イベント 2013年10月27日更新

第25回 「震災とセクシュアリティ」


■ 日時:2013 年 10 月 27 日(日)15:00−17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
■ 助成:財団法人 地域創造

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「被災地でのセクシュアルマイノリティがどのようであったかということを問われたことはあっただろうかと考えると、あまり一般的なところで話題になったことはありません。(中略)そもそも、問われていない人は私たちのようにまだまだたくさんいるのではないでしょうか」
5月に開催されたてつがくカフェ「震災を問い続けること」において、ある参加者の方からこのような言葉が投げかけられました。この発言は私たちが考えるべきさまざまな問題を孕んでいます。セクシュアルマイノリティ(同性愛者、性同一性障害などの方々)と呼ばれる人々に対して、そうでない人々すなわちマジョリティ(多数派)はたいてい、自分とは異質なものとして自ら知ろうとすることはほとんどないでしょう。それどころか話題にすることをタブーとしている気がします。普段の日常生活でさえそうであるならば、ましてや震災のような非常時にセクシュアルマイノリティの人々が困っていたことを認識していた人は一体どれだけいたでしょうか。筆者自身、上記の言葉を聞くまでは「いまだに問われていない人がいる」ということに気付くことすらできていませんでした。実際には、避難所でのトイレ等の施設や築いてきたコミュニティの崩壊など、物質的・精神的にさまざまな問題が発生していたそうです。
そもそも、私たちは自分の性について立ち止まって考える機会がどれだけあるでしょうか。本当はマイノリティとマジョリティのような二項対立だけで語れる問題ではないし、マイノリティの中にもそれ以外の人が知らない多様なあり方があるでしょう。しかし、社会がはめている性の「枠」に対して不自由になっていることに私たちは無自覚です。もちろん、性は目に見えない内包的なものだから難しい問題ですが、自分の性について考えることは自分そのものについて問うことにも繋がってくるのではないでしょうか。
また、セクシュアリティの問題に限らず、なぜマイノリティが提起する問題が問われにくいという構図ができてしまうのでしょうか。なぜマイノリティとマジョリティが同じ立場で対話することが今まで当たり前にできてこなかったのでしょうか。マジョリティの言葉を主導に物事が進んでしまう現実は本当によいのか、考えてみる必要があると感じます。 このテーマについて対話するとき、きっとさまざまな「あいだ」が生じることと思います。その違和感の数が対話の深さでもあります。ゆっくりと、一言ひと言につまずきながら一緒に言葉を探していきたいと考えています。

(てつがくカフェ@せんだい 房内まどか)
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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=5066
*イベントのレポートはこちら https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2013/10/25.html


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