報告 2013年03月03日更新

第20回てつがくカフェ「さらに震災から〈教育〉を考える」レポート


【開催概要】
日時:2013 年 3 月 3 日(日)15:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
ゲスト・ファシリテーター:寺田俊郎(カフェフィロ会員/上智大学教員)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2013/03/20--2.html


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要約筆記。会場の対話を文字で中継する 


このテーマでの「てつがくカフェ」は今回で3回目。寺田俊郎さんがファシリテーターを務めてくださるのも今回で3回目でした。
寺田さんはまず、第一回目と第二回目の議論を振りかえるところから始めます。第一回目は、防災対策庁舎から町民に無線で避難を呼び掛け続けて津波の犠牲になった南三陸町職員のエピソードが、埼玉県の道徳の副読本に採用されたことを議論の発端に、美徳を「教える」ことができるのか、教育は事実に終始すべきか否かという問いを巡って議論が進みました。第二回目もやはり事実――防災対策のための教訓――として震災を教えるべきだという意見が多く出ましたが、それとは別に、震災を「伝える」ことが重要だということや、さらにはその理由として「死者を弔う」ことにもつながるからではないか、という意見も出ました。要は「震災はどのように教えるべきか」ということが問題となったのでした。
今回のカフェの冒頭、ファシリテーターである寺田さんは、これまで二回の蓄積を積極的に活かそうとしました。つまり、テーマを敢えて限定し、<震災を伝えることの意味>を焦点に対話をしようと呼び掛けたのです。


ファシリテーター 寺田さん


あくまで筆者の感想ですが、今回の対話は、寺田さんの掲げたこのテーマを追求するという点では、あまり"上手くいかなかった"ように思えます(あくまでこの点に関してですが)。というのも、寺田さんが冒頭に挙げた問いは、カフェ最後の15分になってまた「伝えること自体に意味があるのではないか」という形で反復されたうえに、その後でさえもこの問いに立ち向かう発言は無かったからです。

では、1時間以上わたしたちは何をしていたのでしょうか。第一に、やはり今回も「事実」に関する発言、つまり被害や防災対策の状況を「伝える」ことが「大事」であるという発言が繰り返されました。あるいはまた、とにかく震災のことを「忘れてほしくない」、「風化させたくない」がために、あるいは震災の被害を「想像してほしい」ないし「感じてほしい」から<震災を伝えることは大事である>という発言が繰り返されました。たしかに初めててつがくカフェに参加する方もいるでしょうから、毎回のてつがくカフェが新鮮な対話であるべきです。しかしそれにしても今回の対話は、寺田さんの掲げた「なぜ伝えるのか」という問いよりもむしろ、「何を伝えるのか」という点で話が多く進んだように思えます。このことは翻って、<震災を伝えることは大事である>という大前提がほとんど顧みることも不可能なほどに、"暗黙の了解"になっていたことを示唆します。つまりこの"暗黙の"前提は、ファシリテーターによって、それについて問おうと大々的に呼びかけられたにも拘わらず、呼びかけられた人の頭にその問いが上手く入ってこないほどの"自明さ(当り前さ)"を備えていたということです。



とはいえじつは、この暗黙の前提に気づき、「震災を伝えなくてもいいのではないかという意見の人はいないのだろうか」と、会場へ向かって問いを投げかけた参加者がいました。しかしこの直接の問いのあとでさえ、<震災を伝えることは大事である>という命題を否定する人は中々出てきません。ひとりの方が、「震災を伝える」ということに実は意味は無いのだが、この前提を共有することで、この対話に参加する人々の間に「絆」(前回のてつがくカフェのテーマでした)が生まれるのであり、そのために敢えて皆がこの命題を肯定しているのだ、というような発言をする方もいましたが、今回この意見が発展することはありませんでした。

それよりもむしろ、「何をどう伝えるのか」という方向に話は進みます。たとえば、「震災」を教える、あるいは伝えると言っても、より具体的には一体「何を」教えたいのか。実際のところ我々は、「震災を通して」教えたい「何か」があるのではないか、それはいったい何なのか。そのように問う人もいました。あるいは、震災について何かを伝えたい、教えたいという人は大勢いるが、「教える」ということ、つまり今回のテーマである「教育」には、相手の「知りたい」という気持ちに応えるケースも含まれるのではないか。その場合ひとは、「震災」について何を「知りたい」と思うのか。――まずこのことを明らかにしない限り、「何を教えるか」という事に答えられないのではないのだろうかと発言してくれた方もいます。この問いに対し、福島から来た若い(高校生くらいの)参加者の方は、「事実を知りたい。福島県出身だが、小学生・中学生時代は第一原発に見学に行って『安全』だと説明を受けた。事故が起こったとき、外に出てはいけないことも、なぜ事故が起きたのかも知らされなかった。安全だということだけでなく、事故が起きたときどうなるかといったマイナスの事実も教えてほしかった」と答えてくれました。その一方で、本当に震災を「伝えたい」と思う相手は、むしろ自分から「知りたい」とも思わないような相手ではないのだろうか?という指摘も投げかけられています。



紆余曲折を経て、カフェの終盤、ファシリテーターの寺田さんはもう一度、「震災を伝えることの固有の意味とは何なのか」という問いを再び発しました。そうして出たのが、「(震災を)覚えていること自体が目的ではないのか」という意見です。――今回の対話のなかでさえ、震災を(あるいは戦争も)風化させて欲しくない、忘れてほしくないと主張する人たちは大勢いました。そしてそのために「震災」を伝えていくことが大事なのだと。しかしなぜ「忘れてほしくない」と思うのかと問われた時、忘れないでいると「何か良いこと」があったり「利益」があったりするからではなく、「覚えていることそれ自体」に意味があるからではないのだろうか、ということでした。とはいえ、それ以上のことは分からないとも付け加えられていました。

こうして、最後の最後にようやく<震災を伝えることの意味>へと思考が向かうかのように見えましたが、時間が足りなかったようです。寺田さんが最初に挙げた問いについてだけ言えば、今回の「てつがくカフェ」で最後にたどり着いたのは「覚えていることそれ自体に何かしらの意味があるのではないか」というところだったというふうに筆者は見ています。話が行きつ戻りつした今回の対話の中で、筆者が見た対話の流れはおおよそ以上のようなものでした。



蛇足ですが、「てつがくカフェ」終了後、最後の点に関して私も考えてみました。つまり、「覚えていること自体の意味とは何だろうか」ということです。今回の対話では、「伝えることの大事さ」があれほど自明のものとして共有され、しかも多くの人が「忘れないでほしい」が故にそうだと述べていたのですから、震災について忘れないでいること、「覚えていること」に意味がないわけはないと思うのです。とはいえ、あの発言をした方の言うように、津波対策のためとか、次の震災被害を最小限に抑えるためにだけに今回の被害を「忘れないでほしい」わけではなく、何か「それ以上」のことがあるような気が確かにします。

ではそうだとしたら、覚えていること自体の意味とは何なのだろうか、そう考えた時、<永遠に忘れ去られたもの>がどうなるのか考えてみました。何かが永遠に忘れ去られてしまった場合、それは、「無かったこと」にされてしまうのではないでしょうか? たとえば、自分には決して思いだすことのできない過去の経験は、ほとんど「無かったこと」に等しいのではないでしょうか。あるいは、眠っている間に見て、目覚めたあとは思いだすこともない夢でさえ、それがあったとか無かったとか言えないくらいに絶対的な「無」と言えるでしょう。「忘れ去られる」ことに対する恐怖があるとしたら、それはつまり、「無かったこと」にされてしまうことへの恐怖ではないだろうか。だから人は「忘れないでほしい」と望み、覚えていること自体に意味を見出すのではないだろうか。そんなふうに考えました。

報告:綿引周(てつがくカフェ@せんだい

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板書のまとめ

黒板1、2枚目

黒板3,4枚目

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◎ カウンタートーク
カフェ終了後に行っていたスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。

http://recorder311.smt.jp/series/tetsugaku/





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=3714#report

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