2003年2月15日、「蓮實重彦―映画への不実なる誘い」と題する連続講演の最終回「映画における歴史―女性たちによる『ゴダールの映画史』の横断―」がせんだいメディアテークで開かれた。
会場は蓮實先生(いや、東京大学総長を退任されたとはいえ、ここではぜひとも蓮實教授と書きたい)の登場で一気に大学の教室に変貌する。教授は、これからどんな講義が始まるのだろうという私たちの期待をさらりと受け止め、あっという間に『映画史』の世界へと引き込んでしまう。文楽や志ん生(志ん朝かな)師匠もびっくりの語り口である。
講義の素材として、ゴダールが編集した流れ星の一瞬の光芒のようなフィルムの断片を、今度は教授自身が「とどまれ、お前はなんと美しい!」とばかりに編集しなおした映像が引用される。
おかげで私たちは、アイダ・ルピノの美しい横顔(『重婚者』)を、リタ・ヘイワースのゾクゾクするストリップ・ティーズ(『ギルダ』)を、シド・チャリシーとフレッド・アステアの夢のようなダンスシーン(『バンド・ワゴン』)を、木立の中から滑るように姿を見せる路面電車(『サンライズ』)を心ゆくまで見ることができた。
黒沢清、万田邦敏、塩田明彦、青山真治監督らは学生時代、こんなに緊張感あふれ、麻薬のようにクセになる講義を聴いていたのだ。なるほどそうだったのか、と思う。
同時に、教授は私たちに次のように問いかける。『映画史』の最後、夢の中の楽園で一輪の花を受け取り、目覚めてもなおその花を手にしていたという男、「私が、その男だった」というその「私」とは誰なのか。教授はこの問題を、論文「ゴダールの「孤独」―『映画史』における「決算」の身振りをめぐって」の中でも反芻していた。そして最後にこう書き留めていた。「ゴダールは、自分自身のうちにさえ後継者を持たぬまま、なおも『孤独』である。」
ゴダールとは、まるで教授自身のように思えてならない。謎を残して講義は終了。疲れた。しかしもっと聴きたい。アンコール講義ってないものだろうか。