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せんだいメディアテークのアーカイブは、メディアテークを媒介とした市民のみなさまの参加・協働による地域文化の創造・発信の記録と成果を紹介するものです。

 

レポート

「巻き込み 小森はるか/瀬尾夏美に聞く」のご紹介 ~鷲田清一・随行録に代えて

レポート:佐藤泰

2013年7月、鷲田館長は岩手県陸前高田市への訪問取材の際、当地で活動する女子学生ふたりにインタビューした。それを『小説トリッパー』に連載中の『素手のふるまい-アートがさぐる〈未知の社会性〉」の3番目の評論としてまとめているのでご紹介する。

小説トリッパー 2013年秋号

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15272

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鷲田館長はこの文章の出だし部分で、「‥わたしがしばらく眼をこらしていたいのは、(中略)「アートとはなにか」という問いに突き動かされてでも、そういう問いを内蔵してでもなく、さらにじぶんの活動がアート(もしくはアートの否定)へと最終的に納得できるかたちで着地することをめがけすらしないで、しかしもう走りだしている活動、アート未満の活動である。」(p230)と書いている。毎日、街頭の同じ場所で、毎回異なるキャラクターのなりきりパフォーマンスをやり続けた女性や、9.11以後、毎夜、異なる男性の家を泊まり歩くという無謀な(?)プロジェクトを敢行した女性など、「何を求めてかさだかではないが、《身をさらす》あるいは《身を挺する》行為にでた」(p232)若い女性表現者たちの活動にふれつつ、今回スポットをあてたのは、震災後、東京芸大の大学院に籍をおきつつ、陸前高田にほど近い岩手県住田町に移り住んだ二人の女子学生の活動についてである。

「この二人は、東日本大震災のあったあの三月の末日、レンタカーを借り、さまざまな物資を積み込んでまずは北茨城まで赴き、続いて北へ一路、青森県の八戸に向かった。道を探しつつ三陸の沿岸部を南下。いくつかの被災地を訪れ、そこで車中や避難所、マンガ喫茶などで寝泊まりしながら、できる手伝いは何でもしたあと、東京に戻って報告会を開く。そしてまた東北に引き返して、復旧作業を手伝うかたわら、被災者の話を延々と聴き、それを膨大な量の映像として記録し‥‥という生活を一年続けたあと、昨年の四月からとうとう岩手県・陸前高田に隣接する気仙郡住田町に住みついた。「アーティストの卵」と世間ではいわれる人たちが、表現ではなく記録・報告に徹し、ついに被災地域の住人となり、そこでアートとはなんの関係もない仕事に就いているということ、この行動と決断がどういう思いのなかでなされたのか、それを訊きたくて、」(p232)鷲田館長は、メディアテークのスタッフとともに陸前高田にむかった。メディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」が、二人の東北での活動を陰ながら応援してきたこともあり、着任してまもない館長がスタッフとともに二人に会いに行くことは、とても自然な流れでもあった。片道二時間半の道のりを車で走り抜け、陸前高田に着くとまずは小森のアルバイト先、ついで伊東豊雄氏らによる「みんなの家」、そして瀬尾が経営を手伝っている写真館へと移動しながら、二人へのインタビューは続いた。

 

自らのアートへの取り組みが「思い出をほじくり返し」たり「センスを切り売りする」することでしかなかったのではないかとの漠然とした疑いをかかえつつ、大学院への進学を控えていた二人は、震災後、突き動かされるように被災地にむかい、表現することとは無縁の「役に立つ」活動に没頭していく。現地での求めもあり、徐々に被災と復興を記録し伝える活動に力を入れていくが、それについての報告を東京や京都で求められたとき、あらためて「伝わらない」現実に直面する。ここで二人はもういちど「表現」の問題に向き合うことになるが、「想定外」の震災によってさまざまな前提が崩された中にあっては、ありきたりの答えなど存在しない。それでも二人はユニットとして支え合いながらそこに踏みとどまり、ある種、抜き差しならない状況にも身を置きながら、今もそれぞれ別の試行錯誤を続けている。「インヴォルヴメント。みずからを何かに巻き込んでいくこと。」という言葉で二人を形容する鷲田館長は、それぞれの活動のありようを丁寧にときほぐしながら「ふわんとおおらかに、けれどアートの地底を素手でさぐり、触診するその姿に、できあがった芸術家よりもはるかに深い試みを見た」(p246)と述べる。まずは本文を参照していただきたい。