■ 日時:2014 年 8 月 2 日(土)15:00-17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■ ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:
tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
■ 助成:財団法人 地域創造
《今回の問いかけ》
震災後を、〈ここ〉で生きる。
あなたにとっての、〈ここ〉とは、なんだろう? 〈此処〉だろうか? それは、ふるさと、わが家、なじみのお店、親しい人たちと〈とも〉にいられる場所。よろこびを〈とも〉にわけあう場所。はたまた、悲しみのなかにただよう場所。 〈戸戸〉だろうか? それは家々が立ち並び、息づかいや温もりが聴こえるまち。〈個々〉だろうか? ひとり、ひとり。この〈わたし〉の、ゆずり渡すことのできない、「生きる」といういとなみ。
あなた自身にとって、「生きる」とは、どのようないとなみなのだろうか? わかりやすそうで、わかりにくく、うまくいきそうで、思い通りにならない。かくも日常的で、理解し難い、この「生きる」といういとなみ。
先日、ある場所で「てつがくカフェ」を開催した時、参加された方の1人が、こんな発言をした。
「震災に、わたしは問いかけられた。」
わたしは、この言葉が、なぜか頭から離れない。どうしてもわたし自身に問わずにはいられない。どう生きるべきか? どこで生きるべきか? 何を大切に生きるべきか? わたしは、わたし自身の「人生」を生きているのだろうか? そもそも、生きるとは...?
震災が起きてから、疼くような思いを、どこかに抱えている。こころのなかに滞留しているようで、いまだ言葉にはできずにいる、まるで悲哀を背負いこんだような、疼くような思い。「生きる」ことには、この疼きを抱えることも、含まれているのか。
参加された方々と〈とも〉に問い直してみたいと思います。今回は、震災後を〈ここ〉で生きることについて。
辻 明典(てつがくカフェ@せんだい)
《てつがくカフェとは 》
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。
てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp
*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=10111)
*イベントのレポートはこちら https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2014/08/36.html