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せんだいメディアテーク
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フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーに似ている写真

smtは、フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーに似ている。ワイズマンの映画は、病院やデパートや動物園、様々な社会的状況に営為する人々を写す。私たちがそこに見るのは、あたかも、映画キャメラなど存在しないかのように、自然に日常を振る舞う人々の姿である。 しかし、確かにキャメラは存在し、監督とキャメラマンなど、撮影クルーが被写体を追っている。ワイズマンのドキュメンタリーが私たちに示唆するものは、人がいかにキャメラの前で現実というドラマを演じることが可能か、ということにある。

smtは、建築の透明性によってインテリアがエクステリアへと変換する。それは建築の外部から内部のデザインがエクステリアとして機能しているということにとどまらない。 伊東豊雄のデザインは壁で囲い込まれた部屋という概念を消去している。このために、その中で行われる活動は、通常ならみることのできないスタッフオンリーの領域での作業さえもパブリックの視線にさらされることになる。そこで活動する人々は、あたかもワイズマンのフィルムの登場人物のごとく、社会的な現実を演じることになる。

私は今年2月「smtプレゼンテーション2002」のコメンテーターとして仙台を訪れた。実際の活動事例とそれに関わる人々に接して感じたのは企画コンセプトを意図的に放棄したらどうかということだった。ドキュメンタリーでワイズマンが、そしてワイズマンとは対極的な手法でロベール・ブレッソンが追求したリアリティの臨界点を、smtの活動に導入できるかもしれないという期待。最大の能力をつぎ込み、わずかな演出の痕跡を消すことが表現のリアリティに通じるのと同様に、キュレターをはじめとする企画者たちの自意識やコンセプトの痕跡を極限まで消し去るのだ。 コンセプトという名の演出によって活動が完結していくのではなく、不確定な実態をシステマティックに開示していくことに現代のリアリティが存在している。smtの建築的透明性の中でこそなしえる、特権的な活動の可能性が開かれている。