報告 2018年03月10日更新

シネマてつがくカフェ第65回「『猿とモルターレ』映像記録から"継承"を考える」レポート


【開催概要】
日時:2018 年 3 月 10 日(土)13:00-17:45
会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)

(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2018/02/64-2.html


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今回のてつがくカフェでは、東日本大震災の被災者ではないダンサーの砂連尾理(じゃれおおさむ)さんが、避難所生活をする人々との交流を通じて創作したパフォーマンス作品『猿とモルターレ』の映像記録を鑑賞し、それぞれが感じたこと、考えたことを対話しました。


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今回のテーマが、「 "継承" を考える」ということもあり、伝えることや伝わることについての話題が多く出ました。まずは『猿とモルターレ』のダンスを見ていると、当時経験した身体感覚がシンクロしてくるという声がある一方で、震災と結びつきそうで結びつかない感じがあるという声もありました。そこを突き詰めていくと、伝えるための言葉が解体されダンスという表現になることで、受け手側が様々に汲み取ることができる点が見えてきました。また、継承していくためには、手を伸ばして知りたくなるような、ある種の美しさが大事なのではないかという意見も出されました。

そうしたなかで、『猿とモルターレ』の記録映像を撮影された酒井耕さんから、撮影中は記録者としてその場で起こったことを正確に伝えるため、鑑賞者に自由に見てもらうというより、伝えたい部分が明確に見えるよう撮影したという主旨の発言がありました。しかし、その意図とは異なり、自由にそれぞれの解釈で受け取っていた鑑賞者らの反応に対し、実のところ継承というのは「されてしまうもの」とも考えられるのではないか、という視点があげられました。そう考えたとき、重要になってくるのは、その場を「記録しようとする人」や、それを「受け取ろうとする人」の「態度」なのではないかと。そしてそこから、継承における「伝える側」と「受け取る側」のありようについて対話が進んでいきました。
また、別の方から盆踊りの例があがり、もともとは祈りなど意味があった踊る行為が、現代ではそこに理由がないように、理由のなさという部分も継承の要素に関わるのではないかという意見が出されました。

後半はそれまでの対話から、継承を考える上で重要なキーワードをあげていきました。

・受け取る側/伝える側
・(つくり手の)覚悟、葛藤
・美しさ
・共振
・負荷
・手を伸ばそうとする(距離)
・弱さ
・思いやり

これらのキーワードの中で、特に「受け取る側/伝える側」「共振」に注目してさらに継承とは何かを考えていきました。
まず「つくり手の表現の意図」と「見る側の受け取り方の自由」はニュートラルな関係であることが指摘されました。また、立場が違っても同じ場所にいるからこそ共感や共有できるものもあること、「伝える側」から「受け取る側」への一方通行ではなく、受け取りながら伝えていくことで「継承」がされていくという意見も出されました。そのように互いに作用していく関係を「共振」と捉えました。

最後に、継承とはどのようなものであるのか、今までの対話をもとに参加者がそれぞれにまとめていきました。

継承とは、
・伝える側がいなければ始まらないが、受け取る側が主体となるものである。
・伝える側/受け取る側の互いの葛藤の末に共振が起こるという体験である。
(ただし、手を伸ばそうとする距離によって負荷も生じるもの)
・伝える側/受け取る側の共振である、または予振である。

継承とはどのようなものか、少しずつ輪郭が見えてきたところで終了時刻となりました。
今回の対話を参加者それぞれが持ち帰り、さらに〈継承すること〉について考えを深めていけるきっかけとなればよいと思います。


報告:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)




第65回板書.jpg




*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13851#report


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