パリ

パリ

11月11日~11月13日
11月15日~11月16日

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<メール>パリに到着しました

Mon, 11 Nov 1996 02:45:17 +0100

日本時間の日曜日午後10時ころ、無事パリに到着しました。ホテルにつくなり、まず通信環境の整備にとりくみましたが、うまく行かなかったので、ホテルにかけあい、部屋を変えてもらいさらに、いろんなコネクターを持ってる技術者のサポートを受けてようやく通信環境を確保しました。ホテルとしても通信可能というのを標榜しているので対応は良好でした。
ただ、今のところ、私のような旅行経験が少なくかつ現地の通信事情にくわしくない人間にとって、通信環境を確保すること自体かなりのコストがかかってしま うのも事実です。アムステルダムの電話料はすごかったですが、こちらはホテル代がすごいです。こういう環境がもっと一般的になるにはもうすこし時間がかか るのかもしれませんが、ただ爆発的にニーズが増えているのも事実で、半年後には相当改善されていることでしょう。ホテルの死活問題になるかもしれません。 ちなみにここは20年前の東京のにおいがするホテルNIKKOです。

これからの数日間は、ホテルからのパリ市内電話とプロバイダー接続料金のみでOKです。
添付した写真はホテル内の我が通信ターミナル ^^;の状況です。なんのことはない、パソコンが電話線につながれているだけでこれがパリである必然性はど こにもありません。こんなもの送ってなんになると言われそうですが、それをあえてお送りすることで、私の旅のコンセプトの一端がご理解いただけるのではな いかと思います。

ミニチュアのアムステルダムから重厚長大なパリにきて、フランスの中華思想?をあらためて感じています。情報を集めることに関しては大変熱心だと思います が、情報を共有するということにかけてはちょっとフットワークが重いのかもしれないとも感じます。アムステルダムの会議にフランス人の参加が極端に少な かったことも、こうした印象の一因です。ただ、まだ具体的に見ているわけではないのでこれはあくまで仮説です。数日にはまったく違う見方をすることになる かもしれません。

(写真)

つながってしまえば、世界中どこにいても同じこと。


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<メール>パリ通信です

Thu, 14 Nov 1996 01:31:50 +0100

パリもあっというまに4日目となりました。3度目のポンピドー詣で、ビデオテック・ド・パリ訪問、今日はラビレットの科学産業都市(要するにどでかい科学館)と、それなりに疲れました。

ポンピドーは老朽化が激しく現在あちこちで工事中でしたが、パイプ類に塗られていた原色がすべてモノトーンのシックな色に変えられていたの にはびっくり。都市景観に対するフランス人のこだわりはすごいから、どんな議論が戦わされたのかとても興味があります。ご存じの方、教えてください。

ポンピドーは夜10時までやってますが、8時過ぎの図書館はまだ閲覧席にすわりきれないほどの人でごった返し、かたわらにミネラルをおき、あるいはリンゴ をかじりながら大人たちが一心に調べものをしている風景は圧巻でした。ここでは図書館は本を借りに来るところではなく、あくまで知識や情報をしいれに来る ところです。フランスのコピー機は光がフラッシュ状なので、あちこちにあるコピー機から発せられる閃光も、いかにも情報の集散地という雰囲気を際だたせて いました。写真撮影ははばかられるので、ビデオを首から下げスイッチを入れたまま何食わぬ顔で一周してきました。

ビデオテック・ド・パリは建物ができる前に小さな事務所で10年間の準備期間をとり事前の活動を行ったそうです。パリに関する映像をひたす ら集めるというコンセプトで、対象から分類方法に至るまで、さまざまな専門家による長期にわたる議論と準備が必要だったとのこと。これを聞いて顔から火が でる思いをしました。建物は具体的だからお金がつきやすいですよねとフォローしてくれましたが、焼け顔?に水でした。だから日本は世界に通用する文化が育 たないのだなどと言っても、ただの西洋かぶれ扱いだとは思いますが、やはり日本は文化的社会資産への市民レベルの議論や問題意識が少なすぎるような気がし ます。逆に言えば都市や社会構造自体が文化に対するこだわりを持っていないのかもしれません。フランスみたいなこだわりのかたまりが21世紀にとっていい かどうかはわかりませんが....

たった数日の滞在で文化論を語るのはかなり気が引けますが、以上、私の独断です。あしたから2日間、南フランスのニームに行って来ます。メディアテークの 名前が我々に認識された始めての施設があります。アクセスはできればやりますが、保証はできませんので、よろしくお願いいたします。


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<データ> ポンピドー・センター

http://www.cnac-gp.fr/
Centre Georges Pompidou

設立の経緯

1969 ポンピドー大統領が計画決定
1970 基本計画
1971 国際設計コンペにより、レンゾピアノ、フランチーニ、Rロジャースの計画を決定
1972 着工
1977 国立芸術文化センターとして開館。
延べ床面積10万m2(駐車場含む)

趣旨と概要「未来の実験室」

国立ポンピドーセンターは、芸術・文化のためにあらゆる今日的創造活動を育成する。芸術と現代の思想についての最新の情報を専門家と同様に一般の人々に提供する。センターは以下の拠点を持つ。

なお、演劇・舞踊・映画・ビデオなどのパフォーミングアートや、文学、哲学、歴史学などの現代思想の潮流を含む。

運営

予算の5分の4が国家予算であるが、ルーブルやオルセー美術館同様、政府の管理下にはなく、自主的な運営が可能な形がとられる。議会の指名による館長と大統領を含む各部門のディレクターによる運営会議が主体となる。

利用状況

<開館時間>
平日 12時~22時、
休日 10時~22時、
火曜休館

MNAM

常設展示 6800m2
20世紀美術約3万点から展示
企画展示 1330m2
プランクーシ ワークショップ

CCI

情報センター
ギャラリー 1000m2

BPI

NEWS ROOM 710m2
Young People's Room 275m2
Library 11186m2

※BPIは図書の貸し出しは行わない
<以下略>

現在延べ床面積290万m2というとてつもない新国立図書館を建設中!!!

(写真)

ポンピドーセンター(8ミリビデオ撮影)

(写真)

座り込んで読書(8ミリビデオ撮影)<ポンピドーセンター>

(写真)

コピーは自分で(8ミリビデオ撮影)<ポンピドーセンター>

(写真)

図書館内での企画展(8ミリビデオ撮影)<ポンピドーセンター>

(写真)

映像資料の閲覧はポンピドーが先鞭をつけたが今は当たり前の風景となった(8ミリビデオ撮影)

(写真)

マイクロフィルムを次々とめくる女性(8ミリビデオ撮影)

(写真)

ポンピドーセンター内のインターネットカフェ立っているのがサポート係(8ミリビデオ撮影)


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<データ> ビデオテック・ド・パリ

Videotheque de Paris
http://www.vdp.fr
2, Grande Galerie Nouveau Forum des
Halles Porte Saint-Eustache 75001
Paris

応対してくれた方
Jean-Yves Mercier de Lepinay氏
Philippe Boulanger氏

施設概要

自動送り出しによるビデオ閲覧40ブース。300、100、30席のシアター、10台のインターネット端末(Cyberport)

運営

パリ市 1996年度5500万fの内3600万fは市予算、残りは料金収入。200万fが年間収集費。職員は、総務、事業企画、教育活動、技術、制作、広報の6部門に計70名。

事業

1980事業決定後、事業についての専門家による討論と平行して組織作りを進め、小さな場所での試験開館等を経て、88年開館。パリにかかわる映像作品を 10年間上映権とともに収集し閲覧に供する。現在約5600タイトル、3000時間で1割を自主制作する。閲覧は、ビデオ自動閲覧と、上映会、さらに評論 家とのワークショップ等の催しを通じて行う。年1回、若手作家による国際的なフィルムフェスティバルを開催。

<メールでの追加質問と回答>

質問
1 Do you have some keywords to classify or analize the programs?
2 Can I have some examples of whole data you always input for one audiovisual program?
3 Do you have any still image archive on Paris? If you don't have that, is there any other archives like that in Paris?

回答(新田秀樹氏に仏文を要約していただく)
(1)分類方法、キーワードについて我々のフィルムの記述それぞれに対しキーワードの組み合わせを利用してアクセスが可能なことはもちろんだが、私たちは 自由言語(日常言語?)や文章体でも検索可能なシステムを使っている。ということは、カード(レジュメやカタログ)中のすべての言葉がキーワードであると いうこと。(ドキュメンタリストの正確さはないが。)他のキーワードも付け加えられる必要がある。(フィルムのジャンル表示、地理上のインデックスなど) つまり、統制・整理された言語(語彙集やシソーラス)は存在せず、そのかわりにソフトウエアによって解釈される次のような「辞書」の集まりがある:「空意 語」(記録に基づく?意味を欠いた記事や命題や表現)、これは自動的に質問やインデックスから削除される。「相当語」、これは同義語あるいは表現中の階層 関係に対応するもの。「隣接語」、これは2語以上の語から構成される表現を識別することを可能にする(assemble generalとかTour Eiffelエッフェル塔など)。

(2)データ記述例について
フィルムの記述は次の4つの部分から構成される。第1は、フィルムの「人相・特徴」の簡単な記述。タイトル、またはシリーズ名、監督の名前、ジャンル(ド キュメンタリー、フィクションなど)、制作年、カラー/白黒、時間。第2は、フィルムのあらすじ。第3は、(第2の?)撮影場所、わき役たち、特徴的な シーンの立ち入った解説。最後は、詳細なカタログ。監督、シナリオ作者、ダイアログ、解説、オリジナル音楽。場合によっては編集者、録音技師、写真ディレ クター、他の技術者(重要な役割だったとき)。プロデューサー、副プロデューサー。オリジナルの媒体?これらのデータはすべて質問式で、利用者によって検 索可能である。

(3)パリにおける静止画映像アーカイブ
思い浮かぶ限りでは、少なくとも良い二つの静止画コレクションがパリにある。
Bibliotheque Historique de la Ville de Paris Pavillion de l*Arsenal
再度、あなたのすばらしいプロジェクトの成功を願ってる。

(写真)

(写真)

ビデオテック・ド・パリ
検索画面(8ミリビデオ撮影)

(写真)

閲覧ブース(8ミリビデオ撮影)

(写真)

映像ホール調整室

(写真)

収蔵庫
フィルムとビデオが並ぶ。作品の館内上映権(10年)に伴う経費がかかる。そろそろ更新の手続きがあるので大変とのこと。ネットワークでの公開は上記の制限から不可能。


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<メール>パリを発ちます

Sun, 17 Nov 1996 06:45:15 +0100

現在現地時間午前6時半です。
安定した通信環境を誇ったパリ?をあとにし、これからドイツのカールスルエに向かいます。建物ができる前から充実した活動を展開し世界の注目を浴びる ZKM(芸術メディアテクノロジーセンター)を訪問します。街自体は本当の田舎町だと思います。通信はホテルがだめならZKMで頼み込むということもある かも。

さて添付の写真は、ご存じラ・デファンスの新凱旋門です。昨日は朝からさすがに疲れがたまったのか出歩く意欲がわかず部屋でぐずぐずしていました。ここが パリでさえなければなんにも考えずに寝ていられるのにと、自分がおかれた状況を呪いつつ、それでも意を決してラ・デファンスに向かいました。
新凱旋門はさすがに圧倒されます。しっかり観光客してきました。となりのソフィテルではマルチメディアの展示会が行われており入場料を払って入りました が、要はどこの国も同じ風景、ゲームやインターネットに人だかりがしていて、なんでパリまで来て自分はこんなところをうろうろしてるんだろうと思いつつ、 万国共通の風景をパリで確認できたことに意義があったと自分に言い聞かせて帰ってきました。
ちょっと興味を引かれたのは、自動音声翻訳ソフトがけっこう人を集めていたことです。平均的フランス人の英語は日本人並かもしれないという印象もあって言 語の問題は結構フランスでも大変なのかもしれないなと思いました。またソフトは徹底してフランス語バージョンです。ちょっと手がだせません。

(写真)

(写真)

パソコン屋さんの店頭
にぎわいは日本と同じだが、パソコンをケースに飾るのはさすがパリ!?


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拾遺 in パリ

(写真)

ラ・ビレット 科学産業都市

(写真)

ラビレットの巨大な映像ドームの外壁の一部です。中央に私が小さく映ってます。モザイク状に組み合わされた鏡面にうつる世界のゆがみ具合が、なにやら私の頭の中のごちゃごちゃを象徴しているような気がします。<11/14付けメールより>

(写真)


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<入手資料>

ビデオテック・ド・パリ

ポンピドーセンター,

科学産業都市,

国立図書館

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