テレシネアダプターを使ってベータからDVDへのメディア変換を行うこととなったが、その希有な変換風景は筆者に20年間の時間の流れを感じさせてくれた。わずか20年の間でもそこに生きる人々や写真家、その作品、記録・撮影のための機材やメディアの歴史が確かにあるという実感。その体験が、本展での展示空間のアイデアの源泉であり、モチベーションともなった。

このように本展の表現のあり方、展示のあり方を考えていくことは、写真展のあり方を考えるだけでなく、どのようなジャンルやメディアを取り扱う上でも欠かせない「時」の感覚、そして「時と人のつながり」を考えることでもあった。今回は「85/05」という、日本の写真文化にとって貴重な刻(とき)、そして時間を考察する展覧会であったが、作家や作品とともに、観る者の時や記憶、ライフヒストリーを巻き込んで展示に引き込んでいく「世代・時代の展覧会」という切り口に弾みをつけるものとなったのではないかと考えている。

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