報告 2017年08月06日更新

てつがくカフェ第62回「放射能と暮らし」レポート


【開催概要】
日時:2017 年 8 月 6 日(日)15:00-17:30
会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)
(参考:https://www.smt.jp/projects/cafephilo/2017/08/62.html


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62回レポ画像①.jpg

季節外れの長雨が続く日々ではありましたが、ご多用のなか大勢の方に参加頂けましたこと感謝申し上げます。
今回のテーマは、「放射能と暮らし」でした。大変難しいテーマではありましたが、まずは様々な角度から意見を交わしてみることから始まりました。
暮らしとは、人生と繋がるものではないか。普通の暮らし、日常とは、何なのか。五感で捉えられない放射能をどう捉えるのか。食と放射能の関係性について。安全性とは一体何か。まさに多様な視点にたって、対話が試みられました。
次は、語られた言葉のなかからキーワードをあげていく時間です。今回のテーマについて対話を進めていく上で、これだけは外せないと思われる言葉を選び出します。ここでは、以下のようなキーワードが上がりました。

キーワード
・ふつうの暮らし
・現実生活
・どうしようもなさ...想像力
・共存(人と人)
・信頼
・情緒的
・異質な他者

続いて、これらのキーワードを吟味していきます。それは、これまでの対話において語られてきた言葉の意味を、皆さんと共に、更に問い直していく時間です。
ファシリテーターは、「それは、どういった意味で使っているのでしょうか?」と問いかけて言葉の意味を確認したり、「今の方の〇〇の意味と、先ほどの方の△△の意味は、どのような関係にあるのですか?」と訊ねて、発言と発言の〈あいだ〉を繋げたりします。例え、同じ言葉が使われていたとしても、全く異なる意味で用いられている場合もあります。そうすると、言葉が噛み合ないままに時間が過ぎてしまいかねません。あるいは、その場の雰囲気で使っている場合もあるかもしれません。たくさん喋ることで「すっきり」した気分になるかもしれませんが、流されることなく、逸る気持ちを抑えて、言葉の意味するところをしっかりと捉まえなければ、対話の中身が空虚になってしまいます。
言葉の吟味とは、「少し立ち止まって、改めて考え直してみる」ということです。それは、対話の〈流れ〉を遮るというよりも、むしろ対話にとって必要なことのようにも思われます。語られ、聴かれた言葉を、改めて問い直し、その意味を抽象的な次元で、ゆるやかに共有する。そのために、言葉の一つ一つの意味を精査するのです。

例えば、この対話の場における〈ふつう〉とは「放射能を意識しなくていい」ことを、〈現実〉とは「放射能を意識せざるを得ない」ことを意味しています。また、「どうしようもなさ」には、一般的な「手に負えない」といった意味に加えて、五感では捉えきれないものへ想像力を向けようとする〈働き〉としての意味合いが含まれていました。いずれのキーワードも、あの時間、あの場所における対話のなかで、参加された方々が丁寧に言葉を吟味しながら対話を進めことで、普段の言葉遣いとは異なる意味をもって捉え直されたのです。
最後は、キーワードを踏まえて、〈問い〉を作っていく時間です。

問い
・なぜどうしようもなさを感じざるを得ないのか
・なぜ、どうしようもなさを感じるのか
・福島の人はみんながみんなどうしようもなさを感じているのか
・異質の他者とどう信頼を築くか

いずれの〈問い〉も、集った方々とともに、じりじりとするような時間を共有して練り上げられました。

改めまして、このたびの参加と、拙文を読んでいただけましたこと、感謝申し上げます。今後もじっくりと、みなさまと対話をする時間を設けられればと思います。







*この記事はウェブサイト「考えるテーブル」からの転載です(http://table.smt.jp/?p=13639#report


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