報告 2015年01月18日更新

第41回てつがくカフェ「"災害ユートピア"?」レポート


【開催概要】
日時:2015 年 1 月 18 日(日)15:00-17:00
会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
ファシリテーター:房内まどか(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2015/01/41--.html


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写真1

冒頭、ファシリテーターからまず、3月11日の震災直後から3ヶ月間、仙台市内に掲示された張り紙等を撮影した写真のスライドショー『3.11東日本大震災後の仙台市内の扉の景色』の紹介があった。それらは街の雰囲気とその変遷を語っているように感じられた。

その後、今回の企画の目的は、震災直後の他者との距離感について自分たちの言葉で語り直すことを試みるためのものであり、「災害ユートピア」という言葉の解釈や賛否については扱わない、というアナウンスがあった。

写真2

ところで「災害ユートピア」という言葉は、レベッカ・ソルニットが書いた『A Paradise Built in Hell』の邦題に由来する。この著作は、日本では『災害ユートピア』として2010年12月に出版され、2011年3月11日の東日本大震災の後に改めて話題を呼んだ。

当日会場からも指摘があったように、直訳すれば「地獄の中の楽園」という原題と、邦題の「災害ユートピア」とでは、そのニュアンスに随分な開きがあると感じる。

写真3

写真4

さて会場からは、震災直後、近県の商店でも被災者支援サービスの張り紙があったこと、ある宗教施設では信者が、宗派の違いを問わず「被災者」に対して祈りを捧げていたことなどが話された。中には、当時の自身を振り返って、「『人の優しさ』を食べて心のエネルギーにさせてもらった」と話した方もいた。

また、震災に対する「備え」があるので余裕が生まれ、人々の助け合いが生まれたのではないかという意見がある一方、そのような余裕がないが故に周囲との協力が生まれるのではないかという意見もあった。

はたまた、〈ユートピア〉の反対語として〈ディストピア〉という言葉を挙げ、〈ユートピア〉で実現される「調和」は〈ディストピア〉における「管理」と表裏一体なのではないかという指摘があった。そしてそこから、「〈ユートピア〉というものは、一体誰にとっての〈ユートピア〉なのか」「ある人間にとっての〈ユートピア〉が、他の人間にとっての〈ディストピア〉であるということもある」などといった意見も挙がった。

ほかにも、ある被災地を訪れた経験から、「ある〈ユートピア〉も、外からは異様に見えるのではないか」といった意見があった。

写真5

以上のような対話を受けていくつか問いが設定されたが、中でも「〈ユートピア〉は外からわかるのか」という問いについて、終盤、答えを探す試みが行われた。

解答としては、「〈ユートピア〉は時間や過程を共有することで生み出されるのであるから、そこに居合わせなかった者には認識や理解をすることができない」といったものがあった。 また、〈ユートピア〉とはそもそも風刺としてのみ共有・理解可能なものではないか、という意見もあった。

写真6

報告:さくら





*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=11305#report


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