架空の郷土芸能つくりますワークショップ


お話し投稿例

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2003/08/31 17:22:21
投稿:さらに
(送信者:佐藤純生)
こんにちは。

(中略)

最後に、ようやく少しこの企画が把握できてきたような気がするので、私も1つ 提案させてください。

上に縄文文化は神様が女で、弥生文化は神様が男と書きましたが、 現在も縄文文化の考えが残っているのは、東北・北海道と熊野地方だけだそうで す。
仙台のどこかの飲み屋さんで木彫りの男根が祭られてあるのを見て、 うちの実家のある熊野地方と共通点があることに驚いたのを覚えてます。
男根を祭るのは、山の女の神様が喜ぶと信じられていたからだそうです。
梅原猛氏と中上健次氏の対談でそういうことが話されていて、以下の文章もそれ を元に書いておりますが、 日本人の根底にあるのは、農耕文化以前の縄文文化の記憶であるのではないか、 ということで意見が一致しておりました。
農耕文化が渡来人によってもたらされたということについては、以前どこかでそ の反論を見たような気がしますが、とにかく、熊野地方と東北には、弥生文化以 前の文化がまだ残っている、ということが正しいとして話を進めます。
一方、熊野地方では、那智という場所(那智の滝でちょっと有名?)があるので` すが、そこには、補陀落浄土という考え方がありまして、補陀落山寺の住職は、 いつのタイミングかは知らないのですが、船に乗り、1週間分の食料だけ持たさ れ、乗った空間に上から板を釘で打ち付けられて蓋をされて真っ暗な状態にされ、 海に流されたそうです。本人はただただ念仏を唱えながら、海の彼方に旅立って 行く。。この補陀落渡海の儀式が日本で唯一、最近まで残っていたそうです。南 の海の向こうに極楽浄土がある、という考え方だそうですが、凄まじいですよね。
古来の日本では、キリスト教以上に天国が信じられていて、それは山の上の方や 海の彼方などにある、と思われていたそうです。
ということで、これに似た儀式が実は東北にも残っていたというのはどうでしょ うか?ある寺の住職などが、浄土へ行くため、高い山(蔵王?)に生き埋めにさ れる、あるいは同じように海に流される儀式があり、その際に、何らかの芸能が 行われた、とか。証拠品として、山であるならば、ある一定の場所に、白骨とそ の儀式を行う時に身に纏っていた衣装が発見された、とか。山の女神を喜ばせる ための衣装であったため、その本来の姿はちょっと公にはできない、とか、法則 も、女神を喜ばせるための独特な動きが入っているとか。なんか結構異様な光景 が再現されるのでは、という期待があるような気がしてこないでもないです。

どうでしょうか?