(仮称)せんだいメディアテーク設計競技からの報告

(仮称)せんだいメディアテーク設計競技からの報告

仙台市教育委員会生涯学習課 佐藤 泰
<公共建築 NO.152掲載>


はじめに ~3つの設計競技~

仙台市における設計競技は、平成6年に実施された(仮称)近代文学館が久方ぶりの実施となった。それはこれに先立つ仙台市長逮捕という不祥事を契機とした 工事発注体制の見直しと無縁ではなかった。設計競技の実施にあたり仙台市はそのための統一的なガイドラインの整備を急いだが、一方で文学館とそれに続くメ ディアテーク、さらに仙台ドームは、そうした過渡期的な状況の中でそれぞれの担当課が中心となって個別に実施方法の検討を進めることになった。その結果、 近代文学館があくまでオーソドックスな公開設計競技をめざしたのに対し、メディアテークではそれを発展させて公共建築やと設計競技自体のあり方自体への問 いかけを含むものとなり、さらに仙台ドームでは公開設計施工競技が採用されることで、文字通り三者三様の様相を帯びることになった。その意味で、これまで が「起」「承」「転」であるとするなら仙台市の「結」となる設計競技は次回以降に譲られることになったといえるのかもしれない。本稿は、このような中で、 あくまでメディアテーク建設計画の担当者として本設計競技を企画実施した立場から、その経過について概略を報告をするものである。


設計競技へ

 市民ギャラリー、青葉区図書館、視聴覚教材センター等の既存施設と、視聴覚障害者のための情報提供施設を含めた複合施設を、仙台のシンボルロード定禅寺 通りに面した敷地に建設するというのが、平成6年4月の段階で我々に与えられた基本的な命題であった。我々はまずこのプロジェクトに、単なる複合施設を越 えた、仙台の新しいシンボルにふさわしい施設コンセプトをもたらすことが必要であると考えた。1ヶ月間の検討の結果、これら4つの施設機能を縦軸として生 かしつつ、それを横断する展示機能、情報機能、創造機能を横軸にして整理しなおし、さらに全体を貫くコンセプトとしてメディアを置くことで、まったく新し い一体的な施設としようとの構想を立てることになった。さらに、建設計画の推進自体を市民参加のまちづくりの一環として位置づけると同時に、専門家の協力 を得て事業内容の質を高めていくべきであると考えた。
この施設コンセプトを設計競技にかけるにあたり、我々は市民ギャラリー構想や定禅寺通りまちづくり計画に関わってきた東北大学建築学科の菅野實助教授 (当時)および同研究室の小野田泰明氏に協力を依頼した。かくして設計競技の応募要領案の作成と、審査委員の選定作業が開始された。レベルの高い設計競技 を行うためには、時代を先取りしうる施設コンセプトと、設計者の意欲を刺激しうる審査委員の存在が不可欠と考えた我々は、審査委員長を磯崎新氏に依頼し た。磯崎氏は当初依頼を断るつもりであったとのことであるが、我々の熱意の前に、審査の公開、専門家のみによる審査委員会、応募者からの設計プログラムへ の提案の受け入れが可能なら引き受けても良いとの返答をいただいた。これらはむしろ我々の望むところでもあり、即座に同意した。5名の審査委員および3名 の専門委員については磯崎氏との協議に基づいて決定され、この時点で(仮称)せんだいメディアテーク設計競技の枠組みができあがった。
その一方で、公共建築の設計競技が一部の人々の間だけで進められるべきではないとの視点から、設計競技への市民の関心を喚起し、市民参加のまちづくりへ と発展させていくためのプレイベントとして、設計競技に先立って、広く市民のアイディアや意見を募集する催しを実施した。


応募要領配布から作品受付へ

 平成6年9月2日、第1回審査委員会において応募要領が決定された。それを受けて応募要領の配布を開始、申し込みのあった約1800件すべてに配布し た。応募登録の受付は9月26日から10月21日にかけて行われ、1261件を受け付けた。質疑の受付は10月3日から10月24日にかけて行ったが、質 疑受付終了までの期間が短かったこともあり、質問件数は244件と少なかった。11月22日、第2回審査委員会が開かれ、質疑回答の内容および公開を含む 審査方法等について協議した上、11月26日、回答書を全応募登録者あて発送した。
平成7年2月20日から2月24日(阪神大震災の被災者については3月3日まで)にかけて作品の受付が行われ、235点を受け付けた。複雑な設計条件の 前に応募を断念した人も多かったと聞く。事務局側での全応募作品のチェックは、設計競技専門委員が作品に提案された建築的諸機能の分析、市営繕課及び都市 計画課が作品の法令的な問題の有無、事務局が資格及び書類上のチェックを担当し、審査委員会に提出するためのチェック表を作成した。プログラムへの提案を 積極的に受け入れることが本設計競技の主旨のひとつでもあるので、チェックの結果が作品審査における「足切り」に繋がらないようにするのが最大の留意点と なった。ついで3月12日、審査会場に全応募作品を展示し、審査委員会に先立つかたちで市民公開を行った。


公開審査から結果発表へ

3月13日から14日にかけて第3回審査委員会が開かれた。1日目は全審査委員が全作品を通覧しながら協議し作品の絞り込みを行った。その結果、23作品 が翌日の選考に残された。2日目は、午前中1日目の選外作品の確認を行った上、23作品についての専門委員や市当局を含む全員による意見交換が行われた。 午後からは午前中の確認を行った上、佳作および優秀3作品を選出する作業が審査委員による投票を軸にして進められ、4回の投票を経て佳作以上9点が残され ることになった。ついで審査委員がそれぞれ優秀3作品のについての意見を述べた上で投票を行い、優秀3作品が選出された。この模様は、別室に用意したテレ ビモニターを通じて一般市民に中継公開された。中継会場には、解説者として早稲田大学教授・石山修武氏らが入り、審査の進行にあわせて逐次解説を行った。 審査会場の厳粛さと応募者を含む200名の市民がつめかけた中継会場での異様な熱気はまさに好対照であった。
入賞作品を含む23作品の一般公開を3月16日から3月20日にかけて行った上で、3月22日、最優秀者決定のための第4回審査委員会が開催された。ま ず、優秀3者へのインタビューが行われ、ついで全委員による2時間弱に及ぶ討論を経て最優秀者が決定された。審査結果の市長への報告後、引き続いて入賞者 への表彰式を行った。最優秀者の発表は受賞者自身を含め表彰式の席上で行われた。
審査の全経過は、全応募作品とともに記録書としてまとめ刊行した。公開性や透明性の高さをめざした本設計競技にふさわしいものとして、非公開で行われた インタビューの内容を含め、審査における詳細な発言、各審査委員の投票内容に至るまで明かにするものとなった。記録書は現在も入手可能であり、またメディ アテークのホームページ(http://media.navis.co.jp/)において審査結果の概要を現在の進行状況の報告と併せて公表しているので 参照されたい。


設計競技を終えて

 本設計競技の事務局は専従担当者1名をベースとして、必要に応じアルバイトを含め最大4名の体制で対応した。これだけの人数で要領作成から発送、応募登 録、質疑応答、作品受付、報告書作成という公開設計競技の膨大な作業をこなしえたのは、課内はもちろん、東北大の菅野實研究室や、営繕課をはじめとする庁 内関係各課のサポートがあっての事であるとともに、パソコンの寄与するところも大きい。これは、機械的なパソコン処理を可能にする設計競技自体のシンプル な考え方があってのことである。応募資格の緩やかさを始め、この設計競技には、事務局がその都度判断したり処理しなければならないような事項は質疑を除い てほとんど存在しなかった。公正さの確保や事務量の軽減という目標が情報の公開や規制の緩和によって実現しうることを図らずも証明したものと考えている。
さて、本設計競技は各界から注目を集め、その結果仙台市民は建築史上まれにみる画期的な提案を手中にすることができた。その意味でこの設計競技は大成功 であった。しかしメディアテークの建設事業は今なお進行中である。真の評価はメディアテークが現実のものとして運営され活用されるに至った時点で行われる べきであろう。平成7年度、専門家によるメディアテーク・プロジェクト検討委員会が設置され、運営主体の母体となる準備室の設置、情報システムのためのプ ロジェクトチームの設置、事業の詳細を市民とともに実験しながら検討するためのプレイベント事業の開始が提言された。これに対し人員と予算の抑制が至上命 題である仙台市は少なくとも現時点において十分な対応をとれているとは言い難い。また行政主導を脱し、市民が試行錯誤をしながら主体的に活動を構築し展開 するという考え方についても、行政、市民双方ともにまだ十分その方法論を確立しきれていない状況にある。
とはいえ最優秀となった伊東氏によるイメージは世界中の人々から注目され続けており、一方メディアによる新しいコミュニケーションや市民の主体的かつ国 際的な活動の展開はまさに時代の要請である。こうした中で、我々が初志を忘れずに努力を続けるのは当然として、むしろ、主役である市民こそが行政から計画 の主導権を奪い取るくらいの気迫と自信をもって運動を盛り上げてほしいと願うものである。設計競技を経て、引き続き作業に携わっている毎日であるが、いつ も頭をよぎる言葉がある。本設計競技において佳作となった竹山聖氏のコメント(記録書所収)である。最後にそれをを引用させていただいて本稿のしめくくり としたい。

「<前略> この構想(最優秀作)が、建築の世界史にとってエポック・メイキングな作品として実現されるよう、法規的解釈を含めて仙台市をはじめ関係され る方々の尽力を望みたく思います。不本意な形での実現は伊東さんにとっても、審査員の方々にとっても、応募者すべてにとっても、無念憤懣やるかたなく、見 事実現のあかつきには、仙台市は世界に誇りうる金字塔を得るはずなのですから。」