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ドイツ映画のゆうべ

smtシネマ共同企画 ドイツ映画のゆうべIII
「闇と沈黙の国」

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種類上映
場所7階スタジオシアター
期間2001年12月15日
時間1回目:15時から、2回目:19時から
料金500円(前売り・当日共に)

趣旨

今日、ヨーロッパでは映画制作においても統合がすすみ、様々な国の資本による合作映画が多く作られている。フランス映画やイタリア映画といっても、制作国を見てみると「EU映画」というべきものが多くなった。
しかし、少し前を振り返ってみると、それぞれの国が独自の芸術として映画を発展させていた時代に突き当たる。たとえばそのひとつが、1960-80年代のドイツ映画界をさしていう「ニュー・ジャーマン・シネマ」と呼ばれた時代だった。
ドイツには1967年から「映画助成法」により映画製作を国家的に支援する仕組みがある。一方ではそれが「難解なドイツ映画」を量産する原因になったとも言われるが、この支援が、ドイツにおける映画文化の創造を担ったのは間違いない。そのような環境下で多くの映画が生まれ、世界的な監督が育っていったのである。
現在、ドイツ出身の監督といえば、「ベルリン天使の詩」や「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」などを監督したヴィム・ヴェンダースを思い浮かべる人が多いだろう。また、カルト的な人気を誇るという点では、「カスパーハウザーの謎」を監督したヘルツォークも有名である。今では世界的な映画監督である彼らが「ドイツという国の映画」の担い手であった時代、それが「ニュー・ジャーマン・シネマ」という時代だったのだ。
ところで、今回とりあげる3人の監督の中で、ファスビンダーだけはやや状況が異なる。彼は37歳の若さで夭折してしまった。短い人生の間に40本を越える作品を残し、生きていたのなら、ヴェンダースらと同じように世界的な監督として今も作品を作り続けていたかもしれない彼が死んだのは1982年。それをもって「ニュー・ジャーマン・シネマは終わった」という向きもある。
しかし、彼の影響は現在も続いている。たとえば彼の原作が映画化され(フランソワ・オゾン監督「焼け石に水」)、あるいは、ヴェンダースの近作に「R.W.」(ファスビンダーの名前の頭文字)が映し出されるシーンがあったりとするように。ドイツを代表する3人の映画監督が若き旗手であった1970年代。それらの作品のなかに、現在の映画を予感させる才能をみることができるだろう。

内容

■闇と沈黙の国(Land des Schweigens und der Dunkelheit)
1970-71年/カラー/85分

脚本/ヴェルナー・ヘルツォーク
撮影/イェルク・シュミット=ライトヴァイン
編集/ベアーテ・マインカ=イェリングハウス
音楽/J.S.バッハ、ヴィヴァルディ
製作/ヴェルナー・ヘルツォーク映画プロダクション
キャスト/フィニィ・シュトラウビンガー、ハインリヒ・フライシュマン、ウラジーミル・ココル、M.バースケ、レージ・ミッタマイヤー

この作品は、56歳の盲聾の婦人フィニィ・シュトラウビンガーが、 同じ障害を持った人々を訪れ、忍耐強く、愛情を持って接していく様子を描いたドキュメンタリー映画である。
子供の時に階段で遊んでいるうちに上から下まで転落してしまい、 それがもとでシュトラウビンガーは盲聾者となってしまう。 しかし彼女は手話によって他の人々とコミュニケーションを取る事ができた。 自分よりもっと窮地に立たされ、社会から見放されている多くの仲間が、 「闇と沈黙の孤独という地獄に陥ってしまわないようにするために」と、彼女はこうした人々を訪れる。 精神病院に入れられ、社会との接触がないために言葉を忘れてしまった者、 聾者で全盲に近い妹と、盲目で全聾に近い兄、 ものの食べ方も教わることなく育った盲聾者・・・。
「小人の饗宴」など、社会的に虐げられてきた人々や極限状態を好んで描き、 現代社会の通念を越えた独特の世界像を作り上げたヘルツォークは、 ハンディを背負っているゆえにとぎすまされた感性を持った主人公を中心にすえて、 ドキュメンタリーを越えて彼自身がつくる神話的世界を表現している。

主催/せんだいメディアテーク、仙台日独協会文化センター
共催/東京ドイツ文化センター、仙台日独協会