報告 2015年01月25日更新

〈3.11以降〉読書会-震災を読み解くために- 第20回レポート


【開催概要】
日時:2015 年 1 月 25 日(日)17:00-19:00
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2015/01/3-11--20.html


* * *





写真1

今回の読書会は、前回に引き続き『聖地Cs』(木村友祐著/新潮社)を取り上げました。前回は、小説全体の感想から、登場人物個々の思いや役割について考えました。今回は、それをふまえて、

① この物語がどのような物語か
② 登場人物の発言や振舞いについてどう思うか

を考えていくことになりました。
まず、①この物語がどのような物語か、については、参加者が黒板のテーブルにそれぞれが感じた物語像をチョークで書いていきました。「人間性の回復・生物に関する敬意の物語」など、主人公が自分自身を見つめなおし、命と向き合うことを読み取ったというような意見のほか、「不平等と葛藤の物語」など、震災前後の人々のあり様全体について読み取った意見、「地域を媒体として自分の存在を明らかにしていく物語」といった地域をキーワードにした意見などが出されました。

写真2

それらの読み方を共有したうえで、次に②登場人物の発言や振舞いについてどう思うか、を考えていきました。まずは主人公の動きに関心が集まりました。主人公の変わったところと変わらないところ、物語の最後に出てくる高笑いの意味、さらに小説には書かれていない主人公のその後にまで話は及びました。

また、原発事故の居住制限区域に取り残された牛たちを飼い続けている仙道さんが、なぜ売ることができない牛たちを生かし続けているのかという問いも出されました。それに対しては、資本主義への反省や、地域に対する誇りを守る等の意見が出されました。小説中にあった、仙道さんのセリフで牛以外食べるものがない状態をつくったのが県や国だったら自分は牛と共に餓死を選ぶこと、一方で、そういうことでなければ自分の意志で牛を食べるというくだりも、出てきた問いに対して示唆的であるとの意見が出されました。

写真3

ある面からみると無意味に見えるような取り組みに、それぞれの登場人物がどのような思いや意義を見出しているのか。それらを確認する回となりました。 次回も、引き続き今回の後半(②)について、今度はもう少し主人公以外の登場人物にも踏み込みながら、小説から一歩距離を置いて、批評的にみていく作業を続けたいと思います。そののちそれまでの対話を踏まえたうえで小説から離れた、より一般的な問いをつくりあげる予定です。

写真4

報告:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)




*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=11368#report)


x facebook Youtube