報告 2025年12月24日更新

【レポート】第96回てつがくカフェ


【開催概要】
てつがくカフェ  「わたしのなかにある戦争」

日時:2025年11月9日(日)14:00−16:30

会場:せんだいメディアテーク 6f ギャラリー4200「もうひとつの森」会場内

ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)

ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)

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今回のてつがくカフェは、「わたしのなかにある戦争」をテーマに開かれました。前回に続き、井上きみどりさんの『爆弾と紙のランドセルと白いごはん』を読み、その作品を手がかりに「自分の中の戦争」について考える時間となりました。

 

まずはじめに、「勝ち・負け」「強い・弱い」「正義感」といった感情が、自分の中にある戦争の芽かもしれないという意見や、スポーツ観戦や政治的対立における「応援」「糾弾」の感覚が、戦争へとつながる回路になりうるのではないか、といった視点が出されました。

また、敵と味方のどちらにも正義感があるのではないか──そんな話題から、「本来は対話できるはずなのに、どこかで線をひいて対話をあきらめてしまうことが、相手への許せなさや糾弾へと結びつくのではないか」という声が上がりました。その「あきらめ」に至る前の葛藤を丁寧に扱うことこそが大切なのではないか、という意見も共有されました。

 

一方で、戦争体験を直接持たない世代からは、知識としては学んでいても、実感との間に「壁」や「距離」があるという戸惑いも率直に語られました。祖父母からの体験談を通じて「話せば分かる人ばかりではない」「抑止力としての強さも必要だ」と教えられてきたという声もあれば、核抑止や教育勅語、特攻の手紙などを手がかりに、「誰かのため」「国のため」という言葉が、いつの間にか命を差し出すことの正当化になってしまう怖さを考える参加者もいました。

 

さらに、「強さ」の複雑さについて話す参加者もいました。その方からは、赴任した強い教師が学校の秩序を保つ力として機能していた例が引き合いに出されました。しかし、それを核抑止に置き換えたとき、それは本当に成立するのか。強さだけに依存する関係はどこかで破綻してしまうのではないか──では、本当の強さとは何なのか。そうした問いが静かに投げかけられました。

 

つづいて、このテーマをより深く考える上で外せないキーワードをあげていきました。

 

・戦争を知らない私たち

・あきらめる・あきらめない

・強さ

・くり返さないため学ぶ・対話

・体験しない状態で考える

・戦争後を考える

 

これらのキーワードを出してそれぞれの意味を丁寧に吟味するうちに、次第に「強さとは何か」をめぐる対話となっていきました。

戦争について語るときは、国家の「交渉力」「経済力」「軍事力」といった大きな力が主語になりがちで、その陰に私たち一人ひとりの言葉や感情がのみ込まれてしまう危うさがある、という指摘がありました。

その一方で「戦争の終わりもまた、誰かが口を開くことから始まる」という意見が出されました。言葉にして外に出すことは、弱さをさらす行為でもある一方、別の強さにつながるのではないかという意見も出されました。

 

また、戦争を体験していない世代だからこそ、感情に巻き込まれすぎずに冷静に考えられる強みがあるのではないか、という前向きな意見も加わり、体験の有無にかかわらず「語り続けること」に意味があることを捉えなおしました。

 

最後に今回の対話を受けて、戦争について考えるための問いを挙げていきました。

・国家の強さは個人の強さの延長線上にあるのか

・戦争を終わらせるための弱さとは

 →強さと弱さのバランス

・何もしないことはよいことか

体験したくないからこそ、被害と加害の両方の歴史を学び、対話を手放さずに考え続けること。その難しさやもやもやを引き受けながら、「わたしのなかにある戦争」を言葉にしていく、濃い時間となりました。

(文責:てつがくカフェ@せんだい)