予告 2025年09月18日更新

【お知らせ】11月9日(日) 第96回てつがくカフェ


第96回アイキャッチ.jpg



次回てつがくカフェのお知らせです。
<わたしのなかにある戦争>をテーマに、みなさんと考えます。



第96回 てつがくカフェ

■ 日時:2025年11月9日(日)14:00−16:30

■ 会場:せんだいメディアテーク 6f ギャラリー4200「もうひとつの森」会場内

■ 参加無料、申込不要、直接会場へ


 

 あなたのなかに、戦争はあるでしょうか?

 

 例えば、わたしのなかにある戦争は次のようなものです。

ゆっくりと時計を巻き戻してみると、小学生の時分は、戦争を体験した先生が残っていたので、夏休みになると「大人たちから戦争の話を聞いてきなさい」と言われたものです。そこでわたしも、戦争を体験した世代から話を聞くことにしたのでしたが、大人たちは生々しい話を語ってくれたわけではありませんでした。少なからず、戦争の記憶を「語りたくはない」大人たちはいて、その「誰にも話すまい」とでも言いたげなたたずまいは、語るもおぞましき戦争の現実を、無言で語るかのようでした。机の端に目を落としながら、

「戦争の映画とかね、そんなものは見ないよ。」

と、ぽつりと口にした一言が、戦争を体験していないわたしのなかにある戦争です。

 

 戦火に追われるウクライナ、ガザ......。休戦状態の隣国。いたるところには、基地と隣り合わせの人々。加害と被害の歴史が積み重なる現代。各地では戦禍が絶えませんが、わたしの外側にあるかのように見える戦争は、本当にわたしたちと無縁の出来事なのでしょうか? 

 

「単一の説を守れば、その説の性質はたとい純精善良なるも、これに由て決して自由の気を生ずべからず。自由の気風はただ多事争論の間にありて存するものと知るべし。」

 

そう語ったのは福沢諭吉でしたが、あえて平易に言い換えるならば、「できるだけ多くのことをできるだけ論じあった方がよい」といった意です。戦争の語りにくさを重々承知の上でこれを引用しますが、戦争の語りにくさが蔓延すればするほどに、この社会の自由はあとずさりしないでしょうか。なぜなら「自由の気風」は「多事争論」のなかでこそ保たれうるからです。

今回は、井上きみどりさんの作品*を手がかりに「わたしのなかにある戦争」を語り始めることから、戦争という出来事について問い返し、考えていきたいと思います。作品から触発されるであろう、一人一人の価値の多元性に裏付けられた語りこそが、自由の基盤となりうるでしょう。「わたし」というそれぞれに異なる一人称の視点から、作品を通して言葉を交わすことで、戦争を語ることに伴う無力感にあらがう時間にできればと思います。

 

 あなたのなかに、戦争はあるでしょうか? あるとしたら、どのような戦争なのでしょうか?




*『爆弾と紙のランドセルと白いごはん』




てつがくカフェとは?・・
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、「そもそもそれって何なのか」といった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら「対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。



主催:てつがくカフェ@せんだい/せんだいメディアテーク
協力:井上きみどり
問合せ:shohyocafe@gmail.com(みかみ)