最終日の作品発表会についての印象を書きます。
演歌常套の旋律、歌詞を使い、竹馬の友への哀悼を山と磐司岩の景観に託した、半谷さんの「二口峠」は一人の人間の半生が凝縮され、かけがえの無い唯一のものとして練り上げられた作品で、雄大な秋保の大自然を背景にその歌声を聞いた時には歓喜のあまり私の眼から涙が出てしまいました。ワークショップまたは音楽ジャンルという枠組みを遥かに超えた芸術体験でした。
そこで、この素晴らしい作品制作の背景についても少し考えてみましょう。作者の半谷さんは、この作品にもう一つのテーマを込めています。それは演歌の魅力を今一度知らしめることです。
ラジオをつければ演歌しか流れない、そんな時代に生まれ育ち最大の娯楽が歌を歌う事であり楽しい時も苦しい時も子供の頃から慣れ親しんだ演歌を心の支としてきた半谷さんは、その「演歌」が滅きり聞かれることが減っている近頃の世の中を寂しく思い、今こそ「演歌」文化の魅力を感じてほしいという願いを込めてこの作品を制作なさいました。
また半谷さんは、七五調の前口上まで難なくお書きになり、作詞においては峠=人生=宇宙と見立ていましたが、そんな中にも演歌のみならず日本詩歌の伝統がもつ独特な作法を垣間見ることもできました。
同じく秋保で発表された富沢さんの「かえってきてよ」は失われた螢の棲む環境と家族と過ごしたみずからの幼年時代の記憶と風景をテーマにした非常に凝った作品でした。富沢さんは表現したい事を一つの作品にまとめるのが難しそうなほど沢山持っていらっしゃるようだったのですが、上手く纏め上げ完成に漕ぎ着けた力作でした。
記念したい事柄である螢の棲む環境についての調査も余念がなく、その過程で様々な展開がありました。それは、仙台で蛍の育成に関わる活動をしている、「仙台ほたるの会」の兵庫淑子さんを取材し、どういう思いで活動をしているのか、今困っていることは何かなどを聞き、作詞にそれを盛り込み、さらにその楽曲を、「ほたるの会」の活動に役立てることができないかさぐる、という決して自己満足に終わらない作品制作をされていました。「仙台ほたるの会」との共同制作であることを常に意識した作品だったということも特筆されることでした。
次に「杜の都のアート展」のパフォーマンス部門に「仙台八景ブルース」チームとして自作を引っさげ出場した伊藤さんの作品「the wind of jozenji」は、多くの体験と想い出の入れ物である定禅寺通りを歌ったものでしたが、これも期待を大きく上回る傑作でした。発表に最高の場である定禅寺通りの特設ステージで彼女の清清しい歌声を聞いた時、このワークショップが「大成功だ」と確信したほどです。伊藤さんは二つの催事をひとつの作品発表で結び付けてどちらの催し物も盛り上げると言う離れ業をやってのけたのは当初想像もしなかった愉快な展開で「全て自己責任、自主企画でやっていただく」という方針の副産物といえるかもしれません。このワークショップも伊藤さんの自己表現の道具として「催事・際的」(インターイヴェント的)に活用してくださったわけです。
作詞の段階で少し弱いかなあなどと思ったのでしたが、実際に旋律に乗った素晴らしい歌声を演奏を補完する環境で聞くとそんな心配が浅はかな素人了見だったことを思い知りました。
このワークショップ中もっとも多くの聴衆を得た演奏でした。
また、彼女も冨沢さんと同じく、定禅寺通りの関係者に、この演奏をきいてもらえるように招待状を送ったり何度も足を運び御願いするなどして誠実に働きかけていました。
演奏後、招待したジャズフェス実行委員長の尾崎さんからは、定禅寺通り沿いのお店やイベント時にかけられる曲になれば、、といっていただけたことがとても嬉しいことでした。
つぎが川村さんの「いにしえの丘」の長命館公園での作品発表。一旦、意識を日常の時間から引き離して中世まで誘いそこからまた現在、未来へと運んでくれる時間旅行の駅として中世遺跡を記念した作品です。女声2部合唱と鍵盤楽器で構成されています。
この中世城郭遺跡の公園のサポーターズクラブのひとりである作者の川村さんは遺跡に隣接する「めるへんの森幼稚園」とそのお母さん合唱団「コールめるへん」に働きかけ、この演奏のために出演して歌っていただくことの承諾をとりつけました。実際その遺跡で川村さん指揮による「いにしえの丘」が合唱されたとき、作品のテーマである遺跡の歴史、風景、蒼く高い空と緑の森、指揮をする川村さんの背中、合唱する御母様たちとその歌声、聞き惚れる人々、作品とその演奏に関わる全ての要素の結びつきは完璧で、私自身今まで生きてきてこんな不思議な景色は見た事も聞いた事も無く、まさに芸術の理想を垣間見たような或は奇跡を目の当たりにしたような感動をおぼえました。
ま、当然のことながらここでも芸術好きの私は感涙に咽びました。
それから、昨年この「仙台八景」に参加して同じ中世遺跡のテーマでブロンズ記念碑を制作されたやはりサポーターズクラブの堀川さんも駆け付けてくださり、コーラスを聞いて感激していらっしゃいました。
この同じテーマで、違う表現手段を用いて制作された二つの芸術作品は、ブロンズ作品が去年の「仙台八景」hpで御覧になれるので、比較してみてもおもしろいです。
話は戻りますが、演奏時にはお母さんコーラスがみなさん子どもを連れて集まられて、コーラス隊の後ろで、公園で遊ぶ子どもの声が音楽にまじって一緒に聞こえていたことも印象に残っています。
つぎは須藤さんの「あさこのうらみ節」、日常に起きたささやかでありふれた身の回りの不快な事件についての愚痴を歌にしたもので、不快な出来事に対しての、例えばその不快の分析、究明や復讐といったような、なんらかの対応の全く欠けた歌詞への共感は、私にはありませんでした。どんなテーマ、発想、愚痴、体験であれ、徹底した対応、探究や表現があれば観衆にとっても価値あるものになると思うのですが。しかし現代の日本の若者の感性や発想の類型が過不足なく表現された作品と演奏でした。
それから、メディアテークの近くで文化の香り高いギャラリーカフェ「c7」を経営する粟野さんの「こどものうた」。
粟野さんは御自身が仙台文化の研究家でもあり素晴らしい文化の生産者でもあります。今回、仙台における童謡文化を掘り下げその成果を誰にでも口ずさめる歌にしてくださった。さすがの実力、芸人であります。彼のカフェ「c7」で演奏に先立ち仙台の童謡文化について、粟野氏所蔵の様々な歴史資料を駆使して楽しく解説してくださったあと2階のカフェ座敷でカフェのお洒落なお客さまがたを前に、皆で合唱しました。
そして最後が後藤さんの「あべひげの唄」。「あべひげ」が仙台で最も有名な居酒屋なのは何故かと言えば、御主人阿部さんの、それ自体が芸術作品であるような御人柄を慕う演劇舞踏関係の御客さんたちでいつもごったがえしていて、その名声は仙台市内のみならず、世界中から仙台に公演にくる舞踏家、演劇人は必ずそこで飲んだくれるという神話化された居酒屋だからなのです。そこを記念してピンクレディーを彷佛とさせるような’70年代歌謡曲風のデュエット歌謡を作ってくれた観点は心憎いばかりいといえます。
しかし歌唱の練習不足のせいか状況が把握できてなかったせいか、歌われている時に歌詞と旋律が全く聞きとれず、ぶっ壊れたテレビを諦めた気持ちで見てるようで「あべひげの唄」の発表はあっけなく失敗に終わり、テーマと伴奏、曲自体も良かっただけに残念でした。しかし実験的ワークショップですからこういうこともあるわけです。「ぶっ壊れたテレビ」はがらくたと酔っぱらいでいっぱいの「あべひげ」の雰囲気とは合っていて演奏としては失敗でしたが店に害をあたえずにすんだようです。
それから、あと、飛び入でもりあげてくれた、偶々隣席していた打ち上げ中の劇団にも大感謝し、飲み屋なのに、簡単に舞台がつくれてしまう素晴らしい店内のしくみ(飲み屋のカモフラージュにみえる、あの膨大なガラクタはあそこで演劇を突発的に始める際の小道具で、さらにそのガラクタにまじって、舞台のスポット等照明すらあること、そういうところもすごい)も賞賛にあたいするものです。
さまざまな世代、趣味、ジャンルの作品が披露されて、成功、失敗も含めて人間の現実の多様さを、豊かさと不思議さとして強烈に楽しむ事ができたのは私だけではないと思います。
ついでに、このワークショップについては方法意義など散々書いたので少しちがった観点にも触れておきます。
芸術の面白さの一つに、発想の最初から仕上げ発表、後片付けの最後までを全てを自分1人の価値観に基づき自己責任で実践するという特徴が挙げられます。これは私のワークショップシリーズの基本方針の1つでもありました。共同体にあっても各個人の責任と判断の連鎖を明確に体系化することは個人の能力を引出す最良の手段と思っています。
個人は社会の歯車であり人間の活動や仕事の全体像に関れることは滅多に無いという現実に人は疎外されています。そんな疎外のささやかな解毒剤に今回のワークショップはなってくれたように思います。
又、最後に特筆しなくてはならないのは、音楽家村上徳彦さんのあらゆる音楽ジャンルを超えての作曲指導、演奏指導、伴奏、音楽に対する愛、その真摯さ丁寧さ及び誠実は完全で素晴らしく、常識をはずれたものですらあったということです。
また、せんだいメディアテークの学芸員薄井さんのこのワークショップ実現にむけての身をすり減らしての努力と働きそしてその能力は超人的なものでした。これらの人々に深く心から感謝いたします。
そして勿論、私を強烈に驚かせ感動させてくれた参加者の皆さんに心から感謝します。 |