架空の郷土芸能つくりますワークショップ


架空報道(映像シナリオ)

2003/12/26 06:01:20
投稿:シナリオ (送信者:高橋哲男)
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●広瀬川 ロング+川面(撮影済み)

仙台市中心部を流れる広瀬川。
この川はかつて文明のいずる場でもあった。

●洞穴(撮影済み)

川辺に面した一角。
小高い丘に岩盤をくりぬいて作られた古墳群跡がある。
昭和初期には水力発電の施設として再利用されたが、現在も一部にその名残をみることができる。

●イメージ(撮影済み)

この丘に昨年7月の北陸地震で倒壊した三ノ輪神社がある。
人々に忘れ去れていたこの神社、がれきの中から発見された「算額」によって最近、脚光をあびている。

「算額」とは江戸時代さかんであった日本特有の数学「和算」の問題や解答を神社仏閣に奉納した絵馬に似た木板である。

●算額

今回、発見された算額は3枚。
一見、祭式の次第を定めた昔ながらの覚え書きに見えるが、そこには高度な数学的理論「蛇居拳算」(じゃいけんざん)が記されていた。
このような理論が当時いかにして生まれ得たかは全く謎のままである。

●研究室

近年の和算ブームの火付け役となった「続・和算入門」の著者で、和算研究者、高原哲弘 山形県立大学教授は今回の算額の発見が和算研究にもたらしたものは大きいと話す。

●教授インタ@

江戸時代に発達した日本独特の数学「和算」は、微分積分や行列式など、現在からみても決して引けを取らない水準にありました。/
これまでの研究でも先駆的な理論はいくつか確認されています。
しかし、今回の発見は世界的にみても、衝撃的に受け止められるのではないでしょうか。
「蛇居拳算」の成り立ちを研究することは即ち、高度な「数学」の誕生を研究することに他ならないからです。/
算額には「奉納者 高橋蛇居」とありますが、これは江戸時代初期に伝説的天才和算家といわれる鷹嘴侍相之介(たかのはしじあいのすけ)の変名である可能性が高いと考えられます。/

●塩竃神社(撮影済み)

東北第一の大社と仰がれる塩竃神社。
かつて、算額奉納の盛んだったこの地に若干7歳で算額奉納した伝説的和算家 鷹嘴侍相之介(たかのはしじあいのすけ)がいた。
侍相之介は数冊の文献を残すも、後に、和算最大の派閥、関派和算家との闘争の末、非業の死を遂げたと、伝えられている。

●教授インタA

当時、和算家は派閥ごとに道場を構えていました。道場破りなどもあり、その地域の派遣をめぐって、激しく対立することもあったようです。/
争いに敗れたものは神社への算額奉納も許されず、事実上の和算家生命を絶たれたということです。/
侍相之介もやはりそうした争いの中、敗れ、歴史上から消えたと考えられます。/

●洞穴(撮影済み)
算額の発見された三ノ輪神社周辺には多くの洞穴がみられる。
地元に残るわらべ歌にはこの洞穴と、高橋蛇居らしき人物が登場する。
「慈愛さま」というこのわらべ歌は「洞穴に住む慈愛さまから教わった踊りを子供たちが踊ると、暴れていた蛇がおとなしくなった」と謡われる。
広瀬川の氾濫を題材にしたと思われる「慈愛さま」だが、この子供たちに教えた踊りというのが実在するかのような資料が算額とともに発見されている。

●塩竃神社(撮影済み)+算額

その踊りは宮城県北部から岩手県一関市周辺地域で行われていたと伝えられる奇習「ヂヤイ神楽」であることが専門家の調査によって明らかになった。
この奇習は江戸時代末期に活躍した一関田村藩の関派和算家 千葉(たねひで)による傘楽手習帳写本(さんらくてならいちょうしゃほん )に記された神楽「傘楽」と同一であることがわかり、2人の天才的和算家の関わりにも注目されている。

●教授インタB

胤秀がこの写本を記したいきさつは定かではありませんが、「蛇居拳算」の高度な数学的法則の重要性を見いだしたことには間違いはないと思われます。/
「蛇居拳算」が侍相之介によるものであることを胤秀が当時、知らずにこのような写本を残したのであれば、何とも皮肉な話ですが、知っていながら、重要性を認識し、後世へ残したのならば、胤秀が優れた和算家であるばかりか、人間としても魅力的な人物ということができるでしょう。/
どちらにせよ、数世紀隔てて出会った2人の和算家の話に興味は尽きることはないでしょう。/

●練習風景(撮影済み)

地元でも、算額奉納と一緒に行われたと伝えられている奇習「ヂヤイ神楽」を復活させようと、保存会を結成。
会長で音楽家でもある三輪眞弘さんを中心に神楽研究家である小山○○さんの協力を得て練習が行われている。
高度な数学理論よって生み出される奇習「ヂヤイ神楽」。
2人の和算家の関わりの中で伝承されてきた奇習の全容が明らかになるのはそう遠くはない。