報告 2026年04月28日更新

第22回映像サロンレポート


3月21日(土)に第22回映像サロン「被災地の願いと揺らぎを考える」を開催しました。

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今回の発表者は、東北学院大学で民俗学を学び、それをきっかけに震災前の2008年から南三陸町の小さな漁村「波伝谷(はでんや)」でドキュメンタリー映画制作を始めた我妻和樹さん。我妻さんが波伝谷の人びとを追った連作として、震災までの3年間の日常を記録した『波伝谷に生きる人びと』(2014年/135分)と震災後のコミュニティの再生を記録した『願いと揺らぎ』(2017年/147分)の2作品がありますが、今回は後者を上映し、参加者で議論を深めました。

上映後には、最初に我妻さんから波伝谷との出会いや地域で大切にされてきた伝統行事である「お獅子さま」の衝撃、波伝谷の人びとにカメラを向けたいと思った動機について語られました。

 

我妻さんは、海や山など土地の恵みを受けながら、連綿と暮らしを紡いできた波伝谷の人びとの濃密な結び付きに大きく心を動かされたそうです。

 

「厳しい環境の中で人びとが生き抜くためには、ときに摩擦や衝突を経ながらも、お互いに尊重し、支え合いながら生きていかなければならない。」そう語りながら、そのために波伝谷の人びとが築き上げてきた合意形成のシステムや人が人として成長するための土壌について話してくれました。その上で、「主張や思想が異なれば敵・味方と分断されがちな現代において、波伝谷の人びとの生き方を通して調和や共生のあり方を探ることが、波伝谷での撮影の大きなテーマだった」と話してくれました。

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しかしそんな波伝谷も、80軒あった集落が津波によって1軒を残して壊滅してしまいます。この震災までに撮影した映像はのちに『波伝谷に生きる人びと』として形になりましたが、震災後は住民もバラバラになり、我妻さんもしばらくは何をどう撮ればいいのか分からない日々が続いたそうです。

 

そんな中、震災から1年を迎えた頃に、波伝谷の人の中から震災でできなくなってしまった「お獅子さま」を復活させたいという声が聞こえ、自分の中で震災前の時間と震災後の時間が繋がったような感覚を覚えたとのことでした。「あの当時、沿岸部で伝統行事復活のニュースが続いたが、ガレキの山が残ってインフラが整わない中でなぜお祭りなのか。そこには自分たちにとって大事な行事を復活させることで、自分たちらしさを取り戻したいという思いがあったのではないか。」「先行きが見えない中で、その土地で生きていくためにも必要なことだったのではないか」と我妻さんは語ります。

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そうして撮影が始まった『願いと揺らぎ』は、地域の伝統行事復活の動きに留まらず、集落の高台移転や漁業の変化といった課題も含め、当時の人びとの復興への願いと混乱や葛藤といった心の揺らぎを描くことになりました。そして震災前の時間(取り戻したい暮らし)をカラー、震災後の現在(どこに立っているのか分からない曖昧な時間)をモノクロで描き、高台移転後のラストの映像をカラーにした意図については、トラウマからの回復や災害からのレジリエンスの意味が込められているとのことでした。

 

我妻さんは、映画の完成時、地域のデリケートな部分に踏み込んだこの映画を波伝谷の人びとに見せる上でものすごく緊張したと語ります。しかし、思いのほかみなさんが冷静かつ好意的に受け止めてくださり安心したとのことでした。「時間が経って高台に家を建て、新たなコミュニティとして地域が再スタートしてようやく、今まで自分たちが歩んできた道のりに意味を与えられるようになったのではないか」と振り返っていました。

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参加者からは、「お互いを尊重し、大切に思い合う地域の豊かさが伝わった」「民主的にみんなで決めていくことの大切さや結果に向かうまでのプロセスの大切さなどいろいろなことを考えた」「作り手が当事者として介入し、信頼関係の中で作品が生まれていくライブ感があった」「地域の貴重な記録であると同時に我妻さんの成長の記録にもなっている稀有なドキュメンタリーと思った」などの感想がありました。みなさん感想と一緒に自分自身の地域や伝統行事との関わりも語ってくださり、とても有意義な時間となりました。

 

波伝谷を第二の故郷と語り、「いずれはまた波伝谷で映画を作れたら」と話す我妻さん。その関係や波伝谷の伝統行事、地域の結び付きが末永く続いてほしいと思える温かな映像サロンでした。

 

我妻さん、この度はお疲れさまでした!ご参加のみなさんもありがとうございました!

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