2015年01月22日更新

【上映作品紹介】星空と路


星空と路


「3がつ11にちをわすれないためにセンター(略称:わすれン!)」の参加者は、ビデオカメラなどでの撮影技術や経験の有無にかかわらず震災からの日々を記録してきました。「星空と路」は、わすれン!参加者が個々の視点で撮影した映像群の上映室です。

・わすれン!の星空と路ページはこちら→http://recorder311.smt.jp/information/40400/

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当センターでは、市民、専門家、スタッフが協働し、復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していきます。さまざまなメディアの活用を通じ、情報共有、復興推進に努めるとともに、収録された映像、写真、音声、テキストなどを「震災の記録・市民協働アーカイブ」として記録保存します。 http://recorder311.smt.jp/






【上映日・作品紹介】

2/20(金)

16:40〜  『高砂神社 仮社殿の設置』(2011年)5分
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津波によって鳥居や本殿を流失した蒲生の高砂神社。周囲の景色が播州高砂浦に似ていることから「高砂」の名を当時の藩主から賜ったという来歴をご縁に兵庫県高砂市の高砂神社から「小宮」が寄進されることになりました。復興に向けた遷座祭が執り行われます。


[制作]わすれン!スタッフ

[撮影地] 宮城県仙台市宮城野区蒲生



16:45〜  『【生きられる家】蒲生地区 渡辺さん宅』(2011年−2013年)27分
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津波の被害にあった家や土地。そこに住む人びとの復旧・復興の過程を記録したシリーズ。津波で家を失い流失した建材や調度品で跡地に小屋を建てる渡辺さん。船乗りだったこともあり、復元されていくその家には、カメの頭蓋骨やクジラの骨など個性が溢れます。


[制作]わすれン!スタッフ

[撮影地]宮城県仙台市宮城野区蒲生



17:20〜  『【経路研究所】 ケース@仙台市立荒浜小学校』(2011年)21分【経路研究所】ケース@仙台市立荒浜小学校_3.tif海岸から約700mに位置する荒浜小学校。3月11日に、地震発生から津波が来るまでをどのように過ごし、より高い場所へ避難したのか。救助されるまでの行動を時系列で整理し、津波に遭遇した方がたの避難経路を当時校長だった川村先生と共にたどります。



[制作]わすれン!スタッフ

[撮影地]宮城県仙台市若林区荒浜



17:41〜  『2013年2月17日 荒浜小学校の体育館とプールのお別れ会』(2013年)9分
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津波により荒浜小学校の体育館とプールは大きな被害を受け、安全性に問題があることから、解体されることになりました。そこで、子どもたちの成長を支え見守ってきた体育館とプールへ感謝の意を表すため、2013年2月17日にお別れ会が開かれました。


[制作]わすれン!スタッフ

[撮影地]宮城県仙台市若林区荒浜



18:00〜  『震災の記憶 ー町内会長編ー』(2013年)53分
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七郷市民センターは2012年より3年にわたり、七郷地区における東日本大震災に関する聞き取り調査『あの時を忘れない―震災の記憶』を実施しました。その中から震災当時の荒浜自治会会長と上荒井町内会会長のお話を映像で紹介します。(撮影協力:わすれン!)


[制作]仙台市七郷市民センター

[撮影地]宮城県仙台市若林区



19:05〜  『「おはよう」って言うだけで、その一言なんです。』

       『閖上大漁唄い込み』(2012年)計112分
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2011年の震災によって避難所となった名取市文化会館。そこでの共同生活はどのようなものであったのか。震災から1年を過ぎて、津波の被害にあった家と仮住まいを往復する赤間勲さんの言葉に耳を傾けた。閖上に伝わる大漁唄い込みが我々に向けるものとは何か。



[制作]細谷修平

[撮影地]宮城県名取市




2/21(土)

13:00〜  『息の跡』(2015年)120分
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この町に住む人達は、津波によって失ったものと残されたものとを結ぶ痕跡を、風景や記憶の中に見つける。それを自身の方法で伝え残そうとする人達がいる。私は彼らの日常を撮りためた記録を用いて、この町の記憶をとどめておくための映画をつくりたいと思う。


[監督]小森はるか

[撮影地]岩手県陸前高田市



16:50〜  『方言でやっぺ!名取閖上版桃太郎』(2014年)37分
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"方言"で被災者を支援している宮城県名取市の「方言を語り残そう会」。2011年から始めた美田園第一仮設住宅での活動が3年目になるのを記念し、方言劇・桃太郎を企画しました。支援者と被災者が地元の踊りと歌で鬼を退治します。さて、その鬼の正体とは...?


[撮影・編集]櫛引祐希子

[撮影地]宮城県名取市



17:40〜  『波のした、土のうえ』(2015年)70分
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町の人々の半生と風景の変化を描写した映像作品。各映像の主となる住民と小森、瀬尾の三者共同で制作されている。


[制作]小森はるか+瀬尾夏美

[撮影地]岩手県陸前高田市



19:00〜  『HOPE FOR project 2014』(2014年)34分
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震災後からの毎年3月11日に仙台市沿岸部の被災地である若林区荒浜にて、地元住民が主体となって追悼企画を実施。映像は2014年の3月11日。故郷が悲しい思いだけを抱えて帰る場所にならないように。「届いても届かなくても思いを伝えること」


[制作]HOPE FOR project

[編集]Ugcrapht

[撮影地]宮城県仙台市若林区荒浜



19:40〜  『あらはまと #ダンサー』*(2013−2015年)20分
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ダンサーの友人を初めて被災地へ連れていった。時刻は23時をまわり、暗闇があたりを包み込む。視覚から被害を捉える事が難しい状況に焦るぼくら。伝えようとする気持ちばかりが先走り、それはとても残念だった。でも伝えたかった。そんな記録。


[制作]濱田直樹(うぶこえプロジェクト)

[撮影地]宮城県仙台市



20:05〜  『はるのそら』*(2014年)62分
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強き思いが、まなざしへと変化した3年目の月日。再訪をきっかけに現在の「わからない」を見つめ、かつて活動した日々をことばへと落としてゆく。当時、宮城県亘理町に災害ボランティアとして入ったシンガーソングライター『千尋』の記録です。


[編集]中鉢優

[撮影]濱田直樹(うぶこえプロジェクト)

[撮影地]宮城県仙台市、亘理町




2/22(日)

13:15〜  『木町の3.11--ふるさとへの想い--』(2013年)92分
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仙台市立木町通小学校では、せんだいメディアテークと連携し、2008年からデジタルカメラの動画機能を用いた映像制作を授業に取り入れています。この映像は、子どもたちが地域の方がたに「震災当時の様子や想い」をテーマにインタビューを行った記録です。


[制作]仙台市立木町通小学校・木町の3.11実行委員会2013

[撮影地]宮城県仙台市青葉区



16:20〜  『Flying Tohoku #1』*(2015年)30分
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被災地をドローンで空撮した映像。

被災地を空から見つめる旅。


[ドローンオペレーター]高野裕之(ルミグラフ)

[撮影地]岩手県陸前高田市/宮城県石巻市、仙台市、名取市



16:55〜  『anatta』(2014−2015年)80分
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あの震災後に亘理第三集会場で出会った人々がいました。いつの間にか心引かれて、撮影し続けた記録があります。なんのためでもなく、どうしたらいいのか分かっているわけでもなく、聞こえてくる鳥の声に耳を澄ませるようにして集めた幾つかの映像の断片です。


[監督]Yako Kimura

[撮影地]宮城県仙台市、亘理町



18:25〜  『中世山城遺跡新井田館跡を震災復興中央区に変える過程のごく一部』*(2014年)15分
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南三陸町志津川の新井田館跡。津波の被害を受けた町の機能は、高台へ移転することが計画され、発掘調査が始まった。姿を現した中世の山城。現地説明会の賑わい。やがて消滅する予定の遺跡。あとにはどのような町が作られるのだろうか?未来はまだわからない。


[制作]中谷可奈

[撮影地]南三陸町志津川



18:45〜  『熊の子 迷走の間』*(2014年)10分
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夏、放射線量測定モニタリングポストの立つアートイベント会場でのライブ。秋、主人公は岩手へ。ノイズライブやパフォーマンスは仙台で行うものの、日常が積み重なり距離も時も離れてゆく。次はどこへ向かおうというのか。この先も追いかけるのか。ゆれる間。



[制作]中谷可奈

[撮影地]宮城県仙台市/福島県いわき市、他




19:05〜  『筆甫・宮城県南からの声』(2013年)63分
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宮城県にあるため福島と同程度の補償が受けられない筆甫。しかしそれぞれに自分の言葉を持ち坦々と生きる筆甫の人たち。その思いを記録し人々に知ってもらいたいと考え、映像制作に挑戦した。後半には筆甫集団申し立てのため行われた聞き取り調査の様子も収録。



[制作]刈田路代

[撮影地]宮城県丸森町筆甫



20:15〜  『福島の光景 (15分ver)』*(2013−2014年)15分
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3月12日の福島原子力発電所の爆発により、警戒区域、計画的避難区域、特定避難勧奨地点、居住制限区域、避難準備解除区域、帰還困難区域という立入可、立ち入り不可の線引きがなされた。福島の風景は土地の現状を伝える。



[制作]岩崎孝正

[撮影地]福島県飯舘村、南相馬市、川俣町、浪江町、葛尾村、田村市都路町、富岡町



20:35〜  『村に住む人々』(2011−2014年)48分
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僕の生まれ育った村は海になっていた----東京での被災、郷里の相馬市磯部に戻り、家族や安否確認で出会う友人たちにあの日からのことを問いかける。そして3年。僧侶の父が執り行う法要、先輩後輩らが奉納して回る神楽。営みを続ける地域の姿を記録していく。


[制作]岩崎孝正

[撮影地]福島県相馬市


・現在制作プロセスにある映像・・・*

・上映時間は目安となります


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