報告 2013年08月04日更新

第24回てつがくカフェ「震災後の〈日常〉を問う」(要約筆記つき)レポート


【開催概要】
日時:2013 年 8 月 4 日(日)15:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2013/08/24-.html


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密やかな声に耳をすませながら、この場で語られた言葉や、語られなかった表現の数々に目を配らせ、これらを丁寧につなぎあわせること。そしてこの場所に生まれた、まるで濁流のような清流に漂いながら、意味の重心をゆっくりと落としていくこと。これがファシリテーターをつとめた、私の役割でした。


そこで、特に大事にしたいと思ったのは、〈聴く〉という営みです。相手の意見を聞きながら、いつの間にか、ついつい別のことを考えてしまうことは、よくあることです。誰かの話を〈聴く〉ことは、易しいように思えて、なかなか難しい。


〈聴く〉ことを大切にする。それは同時に、ゆっくりと対話を進めることも、意味しています。対話では、こんなことがよく起こります。ああ、自分はこんなことを考えていたのかと、話しているうちに気づく。もしくは、話し終わってから、しばらくした後に、こんなことを自分は考えていたのかと、ふと気づく。話しながら、考える。対話のなかで生まれた言葉を、丁寧に拾い、これらを紡いでいくためには、じっくりと対話の渦に耳を澄ますことが、けっこう大切なのではないかと、よく考えます。


少々、前置きが長くなりました。


今回のテーマは、「震災後の〈日常〉を問う」。私たちの〈日常〉に目を配りながら、震災という出来事に言葉をあてがい、これを語り直すことを試みました。〈日常〉という言葉とつながりながら、対話のなかで現れようとする意味は、まさにさまざまです。



・なぜ私は、この被災地に残って、生き続けるのか?

・震災はこれからも繰り返されるのに、それでも何故、私はここに住み続けるのだろう?

・震災という傷から、出発する。

・よいものも、悪いものも含めて、〈日常〉ではなかったものが、いつの間にか〈日常〉のなかへ溶けていく。

・この対話の場は、私にとっての〈非日常〉。でもいつかこれが、日常になれば...

・ 震災後の〈非日常〉を、もう少し引きずってみたい。



震災後の〈日常〉を問う。それは、思いを巡らせれば、日々の暮らしの内部へと深く入り込み、ときに自身と向き合うことと、どこか地続きの経験だったのかもしれません。自分のなかにある震災という経験と向き合いながら、ときには声を震わせながらも、これを受け止めることから、震災後の〈日常〉は、〈ともに〉問われていったのではないでしょうか。

沈黙。語られた言葉だけではありません。静かな沈黙も、あの場には生まれていたことも、ここで表記しておきたいと思います。沈黙が、幾度も、対話の場を覆いました。じっと、ゆっくりと、言葉を探るために、一人ひとりのなかで、自己内対話が、あそこでは起こっていたのかもしれません。沈黙も、表現のひとつの形であり、語るための助走でもあり、決して雄弁ではありませんが、そこには対話の萌芽が確かにあったのではないでしょうか。私は、あの時間を、振り返ってみるたびに、そんな気がしてなりません。

報告:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)


板書のまとめ



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◎ カウンタートーク

カフェ終了後に行っていたスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。


http://recorder311.smt.jp/series/tetsugaku/





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=4389#report


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