報告 2024年01月05日更新

参加してみた:広島の平和文化月間に開催された「ピースパズル」


 

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2023年1121日〜23日、コミュニティ・アーカイブ・ラボラトリーのメンバーで、岡山と広島にリサーチに行ってきました。

 

広島では11月が「平和文化月間」に定められ、ヒロシマに関連するさまざまな文化芸術活動が市内各所で行われています。今回はその中で、メディアテークでも展覧会を実施したことのある『第三世代が考えるヒロシマ「」継ぐ展』代表の久保田涼子さんらが企画をした「ピースパズル」のガイド付きツアーに参加しました。

 

ピースパズルとは?

ピースパズルは、広島のまちの中に点在する被爆の痕跡や復興の証=「ピーススポット」を実際に巡り、改めて平和について考えようというものです。さまざまな立場の人が楽しんで参加できるように、「未来への手紙ルート」「川と海の記憶ルート」「子どもたちの軌跡ルート」など異なる切り口で考案された5つのルートがあり、ピーススポットを巡りながらクイズに答えていくと、抽選で景品が当たるスタンプラリーに参加できます。
スタンプはスマートフォンを使ってウェブ上で集めることができるので、ツアーに参加せずに個人で巡ることも可能です。また「平和公園ルート(PEACE PARK ROUTE)」は英語でのガイドになっていて、インバウンド向けにも整備されていました。 

今回は5つのルートのうち、「アートとまちの展望ルート」に参加し、市内東部にある比治山(ひじやま)周辺と、その頂上付近にある広島市現代美術館などを巡り歩きました。

このルートは、市内にある広島女学院高校の有志が制作しており、ツアー当日は、企画者の一人である3年の山島雫さんと、前述の久保田さんが案内役となり、2班に分かれてルートを巡りました。この日は私たちを含めて17名が県内外から参加していました。

 

ガイドツアースタート

秋晴れの中、京橋川にかかる橋のたもとにあるシダレヤナギ前で集合。いよいよピースパズルに出発です。

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ピースパズルのウェブサイトにあるマップから、現在地の「被爆樹木シダレヤナギ」をクリックすると、「Q. 広島にはこの木を含め、約160本の被爆樹木があります。被爆樹木にはどんな印がついている?」という最初のクイズが表示されました。皆でシダレヤナギに近づいて観察します。
ここでの答えは「プレート」。まちの中にある被爆樹木には写真のようにプレートがついており、爆心地からの距離など、それぞれの樹木の情報が表示されているそうです。知らなければ通り過ぎてしまいそうですが、一度その存在を知れば、あちこちに被爆樹木が残されていることがわかります。

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続いて、比治山の上り口にある「多聞院」という仏教寺院へ。敷地内にある鐘楼は、原爆爆心地の東1,750メートルに位置し、全壊を免れた木造建築のなかで爆心地から最も近くにある建物だそうです。ここでのクイズ「Q. 鐘に刻まれている言葉はなに?」の答えを見つけるため、鐘をぐるりと観察し、「NO MORE HIROSHIMA'S」の文字を目に焼き付けました。

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ここからはツアーのルートをざっくりと振り返ってみます。

多聞院の隣には、頼山陽の没後100年を記念して建てられた「頼山陽文徳殿」という建物があり、屋根には原爆の爆風で変形したままの九輪が残っていました(写真左)。そこから少し歩くと、車道の横にも被爆したクスノキがありました(写真右)。

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さらに歩いていくと、広島市現代美術館の建物が見えてきます。この建物の円形の屋根の切れ目は、爆心地の方角を向いているそうです。美術館内では、アートナビゲーターの方が展示の案内をしてくださいました。

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最後は山頂にある比治山陸軍墓地へ。広島は原爆が投下された地として知られていますが、ここには、西南戦争以後の戦争で亡くなった日本全国(沖縄を除く)の兵士のほか、中国、ドイツ、フランスの兵士たちが眠っているそうです。墓地の中を進んでいくと、突然視界がひらけ、瀬戸内海側を一望する景色が広がりました。ここから見える「宇品港(うじなこう)」はかつて軍港として使われており、たくさんの兵士たちが出兵していった場所だそう。

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また、ピースパズルのスポットではありませんが、陸軍墓地に向かう途中に「ホウエイケン」と呼ばれるかまぼこ型の建物がありました。耳慣れない文字列に、最初は何のことかわかりませんでしたが、「放射線影響研究所」の略称で「放影研」と呼ばれているのだと教えてもらいました。

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ピースパズルに参加して

ピースパズルに参加したことで、まちの至るところに被爆の跡があり、それらが現在まで保存され、今でも日常の中にしっかりと存在していることを知りました。

実際に現場を歩きながら見聞きしたこと、そしてクイズに答えながらその場で考えて学んだことは、忘れずに体に残るような気がします。不思議と誰かに語りたくなるし、自分でも(おずおずとですが)まちを案内できるようになる......そんな予感がありました。今後、広島のまちを歩いている時に被爆樹木のプレートを見つけたら、「このプレートが付いている樹木はね」と同行者に説明してしまうと思います。

ガイドをしてくれた山島さんら高校生たちは、まちを歩いて、調べて、人に話を聞き、何度も山道を往復しながらルートを考えたのだそうです。小さい頃から平和教育を受けてきたそうですが、今回、教育をただ受ける側ではなく発信する側に立ち、他者へ「伝える」ことを体現する中で、きっと見えてくるもの、立っている場所が変わっていったのではないかと想像します。彼女の姿を見ていたら、体験や記憶を語り継ぐ「語り部」ともまた違う、新たな伝承の形が生まれているように感じました。

そして、コミュニティ・アーカイブの視点から面白いと感じたのは、ここで考案されたルートがおそらくツアー終了後も残り、今後もまた別の人たちがその道を歩くだろうということ、そして、歩いた人たちがまた語れる人になっていくであろうということです。

ヒロシマの記憶の継承は今や第三世代が本格的に関わっており、今回ナビゲートしてくれた山島さんらより下の世代、第四世代が「継承の担い手」として活動する日もそう遠くはないでしょう。
広島に原子爆弾が投下されてから78年、そして東日本大震災の発生からもうすぐ13年が経ちます。戦災と災害を安易に同列には語れませんが、記憶の継承という視点では、広島の歩んできた道を東北の未来と重ねずにはいられません。
経験をしていない人が学び、関わり、伝えていくことについて、重要な視点を得ることができた体験でした。

 

 

(おまけ)

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平和記念公園にある原爆慰霊碑の献花台を、シルバー人材センターのスタッフの方々が手ぎわ良く掃除されていました。聞けば掃除は毎朝行っているとのこと。国内外からたくさんの人が日々訪れて手を合わせている場所が、こうして美しく保たれているのだと知り、広島の日常のなかの祈りを見たような思いがしました。

 

佐藤友理(せんだいメディアテーク企画・活動支援室)


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