今回は、今まで出てきた以下の問いをもう一度みなさんで考え、まだ核心に触れていないことはないか、さらに一人ひとりが自分のセクシュアリティを考えられる問いはつくれないか、対話する時間にします。〈第2回 2013.12.22〉
・社会でなぜ受け入れられないということが起こるのか?
・"みんなの避難所"の中の社会的ルールって何?
・セクシュアリティにとって自然とは?規範とは?それでどう苦しんでいるのか?
・自分の中で規範化して内面化していくことをどうしていったらいいのか?
・人間の性は動物の性と同じと考えてよいのか?
・人間の性は生物学的にとらえられる(思い込む)のはなぜ?〈第3回 2014.2.16〉
・多数派と少数派でわけて問題を解決した方がよいのか?
・なぜ自分の性について問われない人(問われる人/問われない人)がいるのか?
・セクシュアリティにとって自然と規範の差が生じるのは?
・どうして震災を機にこれ(この問題)を考える必要があったのか?
・(震災時などの場づくりにおいて)なぜ規範をつくろうとするのか?〈第4回 2014.5.4〉
・セクシュアルマイノリティとマイノリティでどこが違うのか?
・セクシュアルマイノリティは普通じゃないのか?
・私のセクシュアリティを縛る規範とは?
・無意識に受け入れる?
・どうして社会を主語として語りたいのか?
・セクシュアリティを問うのはわたし/あなた/社会?
・自分じゃない他人を受け入れるって?
「震災とセクシュアリティ」の対話は、難しさ、痛み、傷つき、恐怖、心のせめぎ合い、思考が停止するようなわからなさ、わかりあえなさの苦しみが伴ってきました。しかし、時に訪れる言葉の重なり、「それが言いたかった」の感覚、思考の風穴があく感覚、言い淀みの中に感じる共感、そんな瞬間の積み重ねがあります。それは、語りづらさの中で勇気を持って自分のセクシュアリティを自分なりに表現し続ける方々がいらっしゃるからです。その勇気を大切にし、この場所から一人ひとりに広げていきたいのです。
次の世代のため、次に起こるかもしれない災害の時のため、そして「この自分のセクシュアリティ」を背負って今を生きる私たちのため、できるだけ長く問い続ける場をつくろうと考えています。
房内まどか(てつがくカフェ@せんだい)