題名にある「百万両の壺」とは、柳生家の埋蔵金の秘密が隠されている「こけ猿の壺」のこと。その壺をめぐる物語でありながら、店の用心棒をしている丹下左膳と、その店の女主人であるお藤が、みなし児のちょび安を育てるという、笑いあり涙ありの本作は、『歓呼の涯』(1932/スティーヴン・ロバーツ監督)というアメリカ映画を翻案してストーリーがつくられた。大河内傳次郎の当たり役で、それまでは悲劇のヒーローだった丹下左膳が、剣の腕は立つが恐妻家で庶民的なキャラクターとして描かれ、脇役たちも陽気でコミカル。丹下左膳もののなかでも異色作であり、かつ代表作である。
情婦のお静に居酒屋を営ませている遊び人・河内山宗俊と、所場代を集めるしがない用心棒の金子市之丞、そして、甘酒売りをしている美しい娘・お浪の弟・直侍(広太郎)。不良たちの日常が描かれる前半から、広太郎が幼なじみの花魁・三千歳と心中を図り彼女を死なせてしまったことをきっかけに話は急展開していく。『河内山と直侍』の通称で有名な河竹黙阿弥の歌舞伎『天衣粉上野初花(くもにまごううえののはつはな)』をもとにしつつ、山中と三村伸太郎(脚本)は、姉弟愛と義侠心溢れる市井の人々の物語として描きあげた。お浪を演じた原節子は当時16歳で、スクリーンで見られる最も若い姿である。
江戸の貧乏長屋。自殺した浪人の通夜を口実に大家から酒をせしめて飲む長屋の住人たち。一人だけ宴にまじらず傍観する海野又十郎は、再就職をするよう妻にせっつかれているがなかなか仕事口は見つからない。ある日、髪結新三は弥太五郎源七親分の縄張りで賭場を開いたために彼の子分たちに痛めつけられる。新三は隣人の又十郎の協力を得て仕返しを試み、それは見事に成功したのだが。
三村伸太郎が書いた脚本を大幅に改変して完成させたこの作品が公開された1937年8月25日に、山中は招集令状を受け、翌年9月に中国大陸で戦病死した。「従軍記」と題したノートには「『人情紙風船』が遺作ではチトサビシイ」と書かれていた。
中里介山の未完の小説『大菩薩峠』を原作にした、剣士・机竜之助の物語。人を斬ることを厭わない虚無の剣士・竜之助は、神社の奉納試合の相手・宇津木文之丞の許嫁であるお浜から勝負を譲ってくれと頼まれるが、宇津木をたたきのめし、お浜を連れて江戸を出ることになる。
当初は伊藤大輔が監督に予定されていたが、稲垣浩が引き継ぎ、山中と新井良平が応援監督にあたった。稲垣によれば、「人の大勢出る立廻り等凄ごみのあるところは山中貞雄、芝居がかったところは僕、荒井良平がつなぎを」撮ったという。
大佛次郎原作による新聞連載小説『水戸黄門』を映画化した三部作『来 国次の巻』『密書の巻』に次ぐ完結編。将軍継承に関わる柳沢吉保の策略を知って、江戸に現れた水戸光圀公。しかし、偽物だと疑われて……。大河内傳次郎が水戸光圀と浪人・立花甚左衛門の二役を演じてい る。また、大河内にとって最後のサイレント映画出演であった。
伊豆土佐の城主・土岐左衛門秀虎は、長男・太郎虎雄に小田原への兵糧金伝達を命じた。しかし、その途中に狼藉者の一隊に金を奪われてしまった上、国元の悪家老から金を持ち逃げしたと嘘の報告をされてしまう。奪われた金を探しまわる太郎虎雄は、偶然に甲斐六助と知り合い意気投合するが……。野武士の自由な生き方を選んだ若者達を西部劇的な娯楽映画に仕上げたこの作品は、前篇(74分)と後篇(67分)に分けられてつくられていたが、現存するのは短縮された総集編のみである。なお、梶原金八はペンネームで、鳴滝組を名乗って集まっていた山中や稲垣浩、三村伸太郎ら若い映画人たちの共同執筆時の名前である。
幕末の京都。昔は繁盛していたが今ではすっかり暇になっている旅館・大原屋の唯一の客である滝川仙太郎は、武士でありながら絵が描きたいばかりに禄を離れた変わり者である。その彼が偶然、新撰組が池田屋に集まった浪士たちに夜襲をかけるという情報を知ってしまう。
原案に山中の名前があるのは、稲垣浩と二人で歩いているときに山中が思いついた話を元にしているためである。山中が入っていた共同ペンネームである梶原金八が、山中を失ったまま脚本を担当。監督は山中の愛弟子の萩原遼。出演は山中作品を支えた前進座を中心に、山田五十鈴や高峰秀子らが特別出演している。
蓮實重彦氏(映画評論家)×青山真治氏(映画監督)
2月7日(日)15:30より。入場料が必要。当日11:00から整理券を配布予定。
※要約筆記付き
山中貞雄が学生時代に使った辞書の隅に書かれたパラパラマンガを動画にしたもので、疾走する馬などが描かれている。
2分30秒/デジタル素材での上映 提供:京都府京都文化博物館
2月11日(木・祝)の各プログラムに併映