キャメラのむこうにある<リアル>

ドキュメンタリーは、現実を再構成することによって生み出された もうひとつの<現実=フィクション>である

「阿賀に生きる」監督  佐藤真

 デジタルカメラの出現によって、写真とは操作可能な、それだけでは真実とはとても言えないものと誰もが思っているに違いない。
 こうした時代においてなお、<真実のドグマ>にとらわれているのがドキュメンタリーといえる。ここでは、観客も作り手側もキャメラを置きさえすれば、リアルが映ると信じられた素朴な自然主義に今だにとらわれているのだ。そのため、そうした現実の信仰は、偏狭な政治主義や頑迷な啓蒙主義、あるいは大政翼賛的美談や安直なヒューマニズムにすぐに足をとらわれてしまう。しかしたとえキャメラが映し出した現実が、何の演出もない無垢の<真実>だったとしても、それを再編成することで、映画はまぎれもなくフィクションとなる。むしろ、真に打倒すべき相手は、<真実>を標榜する輩の脳裏に潜む押しつけがましい教養主義や紋切り型のヒューマニズムの方なのだ。
 こうした世の趨勢にあらがってドキュメンタリーは、啓蒙主義や政治主義から決別して、世界を批判的に映し出す鏡として屹立すべきだ。これが、私のドキュメンタリー作家としてのささやかな立脚点である。それは、いの一番に映画そのものの虚構性をきちんと見つめることにある。その際ドキュメンタリー作家の倫理とは、映し出された現実が演出<やらせ>によるものか否かにあるのではなく、再構成した<現実=フィクション>が、世界のあり方を批判的に映し出しているか否かにある。現実は既にフィクションを内包している。人がインタビューに答えることは、自らの<物語>を演じ直すことともいえる。バーチャルリアリティの創り出す迫真力によって、現実の方が逆に味気なく映る時代に我々は生きている。だから、ドキュメンタリーは、現実と虚構のはざまに浮遊する波打ち際こそを目指すべきなのだ。

佐藤真 略歴

1957年 青森県弘前市生まれ
1982年 東京大学文学部哲学科卒業。大学在学中より水俣病の運動に関わり、卒業後、「無辜なる海―1982年・水俣―」(香取直隆監督、1982年)の制作に助監督として参加する
1985年 各務洋一監督のもとで助監督を務める
1989年 スタッフ7人と新潟に移り住み、「阿賀に生きる」の制作に着手する
1992年 初監督作品「阿賀に生きる」完成
1996年  (有)カサマフィルム設立
映画制作のほか、テレビ作品、映画の編集・構成、映画論の執筆活動などの多方面にわたり活躍している。また映画美学校のドキュメンタリー・ワークショップ主任講師、京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科教授として、後進の指導にあたっている。2002年秋より文化庁芸術家海外研修で渡英。現在、東京都在住。

主な作品

ドキュメンタリー映画作品
1992年 「阿賀に生きる」(カラー、16ミリ、115分)
1998年 「まひるのほし」(カラー、16ミリ、35ミリ、93分)
2000年 「SELF AND OTHERS」(カラー、16ミリ、53分)
2001年 「花子」(カラー、16ミリ、35ミリ、60分)

個人映画

1997年 「我家の出産日誌」
(1991年撮影・1997年編集、私家版、カラー、8ミリ、34分)
1997年 「保育園の日曜日」
(製作=豊川保育園おやじの会、サイレント、16ミリ、20分)
1999年 「女神さまからの手紙」
(製作=カサマフィルム、カラー、8ミリ・16ミリ、30分)

主な著作

1992年 「焼いたサカナも泳ぎだす―映画『阿賀に生きる』製作記録」記録社
1997年 「日常という名の鏡―ドキュメンタリー映画の界隈」凱風社
2001年 「ドキュメンタリー映画の地平 上・下巻」凱風社