報告 2013年06月09日更新

第22回てつがくカフェ「エネルギーという〈課題〉」レポート


【開催概要】
日時:2013 年 6 月 9 日(日)15:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2013/06/22-.html


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ファシリテーター:西村高宏さん


6月9日のてつがくカフェでは「エネルギーという〈課題〉」で対話を行いました。震災に伴って起こった福島の原発事故を契機に、私たちは「いま」エネルギーについて考えざるを得ない状況でしょう。しかしその時、単に原発賛成あるいは反対を叫ぶことだけがエネルギーと私たちを取り巻く問題なのか、もっと広い意味で私たちが抱える「課題」としてエネルギーを深く考えてみよう、というのが今回の趣旨だったように思います。
対話はまず、エネルギーに関してそれぞれが思うことを自由に話してもらいました。「人間が使える資源」「人間活動のベース」といったものから「体からあふれるもの」「自分を動かす"気"」といった精神的なものまで抽出されました。筆者は当初エネルギーとは電気などの資源という意味だけでエネルギーを捉えていて、それよりも「いま」エネルギーについて思うことが強調して発言されると想定していたのでこの展開は意外なものでした。そしてこの時点で、エネルギーに関して各々が抱いているイメージに大きな幅があることが感じられていきました。


ファシリテーターの西村先生
ファシリテーターの西村先生



では、このようにばらばらなエネルギーに対するイメージに、すべてを貫く定義はあるのだろうかとファシリテーターが投げかけました。各人が持つ定義がバラバラであっては、課題を話す以前に対話がすれ違ってしまうからです。恐らく、会場にいた参加者の何人かはファシリテーターの意図がなかなかつかめていなかったかもしれません。唸るように考え込む時間が流れたり、ファシリテーターの誘導を飛び越えて課題に関する発言がされる場面があったりしました。ファシリテーターは「ゆっくり」考えていくことを促しました。次第に「運動を生み出すもの」「力そのもの」「人間との関与において生まれるもの」といった定義が出てきました。エネルギーという身近なものを自分がそれまで考えてきた当たり前の定義から一歩外に出た、普遍的な定義でとらえる作業は予想以上に難しいと感じられました。
結局「存在するものが維持・増大させるもの」という定義を一応まとめ、やっと問いに移ることができました。しかし問いを考える、つまり課題について考える時間はほんの5分程度しか持てずに終了を迎えることになりました。会場には釈然としない空気も残っており、恐らく多くの方が気持ち悪いものを持って帰られたと想像できます。終了後に参加者同士で"延長戦"をしている方々も見受けられました。


全体の様子
全体の様子



前回のてつがくカフェと異なり、エネルギーという一種の"モノ"をテーマに据えた対話であったので、対話はスムーズに進んでいくものと思われましたが、筆者には今回のほうが難しかったという印象を受けました。そこには、私たちがいかに自明のもの・身近なものをやりすごしているかということが浮き彫りになってくるのではないでしょうか。そしてまた、原発事故以後のエネルギー問題における議論の平行線の原因には、もしかしたら話を急いているのかもしれないと感じられました。今回は「エネルギーという〈課題〉」というテーマでありながら、課題を話し合う一歩前の段階「そもそもこれはどんなものだ?」ということを言葉にしていく重要さを思い知った対話でした。

報告:房内まどか(てつがくカフェ@せんだい

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板書のまとめ

黒板1枚目
黒板1枚目

黒板2枚目
黒板2枚目

黒板3枚目
黒板3枚目

黒板4枚目
黒板4枚目

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◎ カウンタートーク

カフェ終了後に行っていたスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。

http://recorder311.smt.jp/series/tetsugaku/





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=4376#report


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