報告 2024年01月17日更新

聞いてみた:みずしま財団/岡山県倉敷市


 2023年1121日〜23日の3日間、コミュニティ・アーカイブ・ラボラトリーチームで、岡山・広島の調査に行ってきました。

 

 岡山県倉敷市水島地区は、かつて浅海漁業とイ草、蓮根などの生産で栄えた農漁村地帯でした。戦後の成長政策の下、岡山県の工業振興の要を担い新産業都市計画が推し進められるなか、浅海を埋め立て、日本の先端技術を集約した鉄鋼・石油コンビナートが形成されました。そこでは近代化の進展に伴いおびただしい公害問題が発生し、多くの人命や豊かな自然環境、歴史・文化を損なう事態が進行しました。

 そうしたなか、公害病認定患者らはコンビナート企業8社を相手どり倉敷大気汚染公害裁判をおこし、13年にわたる係争を経て、199612月、和解が成立しました。和解の中で「水島地域の生活環境の改善のために解決金が使われる」ことが両者の合意するところとなり、和解金の一部を基金に20003月、みずしま財団が設立されました。その主な活動は、「環境保健事業」、「瀬戸内海の海ごみに関する事業」、「公害資料の保存・公開と学びのネットワーク形成事業」ということです。

 和解が成立したとはいえ、水島には加害企業の関係者と公害被害者やその家族が混在している現実があり、公害と雇用の問題について割り切った態度を取ることが難しい、いわゆる「困難な過去」を抱えた地域であることが窺えます。そのような微妙な関係の上に成り立つ地域と向き合い、開かれた財団を運営することは、相当な大変さがあるのではないかと想像します。

 

 財団の事務所までは、JR倉敷駅から水島臨海鉄道に乗り換え、20分ほど揺られた栄駅から、徒歩5分で到着します。

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 労働者と資材を工業地帯へ運んだ列車は、今では地域住民の生活の足に。車輌に漂うレトロ感。ひなびた街並み。

 

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みずしま財団のスタッフ林さんは、水島という土地の成り立ちから説明してくれました。

 

 

 今回、コミュニティ・アーカイブに関する視点で調べるにあたり、みずしま財団の拠点であり開かれた資料アーカイブでもある「あさがおギャラリー(みずしま資料交流館)」に伺い、スタッフの林美帆さんにお話を聞きました。この場所はかつて公害患者がリハビリのために通ってくる療養施設でしたが、利用者の高齢化に伴い足を運べる人が徐々に減り、近年は使われていなかったことを理由に、施設の内装をつくりかえてギャラリーにしてあるということです。そうして見ると、もともとコミュニティの核になっていた場所の求心力を、再び高めようという動きに見えてきます。

 「あさがおギャラリー」は、2007年に撮影された水島の航空写真が大きく貼り出されており、それを見ながら地域の成り立ちを説明していただきました。反対側の壁面棚には公害裁判の裁判記録が一番奥の棚に保管してあり、水島にまつわる書籍や出版物や、さまざまな環境問題別に記録や資料が収蔵されていて、自由に見学できるようになっています。

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壁面書棚。右に裁判記録や資料がまとめられ、様々な環境問題別に資料や関連書籍などが並べてあります。裁判資料やその目録も、持ち出しは不可ですがその場で閲覧することが可能です。

 

 

 

 また財団が定期的に発行している「水島メモリーズ」という小冊子は、「みずしま地域カフェ」(あさがおギャラリーでも度々開催されている)を通じて、地元の参加者と共にテーマを考案し、財団職員である林さんも深く関わりながら、地域の方と一緒にフィールドワークをしながら制作されています。

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毎号、地域カフェを開いてテーマを決め、調査も住民と一緒に行い編集されるミニコミ誌「みずしまメモリーズ」。2021年11月から現在まで8号発行されています。

 

 

 

 ここで興味深いのは、みずしま地域カフェなどのイベントに参加している地域の方の中には、公害被害者の関係者もいれば加害企業の関係者もいる、というところです。

 客観的な立場から見て、利害が対立してきた人同士が話題を共有することは困難ではないかと想像するところですが、ここではそれが成立しています。その理由について、ヒアリングの中で明確な答えは得られませんでしたが、お話を聞く中で感じた要因としては、大きく2つの理由があると想像しました。

 1.加害企業の親類縁者にも被害者がいたり、逆に被害者の中にも加害企業や関連企業に勤めている場合があり、単純な二項対立ではない複雑な関係性になっていること。

 2.水島メモリーズが扱ってきた題材は、主にコンビナートが形成される以前の水島の地域資源を取り上げており、直接の利害を越えて建設的な会話ができること。

 長く地域に暮らしていればいるほど、コミュニティの一員として関わり合いが広くなることはある種当然のことと言えます。そのことを踏まえて、良い意味で他所からきたスタッフらが、住民同士の衝突が起こらないテーマを掘り下げ、お互いに建設的な発言ができる状況や雰囲気をつくっている、と言えるのではないかと考えます。

 

 

 

 「みずしまメモリーズ」で特集されている内容について、一例を挙げてみましょう。私が特に関心を持ったのが、水島の街の成り立ちにも大きく関連している「亀島山地下工場編」です。埋立地である水島の中で、名前の通り亀の甲羅のようなシルエットが目をひく亀島山には、山肌を削って造られた秘密工場がありました。その経緯に迫ったのが今号です。

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 1941年(昭和16年)、日中戦争の拡大の影響で三菱重工業名古屋航空機製作所が軍用機を増産するため、江戸時代から徐々に干拓が進められてきた水島地域に、一気に埋め立て工場がつくられます。現在の水島臨海鉄道の駅名に残る「栄」や「常盤」といった名古屋に所縁のある名前は、この頃鉄道が敷かれ、名古屋からやってくる工員や資材を運搬するために付けられたのだと林さんは言います。19434月に水島航空機製作所が操業し、日本海軍の主力戦闘機を次々に生産する中、亀島山地下工場が掘られはじめたのはおそらく1944年の末頃だろうとされています。最終的に全長2kmにも及ぶトンネルが掘られ、戦闘機の部品をつくるための旋盤などを設置するための地下工場の掘削作業や、水島航空機製作所をつくるための埋め立て作業には、多数の朝鮮人労働者が集められました。その親族の方々が現在、水島地区内で多くの焼肉店を営み「水島焼肉」という地域グルメとして注目を集めているのも興味深い地域の成り立ちです。

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この日、夜の商店街では「水島焼肉」のお店が賑わっていました。また、かつての文房具店を改装した雰囲気のあるバーも営業しており、到着時に一見寂れたように見えた商店街には、少しずつ新しい灯火が増えてきているということです。

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 みずしま財団の活動は、主管自治体である岡山県や、活動拠点の基礎自治体である倉敷市から協力を得られているところも重要なポイントです。水島に公害が蔓延していた負の歴史について公開していくことに、自治体として難色を示すことは容易に想像されます。しかし、すでに公の裁定が下され、これからはコミュニティの外に誇れる地域資源を草の根から発信していこうとするみずしま財団の試みを、一緒に考えていこうという協力関係を築いているところに、財団スタッフの並々ならぬご尽力を垣間見た気がしました。

 繰り返しになりますが、いわゆる「困難な過去」を持つ水島の土地の歴史がありながら、それをよく知る住民同士だからこそ、加害と被害の立場を越えて共生していく姿勢が土地に根付き、みずしま財団はゆるやかにその仲立ちをしながら、暗い過去を明るい未来に繋げようとしていると感じました。

 外からやってくる人に誇れる地域資源を住民と協働しながら発掘・調査し、その足跡を冊子などにアーカイブしながら、立場をこえてコミュニティの結びつきが強化されている興味深い事例でした。

 

みずしま財団((公財)水島地域環境再生財団)https://mizushima-f.or.jp/

 

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飯川晃(せんだいメディアテーク企画・活動支援室)


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