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ドイツ映画のゆうべ

smtシネマ共同企画 ドイツ映画のゆうべI
「都市の夏」

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種類上映
場所7階スタジオシアター
期間2001年10月13日
時間1回目:15時から、2回目:19時から
料金500円(前売り・当日共に)

趣旨

今日、ヨーロッパでは映画制作においても統合がすすみ、様々な国の資本による合作映画が多く作られている。フランス映画やイタリア映画といっても、制作国を見てみると「EU映画」というべきものが多くなった。
しかし、少し前を振り返ってみると、それぞれの国が独自の芸術として映画を発展させていた時代に突き当たる。たとえばそのひとつが、1960-80年代のドイツ映画界をさしていう「ニュー・ジャーマン・シネマ」と呼ばれた時代だった。
ドイツには1967年から「映画助成法」により映画製作を国家的に支援する仕組みがある。一方ではそれが「難解なドイツ映画」を量産する原因になったとも言われるが、この支援が、ドイツにおける映画文化の創造を担ったのは間違いない。そのような環境下で多くの映画が生まれ、世界的な監督が育っていったのである。
現在、ドイツ出身の監督といえば、「ベルリン天使の詩」や「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」などを監督したヴィム・ヴェンダースを思い浮かべる人が多いだろう。また、カルト的な人気を誇るという点では、「カスパーハウザーの謎」を監督したヘルツォークも有名である。今では世界的な映画監督である彼らが「ドイツという国の映画」の担い手であった時代、それが「ニュー・ジャーマン・シネマ」という時代だったのだ。
ところで、今回とりあげる3人の監督の中で、ファスビンダーだけはやや状況が異なる。彼は37歳の若さで夭折してしまった。短い人生の間に40本を越える作品を残し、生きていたのなら、ヴェンダースらと同じように世界的な監督として今も作品を作り続けていたかもしれない彼が死んだのは1982年。それをもって「ニュー・ジャーマン・シネマは終わった」という向きもある。
しかし、彼の影響は現在も続いている。たとえば彼の原作が映画化され(フランソワ・オゾン監督「焼け石に水」)、あるいは、ヴェンダースの近作に「R.W.」(ファスビンダーの名前の頭文字)が映し出されるシーンがあったりとするように。ドイツを代表する3人の映画監督が若き旗手であった1970年代。それらの作品のなかに、現在の映画を予感させる才能をみることができるだろう。

内容

■都市の夏(Summer in the City)
1970年/モノクロ/125分

脚本/ヴィム・ヴェンダース
撮影/ロビー・ミュラー
音楽/キンクス、ラヴィン・スプーンフル、チャック・ベリー
製作/ミュンヘン映画・テレビ大学
キャスト/ハンス・ツィッシュラー、エッダ・ケッヒャエル、リープガルト、ヴィム・ヴェンダース

ハンスはミュンヘン-シュターデルハイムの刑務所から釈放される。 そこには、情報を聞き出そうとする昔の相棒が待ちかまえていた。 過去との関わりを絶ちたいハンスは、彼らから逃れるため、当てもなくタクシーに乗りミュンヘンの町を走らせる。 だが、彼は変わってしまった町の様相に迷うだけである・・・。
この作品は大学で映画を学んでいたヴェンダースの最初の長編であり、事実上の処女作である。
ここには、日常性そのものの非日常性を志向しているというヴェンダースの特徴がすでに現れている。 自動車による追跡や逃走のモチーフはアクション映画であるように見えるが、そこでは何も展開しない。 主人公の旅は、輪の中でまわっているように不毛ですらある。
ヴェンダースはこの作品について「私にとって『都市の夏』は、1969年/70年の人々が抱いていた観念、 彼等の感じ方についてのドキュメンタリー映画となっている」と語っている。 都市において、互いに話し合うことの困難、あるいは互いに話し合おうと希望することの困難を、 彼は絶え間ない移動とかみ合わない会話、歌(「ホット・タウン 都市の夏」)によって表している。

主催/せんだいメディアテーク、仙台日独協会文化センター
共催/東京ドイツ文化センター、仙台日独協会