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ドイツ映画のゆうべ

smtシネマ共同企画 ドイツ映画のゆうべII
「エフィー・ブリースト」

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種類上映
場所7階スタジオシアター
期間2001年11月10日
時間1回目:15時から、2回目:19時から
料金500円(前売り・当日共に)

趣旨

今日、ヨーロッパでは映画制作においても統合がすすみ、様々な国の資本による合作映画が多く作られている。フランス映画やイタリア映画といっても、制作国を見てみると「EU映画」というべきものが多くなった。
しかし、少し前を振り返ってみると、それぞれの国が独自の芸術として映画を発展させていた時代に突き当たる。たとえばそのひとつが、1960-80年代のドイツ映画界をさしていう「ニュー・ジャーマン・シネマ」と呼ばれた時代だった。
ドイツには1967年から「映画助成法」により映画製作を国家的に支援する仕組みがある。一方ではそれが「難解なドイツ映画」を量産する原因になったとも言われるが、この支援が、ドイツにおける映画文化の創造を担ったのは間違いない。そのような環境下で多くの映画が生まれ、世界的な監督が育っていったのである。
現在、ドイツ出身の監督といえば、「ベルリン天使の詩」や「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」などを監督したヴィム・ヴェンダースを思い浮かべる人が多いだろう。また、カルト的な人気を誇るという点では、「カスパーハウザーの謎」を監督したヘルツォークも有名である。今では世界的な映画監督である彼らが「ドイツという国の映画」の担い手であった時代、それが「ニュー・ジャーマン・シネマ」という時代だったのだ。
ところで、今回とりあげる3人の監督の中で、ファスビンダーだけはやや状況が異なる。彼は37歳の若さで夭折してしまった。短い人生の間に40本を越える作品を残し、生きていたのなら、ヴェンダースらと同じように世界的な監督として今も作品を作り続けていたかもしれない彼が死んだのは1982年。それをもって「ニュー・ジャーマン・シネマは終わった」という向きもある。
しかし、彼の影響は現在も続いている。たとえば彼の原作が映画化され(フランソワ・オゾン監督「焼け石に水」)、あるいは、ヴェンダースの近作に「R.W.」(ファスビンダーの名前の頭文字)が映し出されるシーンがあったりとするように。ドイツを代表する3人の映画監督が若き旗手であった1970年代。それらの作品のなかに、現在の映画を予感させる才能をみることができるだろう。

内容

■エフィー・ブリースト(Fontane Effi Briest)
1972-74年/モノクロ/141分

脚本/ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
(テーオドール・フォンターネの小説『エフィー・ブリースト』による)
撮影/ディートリヒ・ローマン、ユルゲン・ユルゲス
編集/テア・アイメス
音楽/カミーユ・サン・サーンスのモチーフなど
装置/クルト・ラープ
制作/タンゴ映画
キャスト/ハンナ・シグラ、ヴォルフガング・シェンク、カール・ハインツ・ベーム

この作品は、自立した生き方を目指しながら、19世紀後半の家父長制度の中で破滅の道を辿った一人の若い女性を描いたテオドール・フォンターネの小説、「エフィー・ブリースト」を映画化したものである。ファスビンダーは好んで文学作品の映画化を行っているが、その中でも最初の興行的成功を収めた映画でもあった。
作品中の人物は、奇妙なアングルや鏡ごしに現れる表情など、ファスビンダー独特のユーモアとアイロニーをもって描かれている。特に鏡を多用したカメラアングルは主人公のエフィーの不安定な精神状態は上手に描かれているといえよう。
さらに多くのシーンで、目に見えない語り手がフォンターネのテキストを朗読している間、俳優達は沈黙の演技をすることによって、フォンターネの原作にあるリズムと呼応した映像世界を作っている。

主催/せんだいメディアテーク、仙台日独協会文化センター
共催/東京ドイツ文化センター、仙台日独協会