報告 2017年11月25日更新

てつがくカフェ第63回「いま、技術を問い直す」レポート


【開催概要】
日時:2017 年 11 月 25 日(土)15:00-17:30
会場:せんだいメディアテーク 6f ギャラリーホワイエ
ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2017/11/63.html


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第63回 考えるテーブル×てつがくカフェは、「コンニチワ技術トシテノ美術」関連イベントとして「いま、技術を問い直す」をテーマに開催しました。


まずはじめに、本日のテーマに関して、感想を問うところからスタートしました。

子どもの頃、「技術」の授業というのは、とてもワクワクする時間だったことから、そもそも「技術」は、人の好奇心を刺激したり感動させたりするものではないだろうか。足が不自由な人が車椅子という道具を使うことから、「技術」とは、人間の身体能力を補い、未来へと向かって生活を切り拓いていくものではないか。「芸は身を助ける」というように、身に付けたり習得したりするもので「人が生きていくための技法」とも言えるのではないか。刃物という道具1つとってみても、料理をするために材料を切るという本来の目的がある一方、他者の命を脅かすために悪用される場合があるなど、「技術」の使い方によっては中立的な価値を持つのではないか。医療機器などのように高度な技術を駆使することで診断技術が向上するなど、ワタシ独自の身体知に纏わる話とシステムとしての技術という2つの側面から考えていきました。

そして、手法、コントロール、生産力、機能の拡張、目的、進歩、関係性、可能性といった「技術」を問う上で外せないキーワードを列挙した後、「目的」と「技術」に焦点を絞り対話をすすめていきました。

そもそも「目的」というものが先にあって、それを達成するために「技術」が存在するのだろうか。それとも「技術」というものが先にあり、それをどのように使うかが問題になるのだろうか。「技術そのものの目的」なのか「人間にとっての技術の目的」なのか、整理していきました。しかし、「技術」と「目的」について対話をすすめる中で、そもそも「技術」には「目的」という用語には回収できない魅力や可能性が含まれているのではないか、という考えも芽生えてきました。

ワタシタチの暮らしが、様々な「技術」の恩恵を受けて成り立っている以上、「技術」には、発展というポジティブな側面があることは否めないでしょう。しかし、システムとしての技術がワタシタチ「人間」の手に負えなくなった場合、その責任を、どう考えれば良いのでしょうか。「技術」と「人間」の関係性をどう考えれば良いのか、さらには「ワタシタチ」には誰が含まれるのかなどを含めて、粘り強く問い続けていく必要がありそうです。

近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)

*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13749#report


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